児童・科学:天文台、児童会館こぐま座鴨々川遊び場

中島公園にある札幌市天文台は札幌コンサートホール・キタラと豊平館の間にあり昼間夜間の観望ができる
調べた訳ではないが、日本で一番小さな公立天文台だそうだ。1958年の開館。20cmの屈折望遠鏡で昼は太陽を観察(太陽黒点)夜は星、観望会参加無料。豊平館とキタラの中間の丘にある。昔、岡田山と呼ばれていた。

札幌市天文台建物外観

札幌市天文台利用案内概要

中島公園にある天文台で、何が観望できるか、簡単に説明をする。 

 昼間公開概略

公開時間: 10時~12時、14時~16時 観察対象: 太陽
休館日: 火曜午後、月曜日、祝翌日、年末年始

 夜間公開概略

4月~9月は20時~22時10月~3月は19時~21時、金・土・日曜日の特定日 雨天・曇天時、観望中止、ドーム内で星空解説等。
詳細は公式サイト参照 → 札幌市青少年科学館・札幌市天文台

天文台スタッフから一言

天文台担当者から「中島パフェ」訪問者へ一言頂ました。
『こんな街中で星が見られるのですか?』とお客様によく聞かれます。
『明るい星や月、惑星ならば十分に楽しめますよ』とお答えしています。
街中にあるのは、むしろアクセスがよくご利用いただきやすいといえます。
土星の環、星の誕生現場、目で見るとひとつなのに望遠鏡で見るとふたつ
に見える天体など、夜間公開での観望対象は盛りだくさんです。
街中の天文台から、宇宙に触れてみませんか。
昼間の太陽観望でのご利用もお待ちしております。(2011.12.21KH)

2012年5月21日 札幌市天文台 日食観望会

太陽の大部分が欠ける部分日食(最大食分0.84)詳細→ 日食観望会
食の始め6時33分07秒、食の最大7時49分49秒、食の終わり9時17分35秒。日食観望会時の天文台周辺の様子はこちら → 天文台で日食観望会


日食観望会参加者に説明する札幌市青少年科学館スタッフ。


天文台のある岡田山は600人の参加者で埋め尽くされた。

天文台ドームに入ってみよう!

札幌市天文台内部
2010年1月16日、東京からのお客さんをお連れして初めて天文台の中に入ってみた。近くに住んでいても敷居が高く感じる天文台である。
公開されているのに、私が勝手にそう思い込んでいるのだ。 

例えば、私が一人で天文台に見学に行ったとする。
よそ様の施設に入る以上、目的を言わなければならないだろう。
「こんにちは、星を見に来ました。よろしくお願いします」
「星は暗くならないと見えません。夜に来て下さい」
「夜は風邪をひき易いのでダメです」

「太陽なら見えますよ」
「ありがとうございます。しかし、目がつぶれないでしょうか?」
「嫌ですね。黒点観測はいろいろな方法があるのですよ」
「コクテン?」 目が点になる。
簡単な予備知識はこちら → 札幌市天文台(ウィキベディア)

