1975(昭和50)年ころの鴨々川沿いのヤナギ並木

失われた景観シリーズも3回目を迎え、テーマは何にしようかと迷っていた。ところが、偶然の機会に恵まれた。おあつらえ向きの写真を桜本商店様から提供してもらえたのだ。これで決まった、テーマは「鴨々川ヤナギ並木」と。


1975(昭和50)年頃の鴨々川沿い散歩道。写真は丸市桜本商店所蔵。

札幌で一、二といわれたシダレヤナギの街路樹が……


上の画像にあるようなヤナギ並木は、この画像にあるように危険木として伐採され、台風で倒れたりして大半を失っている。これも歴史、悲しいヒストリー。

ヒストリーを聞いて「鴨々川ヤナギ並木物語」を書く

ヒストリーを聞いて、ストーリーを撮る「まちあるき授業」に参加した。引率者を含め4名グループで明治時代創業の桜本商店を訪問。古いアルバムに貼られた写真を見ながら貴重な話を聞く機会に恵まれた。提供された1枚の写真に私が撮った写真を加え、聞いた話に私の体験を添えて「鴨々川ヤナギ並木物語」を書きたい思う。体験と言ってもたった11年、決して充分とは言えない。

しかし、この間に台風や危険木伐採で多数の柳を失い、もはや柳並木とは言えない状態になってしまった。札幌で一、二といわれたシダレヤナギの街路樹が徐々に消え去ろうとしている。しかも現在進行形である。これでいいのだろうか? 失った景観は元に戻すことは出来ないが、記録として残せば何らかの参考になるだろう。

先ず現状を見てみよう! 現地調査

現状を見てから、過去を振り返る。 と言っても過去の資料は1975年の写真が1枚だけ。手持ちの写真は全て2001年10月以降のものばかりである。 

これだけじゃあ駄目だ。引き続き情報収集に努めるつもりだ。 

それでも11年間撮り続けた中島公園の写真は、いつか日の目を見ることもあるだろう。

左の画像は、2012年10月19日に撮った鴨々川沿いの柳並木である。この内の何本かは、将来倒れるかも知れない。しかし、この写真は残る。前置きはこのくらいにして現状を報告する。 

2012年11月9日調査 中島橋~中州第1号橋 柳並木その後

日本庭園近くの中島橋からキタラ近くの中州第1号橋までの500mを、北から南へと歩いた。そして、街路樹としてのヤナギ植栽状況を調べた。

現在のカラフルな散歩道になった時点で柳は64本あったと推定する。現状は柳の古木14本、倒木の後に植えられた柳の若木7本計21本

これに対して、倒木した柳の後に植えられた銀杏(イチョウ)は30本。そして倒木の後、何も植えられないで放置された空地が13ヵ所もある。

札幌で一、二といわれたシダレヤナギの街路樹

鴨々川には中島橋がある。中島橋はかって中島公園への正面入口であった。(中略)そこから川ぶちにシダレヤナギが続く。札幌で一、二といわれるヤナギの街路樹は詩情を誘うに十分なものがある。その数64本、一部は補植されている。(『中島公園百年』 山崎長吉著より)

2001年10月7日初の撮影 中州1号橋すぐ下流の鴨々川

11年前にデジカメを買った。中島公園撮影は、この日から始まった。下の画像左端は若木から育った銀杏。柳の倒木跡に植えられたと思う。 


上は2001年10月7日、下は11年1ヶ月後の2012年11月5日の撮影。


2012年現在の画像。上の画像と比べると柳は減り銀杏が増えている。

2002年8月18日撮影 鴨々川沿い散歩道の柳並木


日本庭園近くの中島橋からキタラ南西側の中州1号橋までの500mは、散歩道になっている。小奇麗な柵とカラー舗装された道だが、川沿いの柳にとっては生きにくい道と思う。相次ぐ倒木でそう思うようになった。

鴨々川をはさんで日本庭園、豊平館、札幌コンサートホール・キタラ等がある。しかし、この散歩道の目玉は川沿いに植えられた柳の木々だろう。残念ながら台風で倒れたり、危険木として伐採されたりして、かっての面影はない。最近は柳に代わって銀杏が植えられたりしている。

2002年10月2日の台風第21号後に危険木伐採


2002年10月2日の台風第21号は中島公園にもかなりの被害を与えた。「北海道に30年住んでいるが、こんな経験は最初で最期だろう」と思った。台風で木が倒れることは予想していたが、木の根が浮かされて危険木になるとは想像できなかった。しっかりと根を張っていなかったのか。


2002年10月15日危険木伐採作業。残念だが危険防止の為なら仕方ない。


4日後に切られた柳。こうして古い柳は次第に減って行く。 


上と同じ場所10年後の風景。当時植えた若木が育つ。2012年10月撮影

当時は何とか柳並木を保とうとしたが、最近は倒壊した柳の代わりに銀杏の若木を植えている。そのまま放置されている所もあるが、一部は花壇として利用されている。もはや柳並木の再現は望めないのだろうか。

