中島公園を知ってもらう為のボランティア活動として、私に出来ることがあれば声をかけて下さい。個人で何が出来るか参考の為、このページを作りました。一生懸命ですが失敗することもあります。→失敗談

2016年9月25日 鴨々川ノスタルジア公式ムックに寄稿

鴨々川ノスタルジア公式ムック『Bocket3号』に中島公園で初めて見た11羽の子の成長記録について寄稿。タイトルは「オシドリ日記」。

記事の補足説明鴨々川を語る『Bocket』誌3号に寄稿

2015年10月18日 桜蔭会北海道支部の皆様をご案内

桜蔭会(お茶の水女子大学同窓会)北海道支部が中島公園で「自然・歴史・文化を散策する会」を開き、案内役に私を指名してくれた。とても有難い。中島公園が大好きで14年前、近隣に転居した。サイトも毎日のように更新している。このような機会を与えてくれたことに感謝!


北海道大博覧会のアメリカ館周辺。画像提供札幌のHorikawaさん

今回のテーマは1958(昭和33)年に行われた北海道大博覧で、その会場となった中島公園内を、紅葉を見ながらゆっくりと散策するという趣旨。博覧会は中島公園の南側の敷地を利用して開かれた。しかし紅葉も見てほしいので北側から歩き始めることにした。


散策は中島公園の北側にある山内壮夫の「森の歌」から始めた。この彫刻は博覧会終了後、その成功をを記念して博覧会跡地に立てられたが、1997年永久保存の為ブロンズで鋳造して現在地に移設された。

「札幌市は、中島公園を芸術文化・歴史ゾーンに再生しようとしている。『森の歌』は、そのモニュメント像となっているようだ」と『さっぽろ文庫84中島公園』に記されている。ほぼ同じ時期に札幌コンサートホール・キタラと道立文学館(1995年)が新設された。

140年ほど歴史を遡ると、中島公園周辺は扇状地で川が何本もあったそうだ。今では鴨々川一本しか残っていない。これだけは自然に近い形でいつまでも残してほしいと思う。


水天宮は中島公園界隈で一番古い神社だが、護国神社、弥彦神社に比べて小さい。最近整備したのか、一部の施設が新しくなっている。久留米に本社のある水難、安産の神社だそうだが、昔、豊平川は暴れ川と言われ、鴨々川もよく氾濫した。水難避けを願ってのことかも知れない。

「1879(M12)年頃、旧久留米藩士水野源四郎が、故郷久留米の水天宮の御分霊を札幌に勧請したが、市内を転々とし、ようやく1889(M22)年に現在地に社殿を建立した。以下略」と中島公園管理事務所発行の『中島公園三十三選』に記されている。


紅葉になり始めた菖蒲池周辺。前方に見えるのは藻岩山。

菖蒲池のルーツは1871(明治4)年に完成した鈴木元右衛門堀である。これが中島公園の歴史の始まりとも考えられる。池は開拓初期に貯木場として使われた。豊平川上流の山で切り出した木材を鴨々川を経由して貯木場に集め、そこから下流にある市内の製材所に川に浮かべて運んでいたそうだ。

運搬手段として水路の役目が終わると池は荒れ放題となった。たまりかねた住民は1882(明治15)年6月、鴨々中島を公園予定地にする意見書を提出したそうだ。これが中島公園の始まりと思う。


飲食店花月の豆柿は札幌ではとても珍しいと造園の専門家から聞いている。豆柿とは「シナノガキの一種で,葉に毛のないもの。果実は球形で直径約1.5センチメートル,熟すと黒色となる。未熟果から柿渋をとる。柿渋は血圧降下薬とする。(コトバンク)」と記されている

中島公園の北側には博覧会の跡地はないが、紅葉がきれいなので散策コースに入れてみた。次に日本庭園に向かう。


日本庭園内の国指定重要文化財八窓庵。八つの窓があるから八窓庵だが、八つ目の窓は屋根に付いた天窓のようなもの。

1963(昭和38)年に日本庭園完成した時は10基の石燈籠があった。1971(昭和46)年9月8日に八窓庵が北4条西12丁目から移設された。その時八窓庵の庭に3基の石燈籠が設置された。日本庭園には合わせて13基もの立派な石灯籠がある。全部京都の石屋に作らせたそうだ。


紅葉が綺麗な日本庭園では写真を撮る人が多かった。


日本庭園の詳細はこちら → 中島公園日本庭園・八窓庵

日本庭園の完成は1963年で博覧会開催5年後のことである。これか散策する豊平館以後が博覧会の痕跡を残している場所となる。
詳細 → 中島公園 最後の博覧会~1958北海道大博覧会~


