2008年までは真駒内がスタートで中島公園がフィニッシュだったが、2009年からは中島公園がスタートで大通公園がフィニッシュになり、2012年からは大通発着となり中島公園はコースに隣接するだけとなる。
公式サイト → 北海道マラソン

思い出のマラソンは中島公園がフィニッシュの時代

フィニッシュ時代のリンクの一覧、2008年 2007年 2006年
2005年 2004年 2003年 2002年 中島公園が華やかだった。

2022年8月28日 三年ぶりに北海道マラソン

2020年・21年とコロナ禍のため中止された。3年ぶりに実施、大通公園発着、中島公園北東側を通過 → 2022年8月28日 北海道マラソン

2020年の北海道マラソンは休止

3月下旬、東京オリンピックの2021年への延期に伴い、北海道マラソンは休止。2021年の大会については五輪の日程にもよるが未定。(2020.4.28記)

2019年8月25日 北海道マラソン(仮装ランナー)


偶然30年ぶりに知人に会った! →2019北海道マラソンの仮装ランナー

2018年8月27日 北海道マラソン

台風が近く天候が心配されたマラソン開催だったが、当日は夏にしては少し涼しい天候に恵まれた。今回は中島公園を出て駅前通を逆に歩いてみた。今回は仮装ランナーに注目。 詳細 → 2018北海道マラソン

2017年8月27日 北海道マラソン

駅前通から豊水通までを撮って歩いた。


今年は参加者も最大、札幌パークホテルの横はランナーで埋まった。


先頭集団には単車に乗るカメラマンが付いている。


後ろの方には仮装ランナーも。 詳細→北海道マラソン2017

2016年8月28日 北海道マラソン

中島公園に近い幌平橋を走るランナー。


札幌の母なる川、豊平川と藻岩山が見える幌平橋。


内外の一流選手が走る先頭集団。


乳母車を押す女性の姿も見えた。 詳細→2016北海道マラソン

2015年8月30日 北海道マラソン(豊水通通過)

今年は豊水通を走る仮装ランナーを中心に撮ってみた。

先頭集団は9時6分くらいに豊水通を通過した。


スターとしたばかりなので仮装ランナーも全部見れる感じだ。


ランナーも元気で明るい。ランナーの行列は30分間も続いた。
一部始終はこちらをクリック! → 2015北海道マラソン(画像)

2013年8月25日「2013北海道マラソン」中島公園横通過

9時、大通西4丁目スタート、ゴール地点大通西8丁目

駅前通地下鉄中島公園駅、豊水通地下鉄幌平橋駅通過

大通から駅前通を真っ直ぐに中島公園まで来る。1.3Kmだから、9時ちょっと過ぎには先頭集団が来てしまう。しかし大人数なので最終ランナーまで30分はかかるだろう。左に曲がって右にまわり豊水通を抜けて幌平橋に向かう。

今年は太陽を背に幌平橋交差点辺りで撮りたいと思う。因みに1万5千のランナーが通過する予定。今まで最高の人数である。
北海道マラソンの詳細はこちら → 北海道マラソン公式ページ

2012年8月26日から北海道マラソンは大通発着

そして2012年からは大通公園発着となる。スタート時刻も朝の9時に変更。テレビの全国中継はなくなる。かっては中島公園のメインイベントだった北海道マラソンも、今は思い出の一ページとなってしまった。


中島公園での北海道マラソンは終わった。豊水通を走るランナー以外、誰も写っていない。今まで見たことのない中島公園のマラソン風景。以前なら中島公園中、人であふれていた。今はただ通り過ぎていくだけ。

大通から直ぐに中島公園に向う

スタートの大通公園から駅前通を真っ直ぐに走って中島公園まで来る。距離は1.3Kmだから、9時ちょっと過ぎには公園前に来てしまう。団子になってスタートしたランナーが少しはバラけて来るころだ。中島公園がスタートだった時代より見易いかも知れない。しかし、フィニッシュだったころの賑わいはない。


中島公園スタートだった去年のトップ画像に比べると、ランナーもバラけている。2009年から3年間はスタートで、それ以前はフィニッシュだった中島公園。大通発着となった2012年以降、マラソンは過去の思い出の一つとなった。

次々に消えていった中島公園のイベント、ついにマラソンも

振り返ってみれば中島公園を賑わせた多くのイベントが殆ど痕跡も残さないで消えていった。競馬、各種博覧会、氷上カーニバル、スケート大会、水泳大会、プロレス、サーカス、都市対抗野球等、数え上げればきりがない。

ここで行われたイベントを時代順に語れば、札幌の歴史を説明することが出来る。ついに北海道マラソンも、その一つに加えられることになった。


中島公園の北海道マラソンは終わった。「サヨウナラ北海道マラソン」の気持ちを込めて最終ランナーを撮らせてもらった。


まだ誰も乗っていない模様の収容車。リタイアしたランナーを乗せる車。中島公園も「北海道マラソン」のお世話からリタイアした2012年。

中島公園が関わった2011年以前の「北海道マラソン」


20011年8月、中島公園での最後のマラソン。スタート直後の豊水通。

中島公園がスタートの時代(2009年~2011年)

長い間、真駒内スタート中島公園フィニッシュだったが2009年からスタートに変わり、フィニッシュは大通8丁目になった。スタートするランナーで賑わう2009年の様子を紹介。制限時間が緩和され、5時間になり参加ランナーも大幅に増えた。2010北海道マラソンの詳細はこちら→ 北海道マラソン

