芸術施設:札幌コンサートホール、文学館渡辺文学館

中島公園の中心は札幌コンサートホール・キタラ。 音響は世界最高級。 安田侃の彫刻のある芸術空間。ここはキタラを応援する個人サイト。

キタラ公式サイトはこちら → 札幌コンサートホール・Kitara

2014年7月21日「 レナード・バーンスタイン プレイス」誕生

国際教育音楽祭「パシフィック・ミュージック・フェスティバル(PMF)2014」の組織委員会は21日、この場所を「 レナード・バーンスタイン プレイス」と命名。

2014年07月12日 レナード・バーンスタイン像除幕式開催

25回目のPMF開催を記念してバーンスタイン像の序幕式が行われた。

像はベンチを背にしてキタラを向いて立っている。挨拶をする札幌市長。

第25回国際教育音楽祭パシフィック・ミュージック・フェスティバル(PMF)の開催にあたり、PMF創設者バーンスタイン像の序幕式がキタラに近い広場( レナード・バーンスタイン プレイス)で開かれた。


バーンスタイン氏がキタラに向かって指揮棒を振っている。上からキタラを見下ろしている様にも見える。銅像とは不思議なものだ見るアングルによって変わって見える。何処から見ても格好いい。

ところで、10メートルくらい後ろにあった「みどり子ちゃんファミリー」は、この像が設置される前に破壊して撤去された。父、母、子のファミリーだったが、母子二人で三人揃っているのを見たことがない。

もし残っていればバーン叔父さんが逞しい父親になれたかも知れない。これは私の想像だが、現実は…。

「みどり子」は残りの像にも亀裂が入っていた。父像は特大だったので壊れたのではないだろうか。私の記憶では10年以上前から無かった。バーンスタイン像設置に伴い、計画的に処分したものと思われる。 母の亀裂はハッキリと見える。

大好きなキタラを外側から応援

札幌コンサートホール・キタラの音響は世界最高級といわれている。
中島公園の近くに転居して10年たつが、その素晴らしい環境に満足している。音楽のある暮らしは素晴らしい。その中心にキタラがある。

キタラはギリシャ神話の音楽の神アポロンが奏でた竪琴「キターラ」に由来している。キタラは大ホール、小ホール、チケットセンター、託児室、中庭、レストラン等の設備が充実した一流のコンサートホールである。

キタラのシンボルはフランス製パイプオルガンと安田侃の彫刻「相響」。簡単だがキタラに関する説明は、これで終わる。詳細については公式サイトをご覧下さい。こちらをクリック! → 札幌コンサートホール・Kitara

「これでおしまいか。ずいぶん簡単だな」
「公演情報、利用案内など必要な情報は公式サイトから得られます」
「それなら、このページは要らんだろう」
「要ります! キタラが発信する内なる情報に、私が発信する外なる情報が加わわることにより、訪問者にとり完璧な情報になるのです」
「内だの外だの、よく分からんが、まあいいだろう」
「独りよがりですが、説明しましょう」


2004年の台風で多くの緑を失った。画像は木々がいっぱいあった頃のキタラ。 水と緑の向こうにコンサートホールがあった。2002.11.4撮影

キタラは近所の住民の誇り! なんとか応援したい

私は単なる近所の住民だが、キタラを想う気持ちは、音楽ファンに勝るとも劣らない。なんとか応援したいと思い、こんなことを考えた。

水と緑の公園、そして歴史と芸術の公園と言えば、札幌市中島公園。都心に近く交通便利な公園は、デートスポットとしても人気がある。

ところで初デートで雨に降られたらどうだろう? そんなときは、迷わずキタラに逃げ込もう。そこにはお洒落なキタラレストランがある。公園散策から食事とお茶に切り替えるのだ。これが臨機応変の処置というものだ。

それでも雨が降り止まなければ、タクシーで帰ろう。乗場はキタラ直結。雨に濡れることなく乗車できる。なんともスマートな対応ではないか。突然のアクシデントにもキタラをうまく使えば、危機をチャンスに変えることが出来るのだ。頼れる人と思われて、彼女のハートをギュウっと掴めること請け合いである。