天文台スタッフから一言で分かった。 土星の環は肉眼では見えないが、
それが見えるのだ。 土星の環を是非見たい。 天文台に行こう

札幌市天文台や天文についての詳細情報は文末のリンク

勉強よりもノンビリと公園を散歩する方が好きだ。どうしても勉強というならば、理科よりも社会科、特に歴史が好きだ。現代史と郷土史に興味がある。

現代史+郷土史=中島公園の歴史。数学が苦手と言っても、これくらいの計算はできるのだ。勉強の拠点は近所の「札幌市公文書館」とした。

我が家の近所=中島公園の近所。近所から近所への交通費はゼロである。経済学的にも正しい選択をしたと思う。なかなか科学的思考ではないか。

この辺で屁理屈はお仕舞いにして本題に戻ろうと思う。 
天文台詳細情報はこちら→ 札幌市青少年科学館・札幌市天文台

ところで、昔の天文台は天文を学ぶ雰囲気があった

開設当時の札幌市天文台内部
1958年開館。凄い!学生が学生服を着ている。札幌市公文書館所蔵

外見も少し違っていた。ビルもなく見通しが好く、いかにも天文台。

開設当時の札幌市天文台外観
屋根についているのは雪印のマークかな? 札幌市公文書館所蔵

この天文台は1958年開催の「北海道大博覧会」で雪印乳業館として建てられた。当時は中島公園から天の川がみられたという。

最近思うのだが世の中、必要以上に明るすぎないか。24時間営業店や自動販売機は必要なのだろうか。様々な光が星を見にくくしている。そして電力を消費している。心豊かな暮らしに何が必要か見直す必要がある。 

遊べる天文台です

天文台の斜面で遊ぶ子供たち
子供たちのカラフルなアノラックが奇麗だ。 天文台のある場所は昔、岡田山と呼ばれ、もうすこし高くてスキーなどする子供たちで賑っていた。 今でも子供たちがソリ滑りなどをして元気に遊んでいる。

参考文献:さっぽろ文庫84中島公園札幌市教育委員会編北海道新聞社

児童会館

児童・科学:中島児童会館、

中島児童会館は1949年に日本初の公立児童会館として開館しました。
地域における児童の交流を目的とした、児童健全育成施設です。

2014年7月6日(日) 児童会館 こぐま座共催「かもくま祭」

10時30分~16時、九条広場(中島児童会館前)で開催します。 内容は過去の様子をこちらに掲載 → かもくま祭(児童会館・こぐま座)「中島パフェ」

かもくま祭
児童会館とこぐま座が共同で毎年「かもくま祭」を開催。2010.7.4撮影

公式情報は「札幌市児童会館」公式サイトをご覧下さい。

札幌市全体の児童会館はこちらをクリック! → 札幌市児童会館
児童会館のイベント等の最新情報はこちらをクリック→ おたより
開館:8時45分~18時 休館日:日曜・祝日・年末年始、利用料金:無料、中島児童会館には楽しいイベントがいっぱいあります。

中島児童会館
中島児童会館(地下鉄中島公園駅3番口徒歩1分)2011年11月2日撮影。

いろいろな部屋 中島児童会館案内図

中島児童会館案内図

ホール クラブ室 図書室
ホール クラブ室 図書室

工作室 オープンルーム
工作室 オープンルーム

2009年9月26日設立60周年記念「ゆめのタイル」除幕式

覆いを剥がし自分のタイルとご対面!
ゆめのタイル

2009年7月3日は中島児童会館設立60周年です。 その日を記念する行事がありましした。 「ゆめのタイル」で児童会館をかざる事業です。

一辺が20センチの正方形のタイルです。特殊なシートに専用の塗料で文字や絵を描き、タイルに焼き付けるのです。 

児童会館の外壁に貼りました。9月26日はその除幕式があり、沢山の児童とご家族が集まりました。 絵本『おばけのマール』シリーズの作家、なかいれいさんも、セミナー講演後に参加してくれました。

児童が自作のタイルと対面
児童が自作のタイルと対面、見守るご家族で賑う。

「ゆめのタイル」完成式典
「ゆめのタイル」完成式典を盛り上げるブラスバンド演奏。

北海道新聞に記事掲載(2009.3.3) 一番古い公立児童会館

北海道新聞に記事掲載中島児童会館は日本で一番古い公立児童会館です。 中島公園は水と緑の公園と言われていますが、歴史と芸術の公園でもあります。
歴史と言えば国指定重要文化財豊平館と江戸時代の茶室八窓庵があります。 それに続くものとして、中島児童会館が挙げられると思います。 
建物自体は三代目と言うことで比較的新しいのですが、公立児童会館発祥の地にあることも考慮されるべきです。

ことの始まりの意義は大きいと思います。 建物がなくても、同じ場所に痕跡を残しておくことも大切です。

1949年7月3日米軍のカマボコ兵舎をもらい受けて中島公園内に開設したのが始まりです。 60周年を記念して、2009年7月には記念祭を開いたり、記念誌の発行などがありました。
(画像は当時の記事。北海道新聞 2009年3月3日)

