中島公園は2006年4月より札幌市指定管理者制度の発足に伴い、管理運営を民間で行うことになりました。管理者の交代により中島公園がどうなるか目の離せない状況になりました。
ロードヒーティング:2005年を振り返り中島公園が一番変わったこと
ロードヒーティング園路は、冬でも快適に歩いて札幌コンサートホール・キタラに行くための施設として整備された。2003年まではフル稼働だったが、その後経費節約の為か、徐々に使用が制限され2005年からはほとんど使用されていない。恐らく、将来も使われることはないだろう。
時計台、クラーク像、北大ポプラ並木が、札幌の三大ガッカリだそうだが、これらは誰もが見ることが出来る「表のガッカリ」。ところで、誰も見ることも感じることも出来ない「裏のガッカリ」をご存知だろうか? 言うまでもなく、使用できないロードヒーティング。
確かに経費はかかると思う。しかし、中島公園には地下鉄駅が北と南にある。これに繋がる1.5kmのロードヒーティング園路は、極めてユニークな設備だ。日本で唯一の存在と思う。世界的にも珍しいのではないだろうか。
これを冬のイベントに使うと、アイディア次第でいろいろなことが出来る。便利なことに、参加する人は南国からでも夏靴のまま参加できるのだ。地面の下に文字通り埋もれている観光資源がある。眠らして置くのはもったいない。使えるものなら、知恵を絞って考えるに値すると思う。
2003年冬 札幌コンサートホール・キタラ付近の園路。
「造って10年以上か。もう壊れてるんじゃないか」
「空を見ればビル。藻岩山が観える広い空間も残り僅かです」
「分かる分かる。東京のド真ん中の公園に行ったら、四方を高層ビルで囲まれて、空が小さくなっていたぞ」
東京の都心にある公園から見た空は驚くほど小さかった。
2005年12月16日建物高さ制限と藻岩山の景観を考える
北海道新聞「札幌圏」のシリーズ記事「札幌市の建物高さ制限、私はこう考える」は、とてもタイムリーな企画と思います。
しかし、どこか違うなという印象もありました。街づくりのビジョンがなかなか見えてこないのです。 最終回の「景観の共有へ配慮必要」になって、ようやく、あるべき街の理想像が見えてきました。
「まちの中に多くの共有財産」のある、地中海沿岸の国の例。 「豊かさをすべて自分の中に持ちたがる」日本人の例など、わが意を得たりの思いがありました。
記事を読んでも、個々の権利を主張することが多く、市民共有の財産を、どう守るかという視点があまりないのです。 高さ制限は観光客をはじめ、多くの市民が利用する場所から始めてほしいと思います。 例えば、公園など公共の場所からです。 小樽が運河なら札幌は中島公園。 それぞれの景観を守ることが当面の課題と思います。
5年ほど前から高層ビルの建設が進み、藻岩山を望む景観が徐々にに悪化してきています。上の画像はフリーマーケットでお馴染みの中島公園自由広場からの景観です。 高層ビルで藻岩山が隠れています。 今なら間に合うので、公園全体に及ばないようにしてほしいと思います。
「水と緑、歴史と芸術の公園」といわれていますが、中心になるのは公園から望む藻岩山の景観です。 中島遊園地時代を含め約120年間維持してきた景観が、今、まさに崩れようとしています。関連地域の高さ制限など、早急な対策が望まれます。
2005年12月8日札幌駅前・中島公園間の観光構想
11月14日の北海道新聞に「薄野にタクシー以外の車の乗り入れを禁止する交通実験」
の記事がありました。歩く楽しさを街の魅力にとの趣旨です。もしそうならば、範囲を広げて総合的に考えてほしいものです。
JR札幌駅から幌平橋までの区間は平行した地下街、地下鉄と相乗して観光の目玉になり得る地域です。衰退気味の薄野から中島公園までの地区は、寺や神社の多い所で、外国人観光客に日本情緒を味わってもらうのに最適です。
テーマごとに分類して、整備する考えはいかがでしょうか。例えば、北部は未来の街、南部は歴史の街、中島公園は札幌の自然、幌平橋は札幌の景観とゆうふうにです。幌平橋・ポートランド広場は藻岩山・豊平川・市街地を、一望に見渡せる絶好の景観スポットです。