「ほ~? アンタがね~。 デートの指南か~??」
「なんですか!」
「何でもないよ。現役をリタイアしてもコーチはできるよね~」
「私は中島公園を多角的に捉えて、一つの可能性を掘り下げ…」
「分かった分かった。もういいよ」

「公園散歩の敵は雨です。頼れるキタラをPRしたつもりですが、キタラの応援になったでしょうか?」
「ぜんぜんなってない! 音楽と関係ないだろ」
「私、最近カラオケ始めたんですよ」
「分かってないな~。 クラシックの殿堂だぞ」

「近所の住民として、なんとか応援したいのです」
「毎日、コンサートに通えばいいんだよ。近所のよしみでお客になれよ」
「このサイトの管理人として応援したいのです」
「なになにフムフム、取材して記事にしたい? 10年早いぞ!」
「10年たったらヨボヨボですよ」
「だから絶対無理」

無理は承知だが、最終的にはキタラを取材して記事にすることを目指している。しかし、当面の目標は皆さんに訪問してもらえるサイトになること。これなくして応援など不可能だ。先ずは足元を固めたい。 

いきなりアクセスアップと言っても無理なので、とりあえずキタラ周辺の写真を撮ってお茶を濁すことにした。ところがこれが嬉しい誤算、素晴らしい景観がいっぱいだ。オシドリまでが彩りを添えてくれた。 

水と緑、花と野鳥、それに安田侃の彫刻もある。池や天文台を挟んで、少し離れてはいるが、国指定重要文化財「豊平館」にも近い。豊平館と向かい合っている北側のテラスはややレトロな感じ。キタラは豊平館を意識しながら建てられたのだろうか?

それから、散策と言えば園路。自分なりに、いろいろと調べてみた。調査の結果、次のことが判明した。中島公園のヘソはキタラである。その証拠に主要園路の全てがキタラに向っている。

園路はキタラが中島公園の中心であることを示している。そういう訳で、外からの応援は園路から始めることにした。徐々に内に向かい、最終的にはキタラ本丸に到達することを目標としている。 

キタラ周辺の風景

キタラとキタラ周辺の風景


2011年1月 凍結した菖蒲池越しに見るキタラ。


2010年7月 上と同じ場所から撮った写真。建物はキタラ。


2010年5月 キタラ裏(西側)を流れる鴨々川沿いの散歩道。


2009年10月 キタラと手前の菖蒲池。 水辺に東屋も小さく見える。

イベントの画像

キタラ及び、キタラに関連する出来事


2010年10月ノボテルなど近隣ホテルも参加「Kitaraあらかると」。
2011年10月には私が所属する札幌彫刻美術館友の会も参加。
そのときの様子はこちらのブログ → Kitaraあ・ら・かると


2010年8月 宇部市長、中島公園の野外彫刻視察。 
「相響」前で記念撮影。 右から二人目の女性が市長。
中島公園内の彫刻を視察風景→ 宇部市長中島公園へ


毎年7月 PMFの主会場はキタラ。 中島公園入口の看板。


2010年6月 「中島公園モニュメント研究会」主催の野外彫刻清掃。参加者は彫刻ファン、近隣の住民、園内施設、周辺ホテルなどのボランティア。
中島公園内彫刻清掃の風景 → 中島公園第5回野外彫刻清掃


中島公園は札幌市イベントの出発地点の役目も果たした。

2012年6月30日 中島公園彫刻クイズラリー

彫刻を愛するボランテイア団体「札幌彫刻美術館友の会」が主催。
札幌市が後援、キタラさんに協力して頂いた。
内容は彫刻クイズラリーとミニコンサート。 こどもも大人も歓迎!
詳細はこちらをクリック! → 第2回彫刻クイズラリー in 中島公園
申込先はチラシ下段に明記。 → 彫刻クイズラリーのチラシ