 中島公園児童会館開設時の1949年はこんな時代

札幌の子供たたちに夢と希望を与え続ける中島児童会館物語。
札幌市中央区公式HP歴史の散歩道より子供たちと50年--中島児童会館

過去の出来事 2007年12月 館長さんにインタビュー

中島児童会館についてラジオで放送

「ラジオなかぱ」は中島公園を良好な状態で次世代に引き継ぐことを目的としています。 今回は中島児童会館の館長さんに児童会館と中島公園について話して頂きました。

次世代を担う児童たちが集う、児童会館について是非、お話を伺いたいと思っていましたが、ようやく実現することになりました。

「ラジオなかぱ」とは

山鼻のラジオ番組「山鼻、あしたもいい天気!」は毎週木曜夜8時から9時、ラジオカロス・サッポロ、78.1MHzからの放送です。 

個性あふれる山鼻の仲間9組交替で放送され「ラジオなかぱ」の出番は偶数月第2木曜です。 2006年4月27日より2010年4月13日までの約4年間、中島公園の話題を中心に放送しました。

中島児童会館の館長さんをゲストに迎えた放送は、2007年12月13日に行われました。 放送はj録音されているので今でもネットで聴くことが出来ます。

クリックしてお聴き下さい→ 「山鼻、あしたもいい天気! ラジオなかぱ」

ジオカロス・サッポロ「山鼻、あしたもいい天気!」

2007年12月13日「ラジオなかぱ」放送メンバー

画像はゲストの中島児童会館の館長さんと、放送を手伝ってくれる「ヒューマンアカデミー札幌校」でパフォーミングアーツ勉強中の学生さん、それと私です。

ミキサー担当ミキサー担当は大学生のまさはるさんです。 小学生のころ中島児童会館に通っていて「さっぽろ文庫」に初めて出合ったのも、バトミントンが出来るようになったのも児童会館だったそうです。 
館長さんのゲスト出演を知ってから、この放送を楽しみにしていました。

絵は「パソコン絵日記」の村田さんが、ラジオにゲスト出演してくれたときに描いてくれたものです。  

八人の小人

2004年9月8日台風18号の爪痕は児童会館周辺にも及ぶ

台風から18日後の児童会館近くの鴨々川沿いです。 赤い橋は今でもありますね。 それが目印です。 この辺りは多くの木々が倒れました。 2004年の台風以前は、豊かな緑の中の児童会館でした。

こぐま座

児童・科学:人形劇場こぐま座

こぐま座は日本初の公立人形劇専門劇場。1976年7月に中島公園に誕生。2006年11月日本人形劇場大賞の「アザレア賞」受賞。

日本で始めての人形劇の専門劇場


利用時間:9時~17時、毎週月曜日休館、月曜祝日のときは火曜日休館。アクセス地下鉄南北線中島公園駅下車3番出口より50m(駐車場なし)。

明確な目的で運営されている「こぐま座」

「姉妹都市ミュンヘンで当時の板垣武四(札幌)市長が人形劇に目を輝かせている子供の姿に感銘し、来札後さっそく劇場作りを指示したとのエピソードが語り告げられている『さっぽろ84中島公園』」

「こぐま座が全国の文化施設の中で飛びぬけてすばらしいのは、明確な目的でつくられて運営されているからである。文化施設は運営次第であり、運営は人次第である『こぐま座20周年記念誌』」


こぐま座の右手に歩いて行くと、すぐ隣が児童会館、さらに歩いて行くと上の写真にあるような「童話の小道です。 説明は右側サイドページをご覧下さい。


「札幌まつり」で賑うこぐま座周辺。

水遊び場

児童・科学:鴨々川水遊び場

中島公園で一番、自然に近い形で残されているのが、鴨々川水遊び場付近と思う。今では子供たちや家族連れの憩いの場所になっている。 かっての冒険広場のイメージはなくなり、静かに楽しむ場所に変わってきている。