国指定重要文化財豊平館は現在大規模改修工事中なので外観を見ながらの説明となる。1957(昭和32)年5月31日豊平館が北一条西一丁目(テレビ塔付近)から中島公園に移転した。この年に中島公園が総合公園指定された。翌1958年北海道大博覧会が開催され、豊平館は郷土館及び美術館として一般に公開された。豊平館詳細→豊平館札幌 国指定重要文化財


豊平館前の池をはさんで札幌市天文台がある。1958年北海道大博覧会で雪印乳業館として建てられたものだが、閉会後は市に寄贈された。小高い所にあるが、ここは岡田山と呼ばれている。
天文台詳細→札幌市天文台

大正の時代までは岡田花園があり、料亭、花畑、釣り堀等があったと言う。岡田花園は現在の日本庭園、豊平館、天文台、キタラ、今は住宅街となっている鴨々川の西側を含む極めて大きい花園とされているが正確な境界線は分からない。岡田花園詳細→明治・大正の岡田花園

札幌コンサートホール・キタラがある場所には、北海道大博覧会に合わせて「子供の国」が誕生した。36年間にわたり子供たちを楽しませたが、1994年5月8日に廃止され、7月29日には円山動物園子供の国として再生された。

2010年9月30日「円山子供の国キッドランド」が閉園した。そして札幌での子供の国の歴史は終わった。出来ることなら単なる遊園地ではなく本当の意味での子供の国の再生を願っている。全てを子供たちが運営する子供の国自治区なんて面白いと思う。


北海道大博覧会の跡地は百花園や噴水のある中央広場が整備され、山内壮夫の彫刻5体が設置された。詳細→思いでの山内壮夫ワールド

百花園等の施設は平成の再整備以後に撤去され緑のオープンスペースに変わった。4体の山内作品は「香りの広場」と呼ばれる百花園跡地に再配置され、「森の歌」はブロンズで鋳造され9条広場に移設された。

百花園跡地である香りの広場を後にして、木下成太郎像に向かう。第二次世界大戦が終結して70年たつ。日本は戦争で人だけでなく、多くの美術品をも犠牲にしたが、日本美術界の重鎮であった朝倉文夫のブロンズ像400点余も、戦時中の金属供出のためにつぶされた。

そして大砲などにされ、そのほとんどが失われた。この様な状況の中で、木下成太郎像が台座・基壇と共に、残されたことは、奇跡と言ってもよいと思う。いずれは豊平館、八窓庵に次ぐ中島公園第三の歴史的資産として社会的にも認められるのではないかと期待している。


木下成太郎像から菖蒲池に向かって歩くと、右側に名木ハウチワカエデ”舞孔雀(まいくじゃく)”がある。豊水通にあった料亭「雅叙園」の玄関脇に植えられたものだが、廃業にともない公園に寄贈された。

舞孔雀は公園で一番の場所に移植されたが、周辺の変化により、今では余り目立たなくなっている。ところで文学館の向かいにはヨーロッパクロマツが3本植えられているが、そこが雅叙園の跡地である。

以上で、自然・歴史・文化を散策する1時間30分の小さな旅が終了した。毎度ながら拙い案内で申し訳ないのだが、大好きな中島公園を案内する機会を与えられたことを心から感謝!


桜蔭会北海道支部の皆様、中島公園訪問有難うございました。

2015年10月1日たびらい北海道で中島公園特集

旅行の総合サイト「たびらい」よりインタビューを受けた。その話を元に「中島公園 文化と緑あふれる札幌のオアシス」のページが作られた。私の役は「中島公園の達人」新参者で達人とは程遠いので恐縮。


意外と知られていないその歴史や楽しみ方→中島公園札幌のオアシス

2015年9月28日 鴨々川界隈の雑誌「ぼけっと」2号に執筆

「Bocketは、鴨々川から札幌を眺め、札幌から日本を眺めるための、日本一『狭く深い』雑誌です。足元から歴史を発掘し、札幌でしかつくれない文化の風を起こす。そんな一冊でありたいと思います。
(Bocket編集長敬白 山田航から)」

1ページだけだが書かせて頂いた。テーマは数年前から関係者の注目を浴びている「木下成太郎像」について。1941年当時東洋のロダンと言われていた朝倉文夫の作品である。戦時中の金属供出で殆どの朝倉作品はつぶされて兵器にされた。

その様な環境の中で奇跡的に生き残った作品が中島公園に存在する。「木下成太郎像」である。国指定重要文化財の豊平館及び八窓庵に次ぐ、第三のお宝になるかもしれない。最近それを期待させる動きがある。