音楽関連歴史

音楽にまつわる中島公園ミニ歴史

中島公園の野外音楽堂は1918年に北海道開道50年を記念して建造された。北海道博覧会の施設の一つとして造られたが現存していない。

場所は今でいうと菖蒲池東側中ほどのベンチ近くにあった。写真で見ると演奏者10人も入ればいっぱいになりそうな、こじんまりとした音楽堂だ。博覧会開催中は毎日コンサートがあり大層な人気だったそうだ。

その後、博覧会の遺跡の一つとして残され大正から昭和にかけて使用された。しかし音楽堂をかこんでいた木造の座席は、いつの間にか取り除かれて音楽堂だけがぽつんと風に耐えて建っていたそうだ。その後いくたびかの公園改造の中で消えてしまった。

中島スポーツセンターは1954年に国民体育大会の会場とするために造られた。「プロレスの殿堂」として知られていたが、北海道立総合体育センター「きたえーる」の開館に伴い2000年に閉鎖された。下の画像で今あるのは菖蒲池だけ。


上からスポーツセンター,球場,百花園,菖蒲池。札幌市公文書館所蔵

スポーツセンターはコンサート会場としても使われていた。1958年には国立チェコフィルハーモニー交響楽団公演、1967年にはウイーン少年合唱団公演等が開催された。その他、多種多様のイベントがここで開かれた。
(参考:さっぽろ文庫84中島公園)

1997年、札幌コンサートホール・Kitaraオープン 

1997年7月4日キタラがオープン、12月には中島公園内舗装等の工事が完了。キタラに向かう全ての主要園路がロードヒーティングになった。

世界中どこから来ても千歳空港に着陸して地下鉄中島公園あるいは幌平橋駅で降りれば夏靴でもキタラまで歩けるようになった。しかし、ロードヒーティング設備を使えたのもたった7年。2004年からは使用されていない。

費用がかかりすぎるのだろう。こんなことになるのなら、キタラは地下鉄駅直結の方が好かったと思う。ロードヒーティングに費用がかかることは誰でも知っている。維持費を考えなかったのだろうか? 

確かに水と緑に囲まれたコンサートホールは素敵で格好いい。便利な設備でも使えなければ宝の持ち腐。今ごろは地中で錆びて腐っているかも?

2006年8月21日 キタラ前の巨大ポプラ伐採


2004年の台風18号でも倒壊をまぬかれたポプラだが、2年後に危険木として伐採された。中島公園内で一番存在感のある巨木だった。


伐採11日前の2006年8月10日、見納めかと思い記念撮影。
存在と伐採の詳細はこちら → 失われた景観 ~ランドマークの木~

キタラ裏、鴨々川沿いの柳並木は2度の台風で半減


2002年10月2日の台風第21号は中島公園にもかなりの被害を与えた。「北海道に30年住んでいるが、こんな経験は最初で最期だろう」と思った。台風直後に木を切らなければならないとは思ってもみなかった。

ところが更に予想外のことが起こった。2年後の2004年に襲った台風第18号で、多くの柳が倒壊、64本あった柳は21本になってしまった。
詳細はこちらをクリック! → 失われた景観 ~鴨々川ヤナギ並木~

私のエッセイ

管理人nakapaが駄文を綴りました

音楽は好きだが何も出来ない。キタラの近所に住んでいるだけで詳しくもない。困ったことに駄文を綴るのが大好き。近所の住民の書いたキタラ雑感。

全ての道はキタラへ! 幻のロードヒーティング

1997年7月4日、札幌コンサートホール・キタラ誕生。名実ともにキタラは中島公園の中心に位置している。これが地下鉄駅近くなら便利だが、駅から最も遠い位置にキタラは建てられた。つまり中島公園の真ん中である。

コンサートの行き帰りに、中島公園の風情を楽しんでもらいたかったのかも知れない。しかし、雪国の冬道は足元が不安で風情どころではない。それで、あらゆる方面からキタラに向う園路はロードヒーティングにしたのだろう。

10年前に中島公園近くに転居して初めての冬、一番感動したのはロードヒーティング園路である。雪の積った真冬でも夏靴を履いて、コッコッと音をたてて歩けるのだ。上の4枚の画像のように園路に雪が無い。初めてここを歩いたときはウキウキして夢心地だった。「これが公園の中か!」と思ったものだ。