歩く楽しさは冬でも必要ですが、注目すべきは雪景色の中を快適に散策できる、中島公園内のロードヒーティング園路です。薄野を活性化させるには、周辺を見渡して総合的に考える視点が大切と考えます。
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2005年12月6日活用しよう! ロードヒーティング
およそ4年前、中島公園(中央区)近くに転居して一番感動したことは、ロードヒーティ ングのある園路でした。雪景色の公園をコツコツと靴をならして歩き、とても幸せな気分になりました。
地下鉄中島公園駅からキタラ経由で幌平橋駅まで約1200mあります。 3年前から、このロードヒーティングは使用範囲が徐々に縮小され、去年はほとんど使われない状態でした。
キタラで開かれるコンサートへの往復を除き、歩行者もまばらな現状を考えると当然の処置と思います。しかし、全国に類をみないこの素晴らしい設備を金がないからといって、雪の下に眠らせておくだけでよいのでしょうか。
藻岩山の景観、雪原のような凍結した菖蒲池、鴨々川で冬を越す鴨の群れ、歩くスキーコース。これに対照的なロードヒーティング園路を加えれば立派な観光資源です。
総合的に考えれば、いろいろアイディアも浮かぶはずです。経済性を考えるなら、現にあるものを有効に活用する視点が重要と考えます。
2005年11月6日「中島パフェ」も役に立ちました
パソコンのお陰で地域の方々と知り合い、定年後の暮らしが豊かになりました。およそ4年前に退職して転居しましたが、転居先での暮らしは、近所に知人もなく寂しいものでした。
少しでも地域にとけ込もうと、町内会の呼びかけに応じ鴨々川の清掃にも参加しましたが、知らない人たちの中で右往左往するばかりでした。
慣れないことをしても難しい。自分にできることは何かと考え、自己紹介を兼ねた、ホームページを開設することにしました。内容は地域の人たちと話題を共有できるものにしました。
開設して1年くらいすると、地域情報のホームページを運営する人・FMラジオ局の地域番組担当者・地域の新聞を発行している人などと、次々に知り合うことができました。
最初はメール、次はお会いして、と順序をふみ、自然な形で、お近づきになることができました。今ではホームページを通じての地域活動は、生きがいにもなっています。
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2005年10月11日 幻のインタビュー
「けっきょく、石川さんは、きれいな写真は自分で撮って下さい、と言うのですね」。
N記者にズバリ言われてしまいました。 北海道一のシェアを誇る、D社のことですから、記事にしてもらえば有難いと思い、いろいろ話ました。
しかし、肝心な「中島パフェ」の将来構想をしっかりと示すことが出来ませんでした。 延々1時間30分に及ぶインタビューも「いったい、どうまとめたらいいかな〜」と、困ったような記者の言葉を残して終わりました。もちろん、記事にはなりません。
ただ、ここから多くのことを学びました。 私なりの結論は「中島パフェ」運営の目的を地域貢献と明確化する。そのための、しっかりした将来構想をもつ。そして、目先の目標は役に立つサイト。 というものでした。
先ほどの記者の言葉、「きれいな写真は自分で撮って」は、一つのヒントになり、今月のテーマは「撮影スポット」案内にしました。 皆様のお役に立てば幸いと思っています。
しっかりした将来構想をもって、的確な運営をしていれば、チャンスは再びめぐってくると思っています。いつの日かまた、こんなメールが飛び込んでくるのではないかと夢想しています。
「はじめまして。中島パフェをみつけました。やる気がびしびし伝わりますね。
どういう方が、どんな構想を温めながらやってらっしゃるのかと、興味を持ちま
した。ご連絡先をうかがえるとうれしいのですが。お茶でもいかがですか…」
2005年10月5日八窓庵倒壊、道新「読者の声」に投稿
北海道新聞「読者の声」に投稿。10月5日掲載されました。興味のある方は新聞をお読み下さい。
原因が建築構造に問題があることは報道のとおりですが、もう一つの原因は、冬の八窓庵の存在がほとんど知られていないことです。