昔はこんなに賑っていた(1975年オープン)


オープン当初は遊ぶ子供たちで賑わっていた。 札幌市公文書館所蔵

鴨々川水遊び場

中島公園の南側、地下鉄幌平橋駅2番口を出ると鴨々川が見える。近くの太鼓橋を渡ると鴨々川水遊び場がある。

1975年に自然の川を利用して子供たちがのびのびと遊べる場所としてオープン。全長250メートル、水深20センチ、当時は都心部唯一の水遊びができる川として誕生した。看板には「鴨々川遊び場」と書いてあり、水の字はない。子供たちが楽しく遊べる工夫が随所に見られる。


遊び場に架かる太鼓橋は当時のままか。 札幌市公文書館所蔵


遊び場には飛び石、浮島、大型滑り台等があった。 札幌市公文書館所蔵

今は静かで落ち着いた憩いの場所

飛び石、浮島、川渡ロープなどがあると言うことだが、今はロープは見当らない。全体に古びた感じでオープン当時の賑わいはない。今は静かで落ち着いた憩いの場所として親しまれている。


橋も飛び石もあるが、遊んでいる子供たちは見当たらない。


冒険心あふれる初期の遊び場には大きな滑り台が付いていた。


今日は土曜日、遊んでいる子もいるが数はすくない。


遊具で遊ぶ子は比較的多いが、賑うというほどでもない。


地下鉄幌平橋駅裏を流れる鴨々川。冬は鴨(マガモ)が棲息している。

1975年オープン当時は子供たちで賑っていた

下の画像を見ると川渡りロープを楽しむ子供たちで賑っていることが分かる。  「ヤンググループ『さっぽろ青年開発会議』の提唱がきっかけで市が動き出し、この遊び場が実現した(北海道新聞昭和50年7月6日)」そうだ。

私が中島公園近くに転居した2001年には、このロープもなく、賑わいもなかった。 いつどのような理由でなくなったか気になるところだ。

全体として安全が優先される方向で川渡りロープ等、冒険心をそそるような施設がなくなって行ったような気がするが、どうだろうか?


今はない川渡りロープを楽しむ子供たち。 札幌市公文書館所蔵

長い間、行啓通の南西側は札幌護国神社かと思っていたが、中島公園マップを見て鴨々川付近とテニスコートは中島公園の敷地にあることが分かった。 今でも「鴨々川遊び場」と書いた看板は残っている。しかし、綱渡りロープ、大きな滑り台、水車等は見当たらない。


イカダで遊ぶ子供たちも楽しそう。 札幌市公文書館所蔵

写真を見ると1980年前後にはかなり賑わっていたことが分かる。文字どおり子供たちの遊び場になっていた。ロープやイカダはいつの間にかなくなり、大きな滑り台や水車はいつの間にか外された。飛び石と板橋、それに滑り台の階段部分は今でも残っている。


大人が子供たちの遊びをサポートしている。  札幌市公文書館所蔵

子供たちは本当に楽しそうに遊んでいるが、世話をする大人の姿も見られる。 なにかのイベントが行われているような感じだ。写真を見て感じることは、水遊び場を活用しようと思えば大人のサポートが必要なことだ。


子供達がいきいきとして楽しそうに遊んでいる。 札幌市公文書館所蔵


ちょっと高くて怖いような感じの滑り台。 札幌市公文書館所蔵


大きな石に水車などが川に変化を与えている。 札幌市公文書館所蔵


1986年5月5日、オープンして約11年後。 札幌市公文書館所蔵

子供たちだけで遊ぶなら、この程度(上の画像)がいいかなと思った。遊び場に冒険的要素をいれるなら、それなりの組織がサポートする必要があるだろう。 人手も予算もないのなら、落ち着くべき姿に変わって行ったと納得できる。