地下鉄中島公園駅からも、幌平橋駅からも、そして電車通方面の公園橋出入口(西側、マップでは下)からも、キタラに向う全ての園路がロードヒーティングになっていた。まさに中島公園の中心はキタラである。今だってそうだが、ロードヒーティングは稼動していない。

幻の中島公園三種競技大会

ある日、若い女性が美味しいケーキを持って訪ねてきた。
「中島公園活性化のためにイベントを考えています。何かアイディアを聞かせて下さい」。名刺を見て女性が宣伝関係の人であることが分かった。

元々イベントのアイディアなど、何の持ち合わせもないが、ふとロードヒーティングの利用を思いついた。
「中島公園三種競技大会はいかがでしょうか」
おずおずと言ってみたが、耳を傾けてくれた。

「中島公園には1.5kmにも及ぶ、ロードヒーティング園路があります。つまり、足元だけで言えば、雪国と南国が共存しているのです。これを有効に使うと日本中で、ここだけでしか出来ないイベントを開けます」

「面白そうですね。どんなことをするのですか」
「スキー、雪原歩き、1.5km競走の組み合わせ。変化に富んでいます」
「それで、中島三種なのですね」

「そうなんです。先ず中島体育センター前から『歩くスキーコース』を一周します。それからスキーを脱いで、雪原と菖蒲池東側の森を雪に足を取られながらヨタヨタと走り抜けるのです。最後にランニングシューズに履き替えてロードヒーティング園路を全力疾走する競技はいかがでしょうか」

「スキーの技、雪原走りの体力、そして最後はスピード勝負ですね」
「そうなんです。技、体力、スピードの三つが微妙に絡み合うのです」
「なるほど、日本でこのイベントが出来るのは中島公園だけ…」

話は盛り上がったが、その後ロードヒーティングは使用されなくなった。経費がかかり過ぎるそうだ。中島公園三種競技大会も「幻のオリンピック」同様に幻で終わった。

幻のオリンピックとは、1940年(昭和15年)開催予定のオリンピック冬季大会のことである。中島公園はスケート会場に予定され準備も進んでいたが、戦争の為オリンピックそのものを返上する運びとなった。惜しいことをしたものだ。同年開催予定の東京オリンピックも返上された。開催には平和が絶対条件。

コンサートでコックリ

コンサートに行って来た。 イリーナ・メジューエワさんのピアノコンサート。クラシックは馴染みが薄いのだが誘われると何となく行きたくなる。一人で行くほどの音楽ファンでもなく何時もグループで行く。開演30分前が開場。早く入って隣に座ったAさんと話をする。これもコンサートの楽しみの一つ。コンサートの雰囲気が好きなのだ。

「私、後期高齢者になったのよ」
「そうなんですか。ビックリですね。とてもそうは見えません」
実際、Aさんは顔の艶がいいし、声も話も若々しいので、コーキ(後期高齢者)には見えない。毎朝5時半に起きて1時間もウォーキングをするそうだ。そのせいかもしれません。

いよいよピアノリサイタルの開演。しばらくすると私がコックリ、コックリを始めた。ショパンの「ポロネーズ」「ノクターン」辺りまでは好かったが、「バラード第3番 変イ長調 作品47」くらいになるともうダメ。心地よいメロディーが眠りを誘うのだ。

一眠りしたので後半の「展覧会の絵」あたりではバッチリ目が覚めた。Aさんはどうかなと思ってチラリと見るとコックリやっている。若く見えてもやはりコーキだ。それとも朝のウォーキングの疲れかな?