2015年8月4日 彫刻「猫とハーモニカ」の補修作業


札幌彫刻美術館友の会では5年前に第1回目の「猫とハーモニカ」補修作業を行い、今回は2回目。軽作業なので高齢の私も参加している。
詳細はこちらをクリック → 「猫とハーモニカ」の補修

2015年7月11日 スイーツの「中島パフェ」よみがえる

テラスレストラン・キタラの「 懐かしスイーツ」のチラシを撮影。

「Webサイト『中島公園パーフェクトガイド(略称:中島パフェ)』から誕生したパフェ。季節のフルーツと”鴨シュー”が乗ったキタラのオリジナルパフェです」と書いてある。待望の「中島パフェ」が4年ぶりに本格復活した。札幌パークホテル1階 「ピアレ」でも販売中。
詳細はこちらをクリック → 「中島パフェ」ついに再登場!

2015年7月3日 オシドリ親子池スイスイ、道新取材に協力

巣立ったばかりのオシドリ親子の長期滞在は初めてと思う。

オシドリの母鳥がヒナ11羽を連れて中島公園に現れた。極めて珍しいことなのに新聞報道がない。北海道新聞にメールで知らせたら女性記者がカメラマンと一緒に来てくれた。 詳細→ オシドリ親子のランデブー

2015年6月10日 「山鼻、あしたもいい天気!」にゲスト出演

久しぶりにラジオカロス・サッポロのスタジオに行った。

地元、山鼻の番組「山鼻、あしたもいい天気!」で、中島公園関係の話をした。6月6日に巣立ったばかりのオシドリ11羽が母に連れられて現れた。こんなことは、私が知る限り初めてのこと。この話題を中心に「札幌まつり」や札幌コンサートホール・キタラの大改修について話した。

2015年4月1日 『広報さっぽろ』中島公園特集インタビュー


『広報さっぽろ』の中央区版で中島公園特集。「中島パフェ」管理人としてインタビューに応じた。内容は「中島公園は人々を引きつける魅力がいっぱい!」という囲みの中に掲載された。中島公園の魅力について散歩者の目線で語ったつもりだが、PRになれば幸いである。

2015年4月 JP01札幌あそび誕生の地中島公園、再興

札幌のあそび場のルーツは中島公園に、もう一度にぎわいを。

特集「笑顔、結び合う街 札幌」の取材に情報・写真提供で協力。遊びのルーツとして中島公園の歩み、将来的に期待するイベントとして「鴨々川ノスタルジア」について紹介されている。JP01(ジェイピーゼロワン)とは札幌 地域新聞ふりっぱーの総合商研が発行する、北海道を応援するフリーマガジン。季刊5万部発行。

2015年4月4日 北海道ファンマガジンのMさんをご案内


地下鉄中島公園駅前で待ち合わせ中島公園内を散歩でもするように案内した。この天文台は1958年開催の「北海道大博覧会」で雪印乳業館として建てられた。当時は中島公園から天の川が見られたという。

2015年2月 札幌市中央区のフリーマガジン『まちのモト』

ラジオカロスの番組「山鼻、あしたもいい天気!」が取材を受けた。

この番組には4年くらい関わったことがある。「ラジオなかぱ」と言う番組名で中島公園の話をしていた。辞めた後は番組代表のYさん(28歳、画像右上)が「続ラジオなかぱ」として引き継いでくれた。取材に来られたのは以前「札幌まちあるき博物館」でお会いしたコピーライター・プランナーのTさんだった。取材以外にラジオ仲間とか、久しぶりの出会いもあり話が弾んだ。

2015年1月 航空管制協会誌に中島公園の写真提供


北海道の片隅でひっそりと暮らして居る元管制官にとってはとても嬉しいことだった。「中島パフェ」を見つけてくれたことに心から感謝。3枚の画像には次のような説明書きが付いていた。

「昨年11月15日、秋と冬の間の中島公園」「札幌コンサートホール・キタラ前広場、札幌も傘をさす人が多くなった」「中島公園で歩くスキー@2015年1月4日」。退職して既に14年、覚えていてくれて有難う。これもネット社会のお蔭かも知れない。

年刊誌『Bocket』に中島公園の歴史について執筆


「鴨々川ノスタルジア」の詳細は『ぼけっと』の特集記事に全てが掲載。英文字で『Bocket』、すすきの・鴨々川界隈をぼけっと愉しむための年刊誌。イベントの実行委員長はgallery鴨々堂の石川さん。「鴨々堂」は古民家を改造したもので、石川さんは一級古民家鑑定士で鴨々堂店主。
動画→ 「 鴨々川ノスタルジア×石川圭子 」特別インタビュー
関連フェイスブック→ 鴨々川ノスタルジア公式facebook