札幌に40年近く住んでいますが、冬の八窓庵が、閉鎖された日本庭園奥にあり、プレハブ小屋に囲まれていることを知ったのは「中島パフェ」を開設してからです。
ホームページ作成のため中島公園内を歩き回るようになって、初めて知ったのです。
今回は雪による倒壊事故でしたが、世の中何があるか分かりません。大切な文化財を庭園ごと閉鎖してしまって置く。 大きなビルの中なら、話はわかります。
しかし、ここは庭園です。門を閉めても侵入者を防ぐことはできないし、吹雪も積雪も地震も防げないのです。八窓庵を守るためには多くの人による監視が必要と考えます。
日本庭園は冬も開放し、庭木を傷めない程度の除雪をして、人が通れるようにすれば、管理者の監視も行き届くし、散策する人がいち早く異常を見つけ、通報することもできます。
八窓庵を守るためには、今のような、侵入者や空から降ってくる雪だけが入れる状態ではなく、冬季閉鎖をやめ、善意の人たちもは入れるようにする必要があります。
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2005年8月20日 駒澤大学苫小牧高校 連覇の偉業
8月20日甲子園球場で駒澤大学苫小牧高校が京都外大西を5対3で破り、大会史上57年ぶりの連覇を達成しました。
中島公園専門ウェブと名のっている「中島パフェ」ですが、今日ばかりは「おめでとう」「ありがとう」と一言ふれずにはいられない気持ち。それに中島公園と高校野球は多少関係もあるのです。
以前は中島公園に中島球場があり、1950年〜1976年の間に夏の甲子園予選が22回開かれた実績もあります。北海道の甲子園とも言われていました。
8月23日新聞で駒大苫小牧の不祥事に関する記事を読み、残念に思いましたが、これで夏の甲子園2連覇の記録が消えるわけではないと思い直しました。今後は学校当局の適切な対応を期待したいと思います。
2005年7月15日 中島公園は作品にならないか?
道庁でカメラの達人と会って写真の話をしました。達人は立派なデジカメで親子鴨を撮っていました。「(子ガモは)何羽ですか?」と話しかけると「さっきまで6羽だが、カラスにやられて今は5羽」と一部始終を話してくれました。
「カメラ長いんですか」と聞くと、「50年以上やっている」と達人。思わず「家一軒立つぐらい使ったでしょう」と口がすべりました。「写真屋だからな」と言われ、シュンとなりました。
達人は気を悪くする風でもなく「カメラは空間処理と時間処理だから・・・」とか、いろいろ教えてくれ「中島公園にはよくバラを撮りに行くよ」と言ってくれました。
いつも鉄パイプとロープで囲まれているバラが気になっていたので、「中島公園のバラはロープが邪魔じゃないですか」と聞くと「ロープは撮らない、花だけ撮る」と当然の返事が返ってきました。
「だけど、全体の景観を撮るとき邪魔でしょ」とたたみかけました。何とか邪魔と言って欲しかったのです。すると思いがけない答えが返ってきました。「公園は造園技師が造ったもので、作品にはならんのだよ」と。
私は花も景観の一部と思い、ロープも鉄パイプも立入禁止表示も景観を妨げるだけのものと考えていました。しかし、写真の達人は作り物の景観など目もくれずバラだけを撮ると言うのです。
それなら「ロープ」も「立入禁止札」も少しは役に立つでしょう。ものぐさな人はロープをまたいで中に入ったりしないし、真面目な人は「立入禁止」を無視したりしないでしょうから。
それに、わざわざ達人が撮りに行くのですから、中島公園のバラは被写体としても貴重なものなのかなと、少し見直しました。 だから大事にしているつもりなのかなとも思いました。
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2005年6月3日子犬のワルツさんよりムクドリの巣立情報
今朝(3日)中島公園を9時ごろ散歩をしてましたら ムクドリの巣立ちを見ました。
ムクドリの両親がパンのえさを運んでいきます。
まもなくすると なかから 数羽の 子供が 巣立って 出てきました。
まだ中にいるようです。