Aさんはコックリのときは背中を丸めてウサギのように丸くなる。 そして、ピアノ(弱)がフォルテ(強)に変わりジャーンとなるとピンと反り返る。ピアノで丸くなりフォルテでピンを繰り返していた。

「展覧会の絵」は強弱の激しい曲だなと思った。プロムナードはおなじみだが、10枚の絵の部分が激しい。それでAさんが丸くなったりピンとなったりする。 その様子が面白くて、今度はいつピンとなるかなとか楽しんでいた。

メジューエワさんは終始、無言でピアノを弾いていたが、アンコールのときに4語だけ発した。たった4語、話したというよりも発した感じだ。
「ラフマニノフ」「夫の絵」「ラフマニノフ」「ライラック」これだけだが、とてもきれいな声だった。ただ初めて耳にする「夫の絵」が気になった。帰りがけに掲示板をみると「本日のアンコール、ラフマニノフ 音の絵、リラの花」と書いてあった。

コンサートで「お邪魔虫」と思われて… 

コンサートのことだが、私は自由席が嫌いだ。必ず席取り合戦が起こるからだ。この戦いに私の勝ち目はない。だが、友だちが取っていてくれれば有難く座ってしまう。我ながらいい加減な人だ。 

席取りを頼んだ覚えはないが、人の親切を無にすることは出来ない。
私は、ある行為を非難しながら、その果実だけはシッカリ頂いてしまう悪い人。 こういう人には、決して席を取って上げてはいけない。

ベートーベンの第九交響曲は自由席だった。喘息もちなので、入口近くの端席に座った。 こうすれば発作が起きても直ぐに席を立てるので安心だ。楽しみにしていたコンサートだが、ハプニングがいろいろあった。先ず、扉近くにいるレセプショニスト(コンサートホールの案内係)の指示に戸惑いを感じた。

このホールは前後の椅子間が狭いので、人が来たら座席シートを上げて立つことにしている。その方が通る人はもちろん、通す私も気持ちがいい。

その日は端に座っていたので人が来るたびに立たなければならないが、承知の上だから、それはそれでよい。気になるのは、扉の近くに立っている案内係の指示だ。突然やってきて予期せぬことを言うので困ってしまう。

例えば、こんなことがあった。私の横に立っている女性がいたが、ただ立っているだけで通って座る気配がない。案内係は遠くから見て、私が彼女の通行を妨害していると誤解したらしい。

ツカツカと足早に寄ってきて、「通してあげて下さい」と言う。私は傍にいるので彼女が友人を探すなど、席の様子を探っていることがハッキリと分かる。通る意思のないことも分かっていたが、私の判断よりも案内係の指示を優先させ、「どうぞ」と言って通り易くするために席を立った。しかし、予想通り女性は動かない。「席を取ってあるので探しているの」とかつぶやいてキョロキョロしている。多分、席取りの友人が見つからないのだろう。

おやおや、案内係は私を置き去りにして行ってしまった。「通してあげて下さい」と言ったけど女性が通らないのに黙って去ってしまったのだ。 何故だろう? 私と女性の行動を見て納得して離れたのだろうと、その時は考えた。しかし、後で分かったことだが、これは大間違いだった。

今度は男性が来た。 小さな声で「すみません」といいながら近寄ってきた。先ほどの女性と違って通ることがハッキリしている。
「通路に出ますね。その方が通り易いですから」と私。
「そうですか。有難うございます。出やすいように少しさがりますね」
とか話をしていると、先ほどの会場係が足早にやって来て、前触れなしで突然「通して上げて下さい」と言った。前回と違ってかなり強い口調だ。迫力に押されて何も言えなかった。一体どうしたことだろう。

なんとも不可解な出来事だった。ところで私は、不思議なことが起こると書くことにしている。書いているうちに物事が整理されて分かることがあるのだ。 

まさにそのとおりだった。書いているうちに分かってきたので、会場係の気持ちになって書いてみた。彼女はレセプショニストとして一生懸命働いていたのだと、私なりに理解した。以下は私の推測。

私はコンサートホールのレセプショニスト、今日の仕事は大ホールのご案内。自由席だから気配りが大変です。手のかかるお客が来なければいいのですが、広いホールが満席なので心配です。

お爺さんが一人で来ている。真ん中の方が空いているのに、わざわざ一番端に座っている。あすこに座ったら気を利かせて上げないと通行の邪魔になるので心配になって来ました。