2014年6月21日 桜蔭会が公文書館見学と中島公園散策

桜蔭会(お茶の水女子大学同窓会)北海道支部の12名の方々が札幌市公文書館を見学した後で中島公園散策に訪れてくれた。

本当はここで、桜蔭会の方々の集合写真を撮らせて頂きたかったが忘れてしまった。塀の向こうはマンション建設予定地である。この風景を見られるのもこれで最後と思い記念に撮って置きたかった。建設告知を示す看板には2014年6月建設予定と書いてある。

公文書館では「開道50年記念博覧会」、百花園、競馬場、子供の国、岡田花園、日本庭園、八窓庵、菖蒲池等の資料を閲覧したと伺ったので、現存する日本庭園、八窓庵、菖蒲池を含めた散策をすることにした。

11時過ぎから約1時間、中島公園を散策に同行し必要に応じて説明させて頂いた。水天宮、童話の道、彫刻「森の歌」、児童会館と人形劇場こぐま座、菖蒲池、日本庭園、八窓庵、豊平館、札幌コンサートホール・キタラ、白鶴橋、彫刻「風景の夢」、ケヤキ(公園一の大木)、弥彦神社の順に散策した。

中島公園に関する雑談をしながらの散策は、私にとっては楽しいものだったが、反省する点も多かった。知識を積み上げ、話す技術の向上は勿論だが経験も必要と感じた。二歩前進一歩後退のつもりで少しずつ進んで行きたいと思う。

先ずは人様の案内をよく聴こうということで、札幌建築鑑賞会が主催する「大人の遠足」に参加することにした。歴史の面影を色濃く残す薄野を散策すれば得るものもあるだろう。どのように案内するか見て聴いて「ナルホド、ナルホドこんな風にやればいいんだな」と納得したい。

2014年6月18日 「ペラペラ勉強会」中島公園研修に協力

午前中、中島公園内を水天宮、森の歌、こぐま座、菖蒲池、八窓庵、豊平館、天文台、キタラ、白鶴橋の順に歩いた。画像は「ペラペラ勉強会」の皆様。

「ペラペラ勉強会」の方々は英語を使って日本、北海道を紹介することを目的に学んでおり、年2回は外に出て実地研修を行っている。今回は中島公園ということで協力することになった。

私も道案内を兼ねて簡単な説明をした。しかし、基本は会員が交代で英語で説明することにある。ご案内といいながら、実際は皆様の英語に耳を傾けることが多かった。

話すことも書くことも出来ないが、聴くことと読むことは少しだけ出来るつもりだ。英語での説明や質問、道々雑談など、楽しい2時間だった。帰りに皆さんが書いた英文の案内文コピーを頂いた。とてもあり難い。一生懸命読んで中島公園の案内に役立たせたいと思っている。

2014年5月25日 丘珠空港ビルで中島公園歴史講座

11時30分からの産直市、12時30分からのロピーコンサートに続いて地域歴史講座で中島公園について語る。参考チラシはこちら→ 第16回地域歴史講座

中島公園の歴史中島公園三十三選について話したが、量が多すぎた。

大胆に内容を絞り、分かりやすく話すことが大切と痛感した。経験は宝、経験は最上の先生。コツのようなものを掴んだような気がする。

静かに聴いてくださった皆様と、この様な場を与えたくれた主催者に感謝し、なんらかの形で恩返ししたいと考えている。

2014年2月27日 山鼻小学校で中島公園の出前授業


小学4年生70名を前にして中島公園の話をした。こんな嬉しいことはない。なぜなら「中島パフェ」開設の目的は次世代への継承。中島公園をより良い状態に維持して次の世代に引き継ぎたいと思っている。

地元の小学生に中島公園は面白い所と思ってほしい。そういう趣旨で話したが、生徒たちの注意を引き付けるため珍しい画像も用意した。何ぶん初めてのこと、少しでも興味を持ってもらえればと願っている。

この出前授業は「4学年の総合的な学習の時間において『中島公園について知ろう!』という学習にかかわる」ものと伺っている。


小学生に話す経験はないので画像を使って説明することにした。年齢差を考えると言葉に不安があったが行儀よく聴いてくれた。スライドショーで「ゆきあかりin中島公園」が映ると微かなどよめきが起きた。ちょっと喜ぶ

何よりも嬉しかったのは質問が沢山あったこと。1918年開催の開道50年記念北海道博覧会に関する質問もあった。これは事前に勉強してなければ出来ないこと。そして菖蒲池はいつ命名されたのかとか私自身疑問に思っていることも質問された。小学4年生が郷土について勉強していることを知り頼もしく思った。