翌日もいるかどうかは わかりませんが もし よかったら見てください。
4日から1泊で 鳥仲間と 富良野の東大演習リ林へ 探鳥会に行ってきます。
大きな木の洞が巣です。絵を添付してみました。
♪♪〜子犬のワルツ
ムクドリの巣を見つけるなり、スラスラスラとノートパソコンとペイント(ソフト)で描いてしまうのですから凄いですね。私には神業にみえます。
翌日さっそく巣を見に行き、洞の中のヒナを観察することが出来ました。
絵で見ると分るように中島まで多少距離があるので、はっきりした写真は撮れなかったのですが、ヒナを2羽を確認できると思います。
ところで、子犬のワルツさんにはオシドリのことでもお世話になってしまいました。今年の春のことですが、ラジオで中島公園の話をする機会がありましたが、その中で突然「あのオシドリはどうなりましたか?」と聞かれました。
あのオシドリとは去年の暮れから3月までたった1羽で越冬した鴨々川付近の雄のオシドリのことです。子犬のワルツさんは「イケ面・オシドリ」と言いますが、私にはオモチャの鳥に見えました。
「オシドリは高い木の洞に巣をつくります。今頃は山に帰ったかもしれません。」と、したり顔で答えましたが、実はこれ少し前に「子犬のワルツ」さんから聞いたばかりの話でした。
司会者が感心して肯くのをみて、気が咎め「人から聞いた話ですが」と付け加えました。
子犬のワルツさん、ムクドリの巣情報、オシドリ情報有り難うございました。クマゲラ情報も面白かったですが、残念ながら中島公園には来ません。
ショパンの子犬のワルツも、久しぶりに聴いてみたくなりました。
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2005年5月10日札幌で開花宣言
桜の開花宣言が遅まきながらありました。中島公園ではとっくに咲いています。他でも、もちろん咲いています。咲いているのは、ほとんどエゾヤマザクラです。
札幌の開花宣言の標準木はソメイヨシノだそうです。それで実態より遅い開花宣言となるのだと思います。
その内、標準木がエゾヤマザクラになるそうです。ちなみに札幌より北ではエゾヤマザクラが標準で、根室では千島桜が標準だそうです。
2005年4月15日 八窓庵を災害から守るには
札幌では極めて珍しい江戸初期の建物
3月21日、中島公園内にある国指定重要文化財の茶室「八窓庵」がほぼ全壊しました。札幌では極めて珍しい江戸初期の建物です。
1933年、滋賀県(江州)から札幌市内へ、更に中島公園日本庭園内に移築(1971年)され、一体どの部分が江戸時代のものか、私にはさっぱり分らないのですが、自分なりに誇りに思っていました。
日本庭園の奥にあり、外からは見えにくい
八窓庵は日本庭園の奥にあり、冬になると日本庭園は閉鎖され立入禁止になります。八窓庵はプレハブで囲まれ、厳しい冬の気象から保護されています。一般の人は閉鎖された日本庭園のプレハブの中にある八窓庵については、全くわからない状態にあります。
見回りをしていれば、雪下ろしば必要か分るはず
4月1日北海道新聞に「・・・状況がどんなのかは見回りをしていれば、雪下ろしば必要かどうか分ったでしょうに。何とも無責任な話です。」と公園管理を非難すると思われる投書がありました。
私も同感ですが、公園の近所に住んで4年、公園管理に費用をかけたらきりがないとも、思うようになりました。
日本庭園の冬季閉鎖を止めればいい
考えてみれば、もっと良い方法があります。日本庭園の冬季閉鎖を止めればいいのです。八窓庵だけ立入禁止にすれば充分です。八窓庵はプレハブの中で保護し、プレハブの監視は園内を散歩する人がやれば良いと思います。中島公園を寒い冬でも散歩する人は、普通の通行人とは違い、公園の様子を注意深く観察しています。中に重要文化財が入っていることを知っているのですから、積雪によるプレハブの変化を見逃すはずがありません。
早期発見、早期対応、人の目に触れることが大切
日本庭園内に人を入れれば、悪戯される心配もあるとは思いますが、悪戯したい人は閉鎖中でも、雪まみれになるのが嫌でなければ簡単に入れます。又、開放していても雪まみれになるのが嫌な普通の人は、除雪された園路以外を歩くことはありません。