あれっ! 小母さんが通れなくて困っている。助けて上げなければいけない。「通してあげて下さい」とお爺さんにお願いした。お爺さんは立ったけれど小母さんは通れない。困った人です。私も気が弱いからこれ以上言えません。あれれ、小母さん諦めて他所に行ってしまった。

なんと意地悪な人でしょう。通すまで見届ければよかった。「小母さんお役に立てずごめんなさい」と心の中で謝りました。

おや? あのお爺さんまた通せんぼしている。男性がお爺さんに撃退されて、後ろに退いている。今度こそはハッキリ言ってやりましょう。同じ失敗を繰り返すわけには行きません。皆さんに気持ちよく楽しんでもらうためには、毅然とした態度で会場の秩序を守らなければならないのです。マナー違反は許しません!

以上、案内係の気持ちになって書いたつもりだ。私としては、とんでもない誤解をされたものだ。端の席に座るのは喘息の発作が出ても迷惑をかけない為。立って通り易くしても通らないのは女性の都合。男性とは挨拶を交わしながら譲り合っていただけ。 

「それなのに『通せんぼ』の罪を着せられて。とんだ誤解です!」
「誤解で殺人犯にされた人も居るぞ。その程度で好かったじゃない」
「なんで好かったんですか?」
「じゃあ聞くけど、どんな罰を受けたんだ」
「別に何にも…」
「そうだろう。好かったじゃあないか」
「そうですね。好かったです」
「幸せか?」
「別にそれほどでも…」

体調を整えてくるのもマナーかも?

偶然演奏会で隣り合った人が体調を崩していたとすれば、お気の毒だ。コンサートを楽しみたいから病気を押して来ているのだ。ご本人もさぞかし苦しいことだろう。その苦しみを癒してくれる為のコンサートかもしれない。

だけど、たまたま隣になった私は、そうは思わなかった。冷たいようだが「何で家で休養しないのだ」と思ってしまった。ともかく演奏中に絶え間なく音を出す。もちろん本人がなるべく小さくと努力しているのは傍目でも分かる。

しかし、もうこれで終わりかなと思ってもまだなのだ。最初は携帯をコソコソ、次にガサガサとティッシュを取り出す音、続いてチン。それが終わったら手が痒いのかゴソゴソかいている。挙句の果てにゴホン・ホンホンと咳がでた。「出物腫れ物所嫌わず」とは言うけれどあんまりだ。

どれもこれも病人にとっては出てしまう音。わざとやっている嫌がらせでないことは分かる。しかし、一曲全部終わるまで続いている。二曲目も三曲目も続いた。それでも休憩時間までは堪えて堪えて我慢した。

休憩時間がきたので待ってましたとばかりに逃げ出した。幸い空席があったので一番遠いところに座った。客席全部が見渡せるような席なので、当の隣席の人も見えた。その人は私の席を空席にしたまま同じ席に座っている。

終演まで1時間以上空席のままだった。ご本人は迷惑行為をしていたことに気付いていない様だ。気付いていれば私が座っていた席に移ると思う。そうすればその人の隣に座る人は居ない状態になっていたのだから。

それでも席を移らない。隣の人もピッタリと寄り添って座っている。あの騒音は小さいけれ演奏中は気になって仕方なかった。隣に座った人は気にならないのだろうか。それとも私が神経質すぎるのか。普段は寛容な方だと思っているが、コンサートの時は別な自分になっている。

キタラ公式サイトはこちら → 札幌コンサートホール・Kitara

文学館

(施設マップ・メニューの)芸術施設:北海道立文学館

中島公園は歴史と芸術の公園と言われている。それに一番相応しい施設が文学館と思う。大好きな中島公園の文学館を外から応援したいと思っているが、困ったことが一つある。それは私に文学の素養がないことだ。正確な情報は文学館公式サイトを参照されたい。公式サイト→ 北海道立文学館

文学館の説明は公式サイトにまかせ、「中島パフェ」は散歩者の目線で中島公園の文学館を見つめて行きたいと思う。桜咲く頃の文学館は美しい。

文学館のある風景 春は桜、秋の紅葉、雪景色も素晴らしい

文学館のある園路は春になると桜の花が一斉に咲きとても奇麗。初夏の「札幌まつり」には露店が並び、冬には「歩くスキー・コース」が設定される。(画像下に書いた年月は撮影した年と月)