「開道50年記念北海道博覧会」中島公園で開催。札幌市公文書館所蔵

後ほど送られた感想文により、多くの生徒さんが「幻のオリンピック」の話に興味を持ち、覚えていてくれたことが分かった。

1940年開催予定の第5回オリンピック冬季大会は札幌に決まったが、戦争の為中止。中島公園のオリンピックは幻におわった。

中島公園はスケート会場として、スピード、ホッケー、フィギュア競技が開催の予定だった。着々と準備が進む中での中止である。

もし予定通り開かれていたら、その後の中島公園は変わっていただろう。

生徒さんと一緒に残念な思いを共有できたことは一つの収穫と思っている。なぜならオリンピックが出来るということは、曲がりなりにも平和の証なのだ。因みにオリンピックは1940年に引き続き1944年にも中止。この間に起こった第二次世界大戦の被害者総数は5千万~8千万人と言われている。多すぎて正確な数は不明なのだ。
オリンピックの画像は札幌市公文書館所蔵

全国的にみて札幌は人気の高い都市だが、中島公園の人気はいまひとつである。2011年9月の北海道新聞によると1位が大通公園で、ラーメン横丁、時計台と続き中島公園は圏外。ある専門家は公園設計が不人気の原因と指摘する。

逆に言うと伸びしろの大きい公園。風光明媚で交通便利と立地はよい。一方、欠けているのが近隣住民や札幌市民の声と思う。しかし、数年前から中島公園の魅力を見直す動き出始めている。

街づくりは息の長い事業だから、実際に活躍するのは今の小学生くらいと思う。札幌市が観光都市を目指すなら立地と歴史からみて中島公園は欠かせない。この時期に小学校の授業を手伝えたことは意義深いと思う。

2013年12月25日 問題点について専門家の話を聴く

中島公園について専門家の意見を聴く機会は意外に少ない。貴重な経験と考えるのでここに掲載。活動の指針にしようと思っている。

2013年12月25日16時~18時、東京のS大学、K教授とPホテルでお茶を飲みながら中島公園について話し合う。先生の専門は造園学で自然公園の計画・管理・運営上の課題についても研究している。


1982年の中島公園、平成の再整備以前。 札幌市公文書館所蔵

今回は中島公園の調査研究にとりかかる為に札幌に来られたと伺った。今後の参考に内容について覚えている範囲でメモして置くことにした。

街の近くに菖蒲池と藻岩山、そして扇状地を流れる鴨々川。風光明媚ということで公園になった。それを守るにはキチンとした設計が必要だが今はない。百年前にはあったが無原則に変化したので再設計が必要となってしまった。

日本人初の公園デザイナーと言われた長岡安平が設計したのは、中島遊園地から中島公園と名を変えた1910年頃のことである。その後、博覧会が官主導で繰り返し開催された。施設が出来ては消えた。これが繰り返された。

明治以後の中島公園変遷については誰がどのような理由で変えたか分からない。それを知るために重要な古文書は個性的な字で書かれていて一部の高齢者しか読めない。その上、読める人が次第に減って行く。これが問題である。

平成の再整備についても、誰がどのような意図で行ったか分からない。どのような経緯で公園が変化してきたのか具体的なことが分からない。それが分かれば、これからどうするかも考えられる。肝心なのは具体的なやり取りである。

公園の全体像が出来ていない。体育センター、管理事務所、キタラ、文学館、児童会館、大中食堂、売店ミドリ(花月)、それぞれバラバラにある。公園の設計に統一した考えが必要である。

何となく空地に施設を建てる。あるいは移動した施設の跡地に造ることを繰り返しているようだ。例えば弥彦神社横の太い道路はなにか? スポーツセンターがあったころの車の出入りに関連して造られたのだろうか。その他諸々。

先ず、公園をキチンと設計して造ることが先決。公園全体のデザインを再検討する必要がある。行政は市民が騒がないと何もやらない。中島公園を大切に思う近所の住民が中心になって運動を起こすことが大切である。しかし、公園周辺は比較的新しいマンションが並んでいる。運動が起こりにくい環境である。

記憶を頼りに聞いた話を纏めた。無駄話は一切しないで、2時間にわたり中島公園の話を拝聴した。ここには書き切れないが、私が一番重要と考えたことを纏めたつもりだ。間違い勘違いを含むと思うので仮名とした。

2013年8月15日 中島パフェ開設10周年は札幌人図鑑で

2003年3月に「中島パフェ」を開設して10年たった。何か記念になることをしたいと思っていたら幸運にもインタビューを受ける機会に恵まれた。中島公園、中島パフェ、札幌観光について思いっきり話した。