冬季間も日本庭園を開放することにより、多くの人の目に触れるようにすれば、閉鎖して人の目をさえぎった場合と比べ、安全性は向上すると思います。
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2005年3月15日 鴨は粛々とオシドリと共存
冬は鴨の観察にはもってこいのシーズン
冬になると菖蒲池が凍結し、池のカモは中島公園内を流れる鴨々川に引っ越します。冬は鴨の結婚シーズンだし、川は池に比べて狭いので鴨(マガモ)の観察にはもってこいです。
しかし、鴨の区別が出来ないので個々の行動は分らない
おまけに鴨が群れているのは、ほとんど橋の近くです。これは橋の上からエサをやる人が多いせいだと思います。個々の鴨を区別できないので、普通は鴨を群れとして見ています。
オシドリは1羽、しかも綺麗な雄なので、どこで何をしているか分る
去年の暮れオシドリが一羽きました。私はこのオシドリをオッシーと名づけ可愛がりました。オッシーの
家は高級マンション(もちろん人様が住んでいます)の裏を流れる鴨々川にあります。
オシドリは、ほぼ一定の場所で行動することが分った
キタラ(札幌コンサートホール)近くの風光明媚、環境抜群のところです。中州第1号橋から見ると鴨々川右岸の、少し窪んだ所にオッシーが居をかまえています。
オッシーはときどき家を留守にしますが、しばらくするとここに戻ります。
たまに首を水の中に突っ込んでエサ採っているような姿を見せますが、ほとんど人のエサに頼っているように見えます。誤解でしたらごめんなさい。
オシドリは環境の変化にも鴨の群れと一緒に対応
オッシーの家(ただの川の窪みです)が氷に閉ざされてしまったとき、これでお別れかな、と思いましたが、凍結していない南14条橋の方に鴨の群れと一緒に避難していることが分りホッとしました。
そして、氷が融けると元の場所に帰り、鴨の群れと一緒に暮らしています。最初は遠慮気味に見えましたが、3ヶ月たった今は小さな身体で鴨を突っついて追っかけたりして楽しんで暮らしているように見えます。
鴨はいじめも、お節介もしない、粛々とオシドリと共存
オッシー自身は自分の姿は見えないので鴨と思っているかもしれませんが、鴨はあの派手な玩具の鳥のようなオッシーをどう思っているのか不思議です。見た感じでは無関心です。可愛いカモちゃんですが、あんがい大人ですね。
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2005年3月2日雪祭りはロードヒーティングの中島公園で
さっぽろ雪まつりも盛会のうちに終わりましたが、来年は真駒内会場が閉鎖されることになり、代替会場の候補地が話題になっています。
ロードヒーティング園路のある
中島公園を雪まつり会場にすれば皆様に喜んでもらえるのではないかと思っています。
しかし、他にも良い場所があるかも知れないし、大通りとすすきので充分かも知れません。札幌市はいろいろな意見を聞いて多くの札幌市民が納得する結論をだして欲しいと思っています。
図のように中島公園駅、幌平橋駅、市電側出口、行啓通からキタラへの道がそれぞれロードヒーティングです。ご存知のように、札幌コンサートホール・キタラへの道です。
S席42,000円のベルリンフィルのコンサートに行くのにツルツル氷結道を転ばないようにチョコチョコ歩くのは優雅ではないですね。ロードヒーティングが必要ではないでしょうか。
コンサートのないときは下の写真のように、ほとんど人も歩いていません。もったいないと思ったのか、
今冬からは使用停止状態です。
この贅沢でもったいなくて使用できない
ロードヒーティングを雪まつりで使ったらどうだろう、と言うのが「中島パフェ」の思いです。
上の
写真は去年と一昨年のものです。今年はロードヒーティング停止中です。
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2005年2月15日「雪まつり」こそロードヒーティング活用
真駒内会場の代替地は、モエレ沼公園、札幌ドーム、中島公園、それとも無し?