2010年5月 文学館のある園路より藻岩山を望む。


2010年9月 文学館の裏側は芝生の広場。 

以前は、この広場に中島球場やスポーツセンターがあり、中島公園で一番賑った場所だった。札幌中島球場と言えば、北海道野球人のひのき舞台であり、プロ野球も開催されたこともある。

中島スポーツセンターではプロレス、プロボクシングからボリショイサーカス、クラッシック・コンサート、歌謡ショーなど多様なイベントが開催された。今では球場・スポーツセンター跡地は緑のオープンスペースとなっている。


2010年11月 文学館付近は紅葉の季節も美しい。


2011年1月 文学館の裏側は「歩くスキー」のコースが設定。

2011年4月 春が来て自転車も通れるようになる。

文学館と、文学館周辺のイベント


2010年5月 土日祝には文学館前の園路がフリマ会場に。


2010年8月 「北海道マラソン」は文学館前からスタート。2012年からは大通り公園発着となる。 → 北海道マラソン中島公園


2010年11月 脚本展(北海道)今、札幌に蘇るシナリオ達。


2010年12月 吉村昭と北海道。 歴史を旅する作家のまなざし。


2011年3月 「川柳王国」北海道の軌跡。

挿絵が僕らにくれたもの

2013年9月7日~10月20日 「挿絵が僕らにくれたもの」展


アニメーション映画の巨匠・宮崎駿監督が企画した「挿絵が僕らにくれたもの」展が文学館で開催中だ。直ぐにでも行きたいのだが、ゆっくり観たいので10月9日に行くつもりだ。監督の引退表明を聞いて急に興味を持ってしまった。

こう書くと宮崎ファンと思われるかも知れないが、正確な名前さえ知らなかった。ハヤオでなくシュンと思っていたのだ。こんな私が企画展を観て感想を書きたいと思っている。英国の邸宅の書斎をイメージした会場にも興味津々である。

「天空の城ラピュタ」「となりのトトロ」「紅の豚」、最近では「風立ちぬ」とか作品名は聞いたことがあるが、観たのはルパン三世をテレビで覗いた程度だ。その時は監督の名前さえ知らなかった。

新聞には「多くの挿絵に宮崎監督のコメントが添えられ、その世界観を味わえる」と書いてあった。それならば是非行ってみたい。そして巨匠の世界観を味わい、その作品をレンタルDVDで一つひとつ鑑賞したいと思う。

中島公園に関するウェブサイトを開設したが、文学的素養はほとんどない。私にとっては、文学館のページは難題だが何とか乗り越えたいものだ。これを機会に文学館に親しめる様になれればいいと思っている。

2013年10月9日 英国邸宅の書斎をイメージした会場へ

東京で開かれたのと同じ企画展が我が家から徒歩5分の場所で鑑賞できるのだからこんな有り難いことはない。道立文学館で開催中の三鷹の森ジブリ美術館企画展示「挿絵が僕らにくれたもの」展のことである。

東京以外初の企画展示だそうだ。中島公園近所の住民としてはこんな喜ばしいことはない。理解できても出来なくてもだ。さあ行こう!ジブリの世界へ。

ジブリとはサハラ砂漠に吹く熱風を意味する。イタリアの軍用偵察機の名前でもあり、飛行機マニアの宮崎駿監督が命名したそうだ。GHIBLIですぞ。

三鷹の森ジブリ美術館はいろんなものを発見できる美術館である。それがはるばると札幌にやってきた。そこで私が発見したのは、なんと!「かちかち山」の狸とお婆さん。

お婆さんは意地悪そうだし、狸には角が生えている。しかし、この挿絵は100年以上前に見たことない人が想像で描いたというから大したもんだ。因みに私が見た「かちかち山」のお婆さんは優しそうな人だった。

その他に浦島太郎が竜宮城で乙姫さまに会う場面の挿絵もあったが、乙姫様は西洋人。それに比べて浦島太郎は黒髪で日本的に描かれている。竜宮城は誰が考えても夢の世界。現実の日本人が夢の世界に行けば美しい西洋の女性に会えるということだろうか? 

