札幌の繁華街ススキノで鴨(マガモ)の赤ちゃんが誕生した。ここは鯉の放流場。川上も川下も鉄柵で閉ざされている。果たして飛べないヒナの運命はいかに?
初めて鴨の巣を見たのは2004年6月20日だった。キッカケはこうだ。中島公園で鴨の写真を撮っていると、優しそうな奥様が声をかけてくれた。「藻山橋の下に巣がありますよ」。 |
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一体いつになったら巣立つのだろう? 藻山橋は南8条西4丁目で鴨々川に架かる橋。家から街に行く通りすがりにある。 |
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巣立ったばかりの鴨を見るのは初めてだ。 8羽いる。 雛は母鴨にピッタリくっついて泳いでいる。 かわいい! |
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鯉が近づくと逃げて行く。まさか食うとも思わないが、なんとなく心配だ。気分だけだが、すっかり父鴨の気持ちになってしまった。ご存知の様に鴨の父は子育てに関わらない。 |
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ここは鴨々川。上流に行けば中島公園だが、どうもこの辺は落ち着かない。 石の隙間から一輪の花が覗いている。のどかな散歩と思っていたら… |
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又、鯉が追いかけて来た。泳いでいるだけかも知れないが、私には追ってるように見えるのだ。 母鴨と子鴨群の間隔が空いてきたのも気にかかる。親離れの始まりかも知れない。「早すぎるぞ!」 |
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「しばらく、ここに隠れていましょう」と母鴨が子供たちを誘導する。 ここは鯉の放流場。上流と下流に鉄柵がある。鯉にとっては牢屋みたいな所だ。 |
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草むらのような所に隠れても、鯉は水面の下を泳いで来るのだから意味はない。 そうだ! 石の上なら安全だ。しかし、2匹の亀が陣取っている。 遠慮して片隅に上がった子鴨が哀れだ。 |
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母鴨は活路を上方に求めたようだ。なぜか上ばかり見ている。 子鴨は母の気持ちも知らないで下ばかり見ている。 飛べる母は空を見て、飛べない子等は水を見る。親子の断絶の始まりか? |
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一番上の画像を見て欲しい。人工的な川の両側は、子等にとっては断崖絶壁に見えるだろう。母はそこを考えてやらないといけない。 「早く上がっておいで」 |
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登れないと言っているのに登るように促している未練な母鴨。 テコでも動かんという態度の子供たち。この勝負は母の負けで終わるだろう。 ダメなものはダメなのだ。 |
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藻山橋より母子鴨を見守る人たち。 もう1時間もたっているのに暇な人たちだ。 そういう私も最初から一部始終を観察している。 |
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ついに母親も諦めて上流に泳いで行くことにした。 親子の信頼関係が戻ったのか、子供たちはしっかりと母について行く。 しかし、安心できないことを私たち人間は知っている。 |
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ガーン!鉄柵があって通れない、どうしよう? 鯉を逃がさない為に人間が作った柵が親子鴨の行動を妨げている。 柵の前で右往左往している親子鴨が哀れだ。何とかならないか。 |
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鯉が通れないように作ったのだから、いくら探しても抜け道はない。 一生懸命探す母と、その後をヨチヨチとついて歩く子どもたちが可哀想。 横は絶壁、前後は鉄柵。まさに袋の鼠である。 |
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思案にくれる母鴨は呆然として立っている。 私たち「暇人見守り隊」も手が出せない。 子鴨に手を出すと母鴨がパニックを起こすのだ。この状態では静かに誘導することさえ出来ない。 |
2004年7月19日、鴨の赤ちゃんは助けられた
鴨を助けるには柵を開ける必要がある。鴨が出られない様子を見て、鯉の放流場の管理人さんに、「鴨が困っているので、何とかして下さい。」とお願いした。しかし、管理人さんは「今日、初めてここに来たので、よく分らない」と言ったきりで動こうともしない。
冷静に考えてみると、カラスに支配されている中島公園より、人通りの多い、ススキノの方が安全かもしれない。下手な手出しは無用と思い直した。
動物は水と餌さえあれば生きて行ける。界隈の飲み屋もカラオケも要らない。子等も大きくなって力を付ければ上に登れるようになるかも知れない。それに2ヶ月もたてば成鳥になり好きな所に飛んで行けるのだ。
急ぐ話でもないので、2ヶ月くらい「ススキノ名物親子鴨」ということでもいいではないか。見ている感じでは鯉さんと亀さんとも共存できるようだ。
用事をすまして、家に帰り、ネットに繋いで掲示板をみると書込みがあった。「……管理人さんが鉄柵に穴をあけて通れるように……」したから、もう大丈夫という内容だった。ホッとして明朝、見に行くことにした。やっぱり、早く自由になってもらった方がいい。
翌日(19日)街に行くときは鴨々川に沿ってススキノまで歩いた。鯉の放流場で管理人さんに会ったので、「鴨の赤ちゃんはどうしました?」と聞くと、「もう、中島公園の方に行ってしまったよ」と嬉しそうに答えてくれた。
ああ、良かったと思う反面、「これは大変だ、ちょっと早すぎる」とも思った。中島公園は一見、水と緑豊かなヒナ達の楽園に見えるが、カラス、カモメ、猫などの天敵が多く、生まれたてのヒナにとっては危険な所だ。
管理人さんは喜んでいたが、私には心配になって来た。こうなった以上、7羽のヒナ(巣立ちは8羽だったが1羽行方不明)の無事を祈るのみ。中島公園では1ヶ月以内に約半分のヒナが行方不明になっている。
中島公園に到着した「薄野八子一家」
親子鴨は数と大きさで識別できるので名前を付けている。姓は薄野で巣立ったので薄野、名は8羽で巣立ったので八子とした。薄野を出発したときは7羽だが、名前を変えたりはしない。
7月19日は7羽だったが、その後6羽となり8月2日には5羽となる。
巣立ってから2週間。母鴨とくつろぐ5羽の子等。
母は子等に何かを語りかけている様だ。 2004年8月2日 中島公園
2004年9月8日台風第18号の惨禍を生き抜いた4羽
未曾有の台風で木々が次々と倒れる中でも動物は力強く生きて行く。猫もカラスも鳩も、そして薄野から来た鴨の子等も生き抜いて行くだろう。
台風後3日たった9月11日、薄野八子一家と再会した。8月2日以降に1羽失い4羽になっていた。大きくなって逞しくなった子等は人間で言えば中学生。成鳥になって飛んで行く日も近い。
子等は黙々と草を食む。母鴨は子等を守るための監視を怠らない。
薄野で生まれ苦労して中島公園に来た鴨の子供たち。猫やカラスの多い公園は子等にとって楽園ではなかった。生き残ったのは4羽。
映画が大好きな私はタイトルを交えて子等にエールを送りたい。
諸子はエライ! 「地獄の戦線」を生き抜い「若き獅子たち」だ。