三つのテーマ: 1.変遷を重ねた中島公園 2.中島パフェ物語
3.札幌市を縦軸と横軸で考える。
動画 → 札幌人図鑑第441回中島公園パーフェクトガイド
札幌人図鑑補足説明(ボランティア団体等) → 札幌人図鑑補足説明


口下手ですが、福津京子さんの話術に引き込まれ楽しく談笑。

「中島パフェ」活動の歩み概略 2003~2012年

日本人男性の平均寿命を80歳とすると残り僅かの人生だ。それでは足りないので20年付け足すことにした。ベートーベンの第九は「合唱付」と聞いている。ならば私の人生は「オマケ付」にしたい。

せっかくのオマケ、遊んでいてはもったいない。 人生の第4楽章はアンダンテかな?「歩くような速さで」行こうじゃないか。 とか考えながら「中島パフェ」の更新に精を出している。 そして10年たった。

2003年~2009年の歩み 恥かきながら一生懸命PR

読売新聞

札幌テレビ

北海道新聞

UHBテレビ

2003年3月、「中島パフェ」を開設してみたものの殆どアクセスがなかった。この状態は2004年11月、Yahoo!Japanのカテゴリに掲載されるまで続いた。その後、札幌テレビ(STV)に台風の写真を掲載したり、読売新聞のインタビューなどを受ける機会に恵まれ、アクセスも徐々に増えてきた。

頼まれれば「待ってました!」とばかりに何でもやった。出来るとか出来ないとか考えたこともない。中島公園に関することなら何でも引き受けた。まるで「中島公園教」の信者みたいだ。振り返れば恥多き人生を歩んで来たものだ。
なんともせわしない6年間だった。→「中島パフェ」の活動記録

2010年~2012年の歩み 地に足をつける

中島の資産活用

ゆきあかり中島

ぶらり写真旅

彫刻劣化防止

もっと地に足がついた活動をしたいと思い、PR中心の活動に終止符を打つことにした。目標は役に立つサイトだが未だ手ごたえを感じない。とりあえず、公園内のイベントや彫刻・鴨々川清掃等の手伝いをした。

見え難いのだが中島公園内に多くの歴史的資産がある。そして中島公園自体が歴史ある公園と言われている。そこで「中島パフェ」のこれからのテーマは歴史と決めた。

さっそく明治時代の歴史から調べてみた。競馬場、岡田花園と調べを進める内に歴史をテーマにすることがいかに難しいことかに気が付いた。

情報を収集し真偽を確認、証言を集めて整理する作業は素人の私には無理と思った。こんな風に決めたことを直ぐに変えたりするのは好くないと思う。しかし、残り少ない人生だから時間は有効に使いたい。自分に何が出来るかよく考えてみた。

2013年より 活動のテーマは「21世紀の中島公園」

考えは色々変わったが、中島公園を良好な状態に維持して次世代に継承する。これを目的としてHP「中島パフェ」の更新を続けることだけは変わらない。

幸い私には三つの優位性がある。それは時間・場所・時代である。自由に使える時間を沢山もっているし、取材対象である中島公園に隣接して住んでいる。そして、2001年すなわち21世紀初頭に中島公園の近所に転居して現在に至っている。

こんな理由でテーマは「21世紀の中島公園」決めた。しかしながら中島公園は歴史ある公園、20世紀あっての21世紀、連続性という部分では昔からの歴史は欠かせない。札幌市公文書館も発足したことだし出来るかぎり調べてみたいと考えている。

中島公園における札幌彫刻美術館友の会(友の会)の活動

友の会は、札幌を中心とした北海道全域が活動範囲としているが、中島公園でも野外彫刻の調査・清掃、劣化防止作業等、継続的に活動している。

その他、いろいろなイベントも開催。私も会員として手伝っている。そのとき撮った写真を、ここに説明抜きで掲載した。雰囲気だけでも感じて頂ければと願ってのことだ。下の画像を見ると藻岩山あっての中島公園とつくづく思う。


1.笛を吹く少女とあそぼう!


2.野外彫刻清掃


3.パンフルート・コンサート


4.さてなんでしょう?