一方、「かちかち山」の日本人のお婆さんは優しい人なのに意地悪そうに描かれている。いずれも100年以上前の西洋人が、日本の昔話から想像して描いたもの。世界の果てで描く日本は面白い。そして興味深いものがある。

冊子の説明によると「イギリス人は世界中に出かけて富をあさり、芸術品を収集し、めずらしい植物を持ち帰り、物語まで集めました」と言うことだ。
100年以上前に持ちさられた日本昔話が、回りまわって中島公園にある文学館で観れるとは、なんと不思議な巡り合わせだろう。

渡辺淳一文学館

芸術施設:渡辺淳一文学館

中島公園を散歩していると道を尋ねられることがある。その中で一番多く聞かれるのが、「渡辺淳一文学館」である。 中島公園近所の住民としては、先ず最初に地下鉄中島公園駅から文学館までの道案内をしたいと思う。
当文学館に関する情報はこちら → 公式サイト:渡辺淳一文学館


先ず、地下鉄南北線中島公園駅3番出入口より地上に出る。


出て右を見るとこの景観。右折すると「渡辺淳一文学館」方面へ、ちなみに左折すると道立文学館方面に行く園路。正面の木々の向こうには菖蒲池。


園路が分かれるごとに右に行く。少し歩けば右側に川が見える。


ここは中島橋。この橋を渡ったら左折し、川に沿って歩くだけ。


最初はヤナギ並木だが長くは続かない。


64本あったと言われるヤナギは台風による倒木などでかなり減った。前にある丸い所は倒れた跡。今はなにも植えられていない。向こうにイチョウが見える。倒れた後はイチョウが30本植えられ、空地のままが19ヶ所ある。


前方に見える橋は「ほたる橋」。ホタルは住み着いてくれなかったが、橋とホタルの絵だけが残った。渡辺淳一文学館はほたる橋を渡って直ぐの場所。


この橋は鴨々川に架かる「ほたる橋」。画像右側の少し引っ込んだ所に見える建物が渡辺淳一文学館。


開館中はこの移動看板が立つ。


ご案内はもう一つある。それには「おいしい珈琲あります。喫茶のみのご利用もできます」と書いてある。鴨々川沿いを散歩して寄ってみては如何だろうか。 当文学館に関する情報はこちら → 公式サイト:渡辺淳一文学館

2014年11月15日更新
中島公園パーフェクトガイド

リンク:マップと施設

 公園案内
  中島公園マップ
  飲食・売店
  パフェ
 歴史施設
  豊平館
  日本庭園・八窓庵
  木下像・森の歌
 芸術施設
  キタラ
  文学館
  渡辺文学館
 児童・科学
  天文台
  児童会館   
  こぐま座
  鴨々川遊び場
 スポーツ
  ボートハウス
  体育センター
  中島公園庭球場  
 広 場
  自由広場
  遊戯・9条広場   
  香の広場
  緑の広場
 その他 
  隣接する神社
  冬季閉鎖施設

2015年に全面リニューアルの予定

1.記事の再整理

メインメニューを中心に再整理。先ず最初にマップと各施設を整理する。

上のようにリンクを貼った。当面メインメニューと、このサイドメニューが重複しているが、これからは、サイドメニュー中心に更新する予定。

2.アクセスし易いページに改修

以上についてはメインメニューの一つである「マップ 施設」にプルダウンメニューを作り、ワンクリックで表示できるように改修。

上の画像は「冬季閉鎖施設」へアクセスする場合、「マップ 施設」→「その他」→「隣接する神社」と「冬季閉鎖施設」が表示される。

3.リニューアル作業の順番

上に掲載したように入れ物である新ページは既に作られているが、肝心の記事の整理が出来ていない。

先ず、記事を整理する。次に整理された記事を順次、新ページに移行する。
2015年中の全面移行を目指す。

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