スタートは中島公園東側の豊水通、文学館前より幌平橋に向う


豊水通でスタートを待つランナー。 市街地を巡り、緑いっぱいの北海道大学キャンパスや北海道庁赤レンガ庁舎前を通り、大通公園にゴールしする。


道路を埋め尽くすランナー。中島公園東側をスタートすると、左折して幌平橋を渡る。更に右折して中の島通りへ。


スタートしてしばらくは大きな集団だ。転倒しないように注意が必要。

マラソンを観る人、仮装して見られたい人


観る人の代表は報道陣。テレビ、新聞、ラジオの勢ぞろい。


花火もそうだがマラソンも我家から観るのが一番楽だ。携帯構えてマラソン見物。ここに住んでいれば、夏はマラソンと花火が楽しめる。


中島公園がスタートになってからは仮装ランナーをよく見るようになった。フィニッシュのときはほとんど見ることがなかった。制限時間が4時間から5時間に変わったせいかも知れない。走ることより見られることが好きなようだ。

北海道マラソンを支援する人々


スタートは12時10分だが準備のため、朝早くから多くの関係者が中島体育センター前に集まって来る。 


救護所や給水所など、も用意されている。大会には多くのボランティアが支援に関わっている。


中島公園がフィニッシュからスタートに変わって大きく変化したのが、仮設トイレの建設だ。いくら建てても、この行列。 

マラソンの経験がないので分からないが、あんなに汗をかいても出るものは出るのだろうか。それとも少しでも体重を軽くして置きたいのかな?


豊水通の東側から中島公園を見た図。先頭は上位競技者ブロック。中島体育センターと文学館で位置関係は分かると思う。

中島公園パーフェクトガイド
2022年8月28日更新
中島公園パーフェクトガイド
札幌市中島体育センター

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2007年北海道マラソン中島公園着
2006年北海道マラソン中島公園着
2005年北海道マラソン中島公園着
2004年北海道マラソン中島公園着
2003年北海道マラソン中島公園着
2002年北海道マラソン中島公園着

想い出の北海道マラソン

2008年までは、中島公園がフィニッシュ。これは2006年の思い出の記録である。


ゴールの向こうは自由広場。到着したランナーを支援する諸設備が整っている。


中島公園には観覧席があり、その前にはテレビの大画面がある。現に走っているランナーの姿がテレビで見れるのが面白い。

優勝男子渡辺共則、女子吉田香織

中島公園内で展開された、ドラマを中心に伝えたいと思う。

渡辺選手はゴールが迫ってから猛然とスパートし、2秒差でゴール。中島公園を舞台に緊迫したドラマを作ってくれた。


2位に大差をつけた吉田選手だが「勝利を確信したのは中島公園に入ってから」だそうだ。そんなものかも知れない。

完走者は半数以下の過酷なレース

炎天下の12時10分スタート。5kmごとに設けられた「関門」を決められた「閉鎖時間」までに通過しないと失格。マイペースは許されない過酷なレース。4,800人以上参加したが、完走者は2,203人に留まった。

このレースを引退の花道に選んだ千葉選手は11位ながら、笑顔のゴールイン。

「ゴール前の中島公園は自分の舞台にしたい」と誓った堀江選手は途中棄権。姿を見ることはできなかった。

UHBは約220人のスタッフを動員


全国ネットで実況中継するUHBは、ハイビジョン衛星利用の情報収集中継車、バイクカメラを含め、約30台のカメラを投入。


上空からのヘリコプターと共に立体的に報道された。ここは文学館前。


ラジオはFM北海道AIR-Gが全道に実況中継。リポーターは「選手の息遣い、どきどき感も伝えたい」と張り切っている。

中島公園内のコースでは、応援する人と選手との距離が非常に近い。「どきどき」はともかく、息遣いははっきり聞こえる。


北海道マラソンは男女同時スタート。今回は24番目に女子優勝の吉田選手が入った。

全体で4800人以上の参加だが、吉田選手より早い男子は23人しかいないのだ。

20年間のドラマいろいろ

北海道マラソンも20回目。第3回目、最初に中島公園のゴールに飛び込んだのは、首を右に傾ける独特のフォームの谷口選手。

第9回は有森選手の復活の圧勝。第17回では人気モデルの長谷川理恵さんが出場。22キロ付近で熱中症のため棄権。第19回には千葉選手、初の連覇があった。

炎天下の過酷なレース

30度の炎天下に繰り広がれる過酷なレース。ランナーは大変だが、日頃鍛えていない見物人にとっても過酷レース。


鴨々川で水遊びをする子供たち。


日陰で涼をとる大人は何となく疲れた感じ。観覧席の下は風も通り快適。マラソンもちゃんと見える。

20年の内、30度以上は4回あった。一番暑かったのは1994年31度。寒かった日は2004年17.5度、小雨。

多数のボランティアが大会をサポート

全体で2000人の「自主警備員」が沿道に立つ。北海道マラソンクラブは100人が協力。500人は道新販売店からの参加。

中島公園では医療、マッサージ、ボーイスカウト等のボランティアが大活躍。医療ボランティアは医師14人、看護師90人、理学療法士40人、同学生ボランティア40人。

マッサージ担当は道高等盲学校の職員ら20人、検査技師、ボーイスカウト等、多数のボランティアがこの大会を支えている。

中島公園がフィニッシュの頃


2004年 大画面のテレビ放送。


2004年 すすきの側の入り口より到着。


2003年 ゴール後は自由広場で。


2003年 シャワーのサービス。


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