5.シンポジウム「北の彫刻」


6.彫刻クイズラリー



7.ゆきあかりin中島公園


8.中島中学「協力の像」清掃


9.野外彫刻劣化防止作業


10.うべ彫刻ファン倶楽部


以下、補足説明

札幌人図鑑へのリンクはこちら → 札幌人図鑑第441回「中島パフェ」

札幌人図鑑補足説明(SSN,友の会,山鼻明日もいい天気)

話の中で出た団体名について説明の必要を感じたので補足説明。

NPO法人札幌シニアネット(SSN)

「学びあい、支えあい、助け合って豊かなシニアライフを!」が理念。学習会(パソコン等)・クラブ活動(趣味とスポーツ等)が活発。フォーラム(会員の関心の高い話題について学ぶ場)を毎月開催。パソコン学習会講師派遣、福祉施設との地域ふれあい等、社会貢献活動へも積極参加。

中島公園との接点としては「鴨々川を清流にする会」の参加団体。
会員数約600名。 詳細はこちら→NPO法人札幌シニアネット


「クリーン鴨々川清掃運動」に参加。中島公園で開会式を待つSSN会員。

SSNは会員同士の助け合いで成り立っているので、会の運営を手伝うことは会員の義務と思っている。しかし現在は多忙の為お世話になるばかり。出来るだけ早く「中島パフェ」を軌道に乗せて、助け合いの輪の中へ復帰したいと思っている。

札幌彫刻美術館友の会(友の会)

野外彫刻の清掃・保全や解説などを定期的に行いながら、「街中の美を守ろう」運動を推進し、市の文化的財産を守る市民ボランティア団体。

中島公園との接点としては「鴨々川を清流にする会」の参加団体、「ゆきあかりin中島公園」及び「かもくま祭」実行委員会の参加団体。独自に「野外彫刻劣化防止作業」を実施。会員数約120名。 
詳細はこちら → 札幌彫刻美術館友の会

2010年10月17日「シンポジウム北の彫刻」を主催。

札幌パークホテル・パークプラザで開催。詳細 → シンポジウム北の彫刻

友の会は札幌を中心に手広く活動しているが、私自身は今のところ多忙の為、中島公園内の活動を手伝っているだけ。余裕出来次第、少しずつ活動の場を広げたいと思っている。

「山鼻、あしたもいい天気!」ラジオカロスサッポロ78.1MHz

地元山鼻の人たちによる、中島公園を含む山鼻の楽しい話題を中心に8組のパーソナリティが毎週交代で送る番組。2006年4月放送開始。

中島公園との接点はズバリ「ご近所」。情報を発信したり受けたり、ときには一緒に活動したりする関係。
参考:2010年の内容だが → 山鼻、あしたもいい天気!番組ブログ


当時、円山にあったラジオかロスサッポロのスタジオで生放送中。

2006年4月より4年間参加したが2010年4月の放送が最後となった。夜のナマ放送なので加齢による体調不良で退く。私の担当していた番組は若い人に引き継がれ、時々ゲストとして呼んでもらっている。


初めての方でも掲示板書き込み歓迎、メール大歓迎!

説明抜きで写真を並べてみました。質問があればいいなと思って、わざと説明は抜かしました。上の画像はただの呼び水。中島公園のことでしたら何でもいいですから自由に書いてください。 個人サイトですからお気楽にどうぞ。
下の「掲示板」「メール」のタブをクリック!

中島公園パーフェクトガイド
2016年11月23日更新

活動記録一覧(リンク集)

活動の記録をリンク集として纏めました。私がやって来た事の一覧です。職探しに例えれば履歴書の様なものです。中島公園を知ってもらう為のボランティア活動の場を求めています。その参考になれば幸いです。

2003年

「中島パフェ」開設

2004年

YAHOO!JAPANカテゴリに掲載
  Yahoo!カテゴリ/アウトドア/公園
STVに取材協力(写真とコメント)

2005年

読売新聞で中島公園菖蒲池を語る
「ススキノ氷の祭典」で氷像制作協賛
地元山鼻のラジオ番組に出演
「雪まつりWS」で市民委員として活動
山鼻新聞「中島公園親子鴨観察」
中島公園を北海道遺産に指定へ    

2006年

「北海道新聞」取材協力と写真提供
地元のラジオ「山鼻あしたもいい天気」
初めての中島公園探鳥会

2007年

ラジオなかぱ「パソコン絵日記」
ラジオで中島公園に関する意見広告放送
山鼻新聞「中島公園風土記」

2008年

北海道ウォーカーで「中島パフェ」発見
北海道新聞に「中島パフェ5周年」記事
第1回中島公園野外彫刻清掃
国際プラザ観光ボランティアご案内
山鼻新聞「公園モニュメント研究会」

2009年

道新コラム「朝の食卓」執筆開始(2年)
「宇部彫刻ファン倶楽部」来園
ノボテルに「中島パフェ」登場
UHBテレビで花火の穴場ご案内
第4回野外彫刻清掃と作家による解説
会報誌Kitara Clubに写真提供