スタート当時(1975年)の案内板。  札幌市公文書館所蔵

今では公園全体が水遊び場


地下鉄幌平橋駅近くを流れる鴨々川は遊び場になっている。


現在の案内板には鴨々川導水施設の説明もある。

導水菅工事の本来の目的は茨戸川の水質改善を進めるためだが、中島公園で遊ぶ子供たちの立場からみれば、園内を流れる鴨々川全体を水遊び場として維持する為の工事でもある。

鴨々川遊び場の下流は札幌護国神社、更に下流の自由広場、白鶴橋あたりまで水深は浅く、水遊びができるようになっている。後ほど詳しく説明するが川底の下に導水菅があり大量の水が、菅の中を流れているのだ。


南14条橋下流にも鴨々川に入るスロープがあり楽しく遊べる。


川底の下には導水管が付設され大量の水が流れている。


鉄柵の向こうが導水菅を流れて来た水の出口。
この辺から先は鴨々川に大量の水が流れることがあるので立入禁止。

茨戸川の水質改善のため河川工事が行われた

鴨々川導水管工事
茨戸川の水質改善を進めるために、豊平川からの水を鴨々川・創成川に流し、茨戸川へ導水している。

この工事は2006年頃に終了した。
鴨々川では、上流部の分水施設により、遊水場や親水区間を流れる水量は今までと変わらない。
上の画像は直径1メートルの導水管

しかし、吐き出し口から下流は、分水した地下の導水管と合流し、最大でこれまでの5倍の水量が流れるようになった。

中島公園の南からキタラ近くの中州橋まで川の下に導水管

豊平川から鴨々川に取り込まれた水は、中島公園の手前で地表を流れる川と川底の下に付設された導水管に別れる。

導水管に水を流すことで、安全に水遊びが出来る。導水管を通ってきた水は、中洲橋付近で川底から出て合流する。

地下鉄幌平橋駅は水と緑以外何もない駅

地下鉄の駅を出て直ぐ小川があって水鳥がのんびり浮かんでいるのは北海道ではここだけ。鴨が居るのは主として池が凍結する冬場だけ。


池が凍結する冬はマガモの居場所になっている。川の流れは凍らない。

幌平橋駅のまわりにはコンビニもラーメン屋もない、あるのは水と緑と野鳥だけ。行啓通のポプラ並木は素晴しく、幌平橋は歩道が広く、橋と言うよりも公園のような感じだ。

私の知る限りでは幌平橋駅は日本一風流な地下鉄駅だった。 残念ながら自慢のポプラ並木は2004年9月の台風18号で壊滅的な打撃を受け、幌平橋駅駅前のポブラ並木は、並木とは言えない状態になった。

それでも、水遊び場は楽しい夏の遊び場として、今でも子供達や家族連れに親しまれている。 そして冬は鴨の居場所として親しまれている。

2014年11月15日
中島公園パーフェクトガイド

リンク:マップと施設

 公園案内
  中島公園マップ
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  パフェ
 歴史施設
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  木下像・森の歌
 芸術施設
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 児童・科学
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  児童会館   
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  鴨々川遊び場
 スポーツ
  ボートハウス
  体育センター
  中島公園庭球場  
 広 場
  自由広場
  遊戯・9条広場   
  香の広場
  緑の広場
 その他 
  隣接する神社
  冬季閉鎖施設

2015年に全面リニューアルの予定

1.記事の再整理

メインメニューを中心に再整理。先ず最初にマップと各施設を整理する。

上のようにリンクを貼った。当面メインメニューと、このサイドメニューが重複しているが、これからは、サイドメニュー中心に更新する予定。

2.アクセスし易いページに改修

以上についてはメインメニューの一つである「マップ 施設」にプルダウンメニューを作り、ワンクリックで表示できるように改修。

上の画像は「冬季閉鎖施設」へアクセスする場合、「マップ 施設」→「その他」→「隣接する神社」と「冬季閉鎖施設」が表示される。

3.リニューアル作業の順番

上に掲載したように入れ物である新ページは既に作られているが、肝心の記事の整理が出来ていない。

先ず、記事を整理する。次に整理された記事を順次、新ページに移行する。
2015年中の全面移行を目指す。

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