来年は雪まつり真駒内会場が閉鎖します。今、その代替地が問題になっています。札幌ドーム、モエレ沼公園、中島公園などが候補としてあがっているようです。又、大通、ススキノの2会場で開催する案も、最近になって浮上してきました。
代替地にロードヒーティング設備のある中島公園を推薦します
私は中島公園を推薦します。理由の第一はこの公園の縦横に延びているロードヒーティング設備のある園路です。正直に申しまして少し贅沢だと思います。当局もそう考えたせいか、現在は使われていません。ロードヒーティング設備は眠ったまま雪の下ですから、ほとんどの人は、その存在さえ知りません。従って議論にもなりません。
毎年ツルツル道路が問題になっています、ロードヒーティングを有効利用すべきです
毎年、雪まつりの時期になると、滑る、転ぶ、ツルツル道路が問題になりますが、中島公園の主要園路は、その心配の全くないロードヒーティングなのです。これを使わない手はないと思います。
ロードヒーティングをイベントに使わないとしたら、一体いつ使うのでしょうか?
逆に質問したいのですが、この立派なロードヒーティング、お祭りに使わないとしたら、一体いつ使うのでしょうか?雪まつりだからこそ、贅沢や無駄が、楽しみや喜びとして生きてくるのだと思います。
札幌市にとって観光は重要な産業の筈です、持てるものは全て使うべきです
札幌市にとって観光は重要な産業の筈です。どう考えても、観光の為に有力な設備を眠らせておく余裕はないと思うのですが、いかがでしょうか?
ロードヒーティングを全開にして、何らかのイベントを開くべきです
2月13日の北海道新聞によると来年は大通、ススキノの2会場という案も浮上しています。その場合でも、中島公園のロードヒーティングを全開にして、雪祭りに順ずるイベントを開催するのも将来の参考になると思います。
2005年1月31日 読売新聞 水紀行、掲載の感想
「突然ですが、弊社の夕刊で、水辺を紹介する連載記事があり、(中島)公園ガイドのホームページを作った動機などを伺いたいのですが、いかがでしょうか。」、これが12月21日に受けたメールです。冬場になってアクセスも落ちてきた時期なので、救いの神のように思いました。
一時間ちかくのインタヴューの中で、ホームページ開設の動機はもちろんのこと、環境問題、都市公園の有り方についても持論を熱心に話しました。
1月15日の夕刊に載る予定なので、その日の夕方、近くのコンビニに買いに行ったら、扱ってないと言うので、地下鉄に乗って札幌駅まで行ってしまいました。期待と不安半ばの気持ちで、新聞を開くと、環境も都市問題もなく、ただ中島公園に惚れ込んだ人として私が紹介されていました。嬉しいようなてれくさいような複雑な心境でした。
それでも、取材については手放しで歓迎していましたが、「なぜ私に?」と言う軽い疑問もありました。しかし、記事を読んでみると、この疑問はたちまち解消しました。「中島公園にほれ込んだ人」と言うことなら、私にも充分な資格があります。これで私も「公園じいさん」ですね。
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2005年1月23日 初めてのテレビ出演、少しだけ
去年の暮れテレビに出ることになりました。内容はは「STVどさんこワイド台風18号の猛威」に書いてあるとおりです。
A記者に、今なお台風18号の爪痕を残しているところはないかとたずねられ、迷うことなく地下鉄幌平橋駅前のポプラ並木と答えました。
念のため、他に傷跡を残している所はないかと公園中、探しまわりましたが、やはり特別に目立つ所はありません。被害を受けた場所は沢山あるのですが、いったん片付けてしまうと、それが新しい景色になり、被害の程度は以前の風景と比べて見ないと分らないのです。
数日後、中継車が来て、A記者、技術スタッフと一緒に下見をしました。私は撮影場所である幌平橋駅あたりをA記者と当日の打ち合わせをしながら、見て歩きました。心中これはエライ大掛かりだなと期待したり、緊張したり、心穏やかならぬものがありました。
技術スタッフがいろいろ調べていましたが、結論を言うと、「中継車が駐車する場所からは電波がとどかない。」と聞かされ、この企画は中止だなと思いながら撮影予定現場を後にしました。
翌日、A記者から豊平館前を検討したいとの電話があったので、「台風被害の傷跡は雪などに覆われて、よく見えないと思う。」と答えましたが、A記者はとにかく現場に行って調べてみると言いました。豊平館前の駐車場に中継車を置けるというのが撮影場所変更の理由です。