2010年

「菖蒲池の団欒」シアターZOOで上演
宇部市長中島公園で彫刻視察
第6回野外彫刻清掃、米国人も参加

2010年9月~2012年8月
市民活動サポ-トセンタ-「札幌まちづくり総合情報ポ-タル」運営委員 
ホームページ作成の勉強になった。
HP→札幌市市民活動サポートセンター

シンポジュウム北の彫刻@パークホテル
道新コラム朝の食卓18回執筆終了

2011年

第5回ゆきあかりin中島公園
「鴨々川・野外彫刻清掃」 合同開催

彫刻「母と子の像」劣化防止作業
第1回彫刻クイズラリー(児童対象)
猫とハーモニカ「パンの笛」演奏会
「Kitaraあ・ら・かると」友の会協力
中島公園シンポジウム開催
パンフルート演奏会 (児童会館)

2011年12月~2012年1月
「中島公園三十三選選定委員会」
委員として選定作業に参加 選定結果 → → 中島公園三十三選決定

2012年

中島公園ぶらり写真旅(撮影会)
中島公園でポロクル
天文台で日食観望会
鴨々川・野外彫刻清掃SSN参加
彫刻劣化防止作業「笛を吹く少女」
笛を吹く少女とあそぼう (友の会)
中島公園そぞろ歩き(豊平塾で講義)
中島中学の彫刻清掃(友の会協力)
鴨々川・野外彫刻清掃(高圧洗浄機)
見どころ探訪ツアー「青柳庵日記」より

2013年

2013ゆきあかりin中島公園
中島公園そぞろ歩き(友の会主催)
「2013かもくま祭」に友の会初参加
「野外彫刻保全作業」友の会が実施

友の会=札幌彫刻美術館友の会

活動記録関連リンク

活動記録詳細(テキスト版)
札幌市公文書館

画像で見る「中島パフェ」の活動記録

「中島パフェ」に関すること、参加した中島公園内ボランティア活動、及び協力したイベント等についての画像を掲載。

2003年3月25日「中島パフェ」開設


左上のパッフェは正しくはパフェ。

2004年11月18日Yahoo!カテゴリ登録

2004年12月30日STVどさんこワイド


2004年の年末特別番組、台風18号。

2005年1月15日読売新聞取材協力


「水紀行」で中島公園について語る。

2005年2月7日すすきの氷の祭典協力


左の白い服は「すすきの氷の女王」様。

2006年1月6日北海道新聞取材協力

2005年~09年「山鼻新聞」編集委員


2009年経費の都合で惜しまれつつ廃刊。

2006年11月23日中島公園探鳥会


この日だけで17種の野鳥を確認。

2006年~10年 地元のFMラジオ


2ヶ月おきに中島公園の話をした。

2007年2月継続ゆきあかりin中島公園


毎年2月上旬開催、2013年で第7回。

2008年10月11日 中島公園ご案内


国際プラザの観光ボランティアの皆様。

2008年~10年キタラ会報誌の裏表紙


「中島公園の四季」を連載。写真提供。

2008年5月13日北海道ウォーカー掲載


↑これを見た道新記者が取材に来る。↓

2008年5月31日道新にHP紹介記事

2008年より毎年2回継続中 彫刻清掃


2011年より鴨々川清掃と同時開催。

2009年4月20日うべ彫刻ファン倶楽部


「札幌彫刻美術館友の会」が案内。

2009年7月24日UHBで花火の穴場紹介


中島公園の花火スポットをご案内。

2009年7月7日ノボテル札幌中島パフェ


2009年夏より2011年春まで発売。

2010年8月7日宇部市長が彫刻視察


真ん中のスラリとした女性が市長。

2010年10月17日シンポジウム北の彫刻


札幌彫刻美術館友の会主催のシンポ。

2011年10月22日中島公園シンポ2部


シンポ2部は公園見学ミニツアー。

2012年3月4日 中島公園ぶらり写真旅


「札幌まちあるき博物館」のイベント。

2012年7月26日 創造学園で講義

創造学園豊平塾で講義で中島公園に関する話をした。テーマは「中島公園そぞろ歩き」 14時~16時 札幌市月寒公民館 塾生70名。彫刻を巡る中島公園散策。「札幌彫刻美術館友の会」主催の彫刻清掃、彫刻劣化防止作業、その他中島公園全般についての活動を中心に紹介。

2012年8月2日 中島中学の彫刻清掃


札幌彫刻美術館友の会が技術指導。

2013年2月 演劇「菖蒲池の団欒」


中島公園の菖蒲池が舞台「春の夜想曲」

 
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