豊平館前では適当な被写体がないと思っていたので、これでこの話はお仕舞いと諦めていましたが、数日してA記者より「29日のニュース番組に出演して欲しい。撮影場所は幌平橋駅前。」との連絡がありました。後で考えると規模を縮小してやることになったようです。現場に中継車は来ていませんでした。
出演時間が短くなって、少しは残念な気持ちもありますが、ホッとした気分の方が強かったです。もともと今回の予定は都心の台風被害というテーマで、道庁と中島公園をやる予定と聞いていましたが、道庁のほうはなくなって、替わりに空からの北大ポプラ並木放映になっていました。中島公園の方は短時間になりましたが、いろいろ変更があった為、かえって勉強になり、良い経験をさせて頂いたと思っています。
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2005年1月15日ロードヒーティングを活用「雪まつり」
中島公園は2004年9月8日の台風18号により開園以来最大の被害を受けました。特に地下鉄幌平橋駅付近のポプラ並木は壊滅状態です。このことはSTV(札幌テレビ)の年末特集でも報道されました。
失われた緑の修復は極めて困難です
ポプラ並木の崩壊は象徴的ですが、実際の被害は公園全体に及んでいます。130年の歴史を背負うこれらの木々は中島公園の貴重な財産であり、水と緑の公園のシンボル的存在でしたが、再生は極めて困難です。
公園復興の鍵はロードヒーティングの活用です
そこで、中島公園の台風被害からの復興はどのようにして行われるべきか考えて見ました。
中島公園は一面の銀世界の中に広大なロードヒーティング設備の備わった園路をもっています。これは他の公園ではみられない貴重な資源と言ってよいと思います。
現在は費用の関係もあって雪の下で眠っている状態ですが、中島公園にしかない、このロードヒーティング設備を積極的に生かして使うことが復興の鍵になると思います。
ロードヒーティングは雪まつり会場の目玉になります
新聞報道によると、閉鎖される雪まつり会場の代替候補地として、中島公園が、札幌ドーム及びモエレ沼公園と共に挙がっています。大通会場とすすきの会場に近く、「回遊」し易いのが長所と言われていますが、最大の長所はロードヒーティング設備のある幅の広い園路です。
中島公園で感動してもらうことが公園復興の第一歩です
経験して初めて分ったことですが、一面の銀世界の公園の中を足元確かな乾いた道路を歩くことは一種の感動ものです。この感動を多くの札幌市民、内外のお客様に味わってもらうことが、中島公園復興の第一歩となると確信します。なにぶん他所では出来ないことですから。
緑の喪失で失った魅力は、別の方法で取り戻すことが必要です
台風13号で失った緑を人々の賑わいでうめるのです。人々の賑わい、言い換えれば人々に愛される公園になれば、いずれ緑は戻ってきます。今、必要なのはもてる設備を総動員して、台風被害で疲弊した公園の魅力を高めることだと思います。
寂しい冬の公園は子供にとって危険です
キタラ近くの凍結した川辺で子供が一人で遊んでいました。氷が割れたら危ないので注意したら「乗っても割れないから。」と不満そうでした。気象や物理の話をしても仕方がないので、大きな声で「あっちで遊びなさい!」と言いました。
立入禁止表示では守れません
冬の中島公園は寂しすぎます。見える範囲にいるのは子供と私の二人きりです。替わりに目立つのは池を囲んだロープと立入禁止表示ばかりです。ロープを張っても自由にくぐれるので、効果はありません。入りたい人は入っています。
子供の安全を守るのは人の目です
安全を考えるなら、ロープや立入禁止表示よりも人の目です。子ども達が安全に遊ぶ為には大人の監視の目が必要です。公園が賑わえば、自然に人の目も多くなり安全性は高まるのです。
「雪まつりで賑わいを」、これが中島公園復興の第一歩です
そのためには公園を活性化して人を呼べる公園にするのが第一です。その目玉が、中島公園にしかない大規模ロードヒーティングを活用したイベントだと思います。真駒内会場に替わる雪まつり会場として中島公園が指定されれば、台風被害を乗り越えて「冬でも楽しめる中島公園」として再出発することが可能です。公園としては日本一の大規模ロードヒーティング設備を、機会を求めて積極的に活用して欲しいと思います。
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