2003年7月と2012年10月 鴨々川沿いの柳比較

は2003年7月、は2012年10月の撮影。1本減っているのが分かる。

本当はもっと沢山倒れた場所を載せたかったが手持ちの写真がない。その時に問題意識を持っていないと、後で役に立つ写真は撮れない思った。


上の写真と比べて見ると手前の一番太い柳が倒れたことが分かる。たとえ1本でも景観は変わる。隠れていた白いビルがはっきりと見える。

2004年5月22日と現在(2012年10月19日)との比較

2004年9月の台風18号が襲う前と、現在の景観との違いを比べてみた。

が2004年、が2012年。柳が2本減って銀杏の若木が成長した。

2004年9月8日、台風第18号が中島公園を襲う

2004年9月8日、台風第18号が中島公園を襲い多くの木々を倒壊させた。2枚上の画像と比べて見ると、その柳が倒壊したことが分かる。


場所と木の形から見てその柳と分かる。2004年9月8日台風当日撮影


約1ヵ月後、切られた跡を反対方向から撮影。2004年10月17日


ホタル橋(渡辺淳一文学館近く)横の柳も倒壊。2004年9月8日撮影

2012年11月5日 鴨々川沿い柳並木の現状

中島橋から中州第1号橋の間、約500mの鴨々川沿いは自然豊かな楽しい散歩道になっている。川を挟んで日本庭園、豊平館、札幌コンサートホール・キタラがある。この道の目玉は川沿いの柳並木だったが、すっかり変わってしまった。多数の柳が台風などで倒壊し、もはや並木とは言えない。


橋は中島橋、川向こうは日本庭園。ここには多分柳があったと思う。


中島橋近くには柳並木の一部が残っている。7本程度。


21世紀初期までは、柳が倒れた後は柳の若木が植えられたのだろう。


その後、倒れたまま放置されることもあったようだ。中には一旦若木を植えたものの、その若木自体が倒木した跡も見受けられる。


豊平館近くに3本分の倒木跡がある。なぜ植えないのだろうか。ここに3本の柳を植える予定かも知れない。そうすれば柳並木らしくなる。


かってはここも柳並木だったかもしれない。今は一本だけ。


2004年の台風18号で倒木した跡がある。渡辺淳一文学館前。


札幌コンサートホール・キタラ裏は並木にはなっているが銀杏が多い。


建物は札幌コンサートホール・キタラ。銀杏、柳、銀杏と並んでいる。

64本あったと言われている柳は、補植した若木を含めても21本になった。 しゃれたインターロッキングブロック舗装は柳に向かないのだろうか。ものを作るのは一つの仕事。それを維持保全するのも仕事だが、計画段階で維持保全する側との意見交換はあるのだろうか?


画像のキタラ、鴨々川、散歩道と銀杏並木。2012年6月24日

2012年11月15日更新

中島公園21世紀 ~失われた景観~

行啓通のポプラ並木
鴨々川ヤナギ並木(キタラ裏)
ランドマークの木(キタラ前)
ムクドリの木(菖蒲池北側の中島)

2012年10月20日 「まちの写真物語」

札幌まちあるき博物館とオオドオリ大学共催の「まちの写真物語」に参加。取材先の「桜本商店」から提供された1枚の写真が、この記事を書くキッカケとる。 

左の画像を見ると、こんもりとした柳並木が続いている。現場に行ってみたが画像の風景はもとより似た風景さえ見られない。景観は柳と共に消えていた。

明治43年創業の桜本商店を訪問。


古い写真を見ながら話を聴くと、その場所に行ってみたくなる。


珍しい写真があった。今はない昔の中島公園を撮ったものである。上は豊平館近くの太鼓橋、よく見ないと分からないが上端に太鼓橋が写っている。左下は百花園の噴水池、今は噴水もなく、芝生に彫刻と花壇のある「香の広場」。右下も百花園にあったセメント作りの「森の歌」。現在はブロンズで再鋳造されて児童会館前にある。

柳並木の景観はいかにして失われたか

「鴨々川の柳は、京都の鴨川の柳並木を模して川ぶちの料亭鴨川(南12条西6丁目)が植えたともいわれている。
(『中島公園百年』山崎長吉著)」

約30年前には64本あった柳も、今は14本。その後の補植を合わせても21本しかない。30本は銀杏に変わり、残りの13ヶ所は何も植えられていない。

柳並木の景観が、なぜ失われたか。台風で倒木とか推測はできるが、それだけではないだろう。21世紀に入ってからの状況なら、自分なりに把握しているので、とりあえず21世紀に失われた柳についてまとめてみた。

2002年10月の台風第21号以前の柳


キタラ裏を流れる鴨々川。この頃は柳もかなり残っていた。2002年1月23日


同じ場所の反対側。同年3月25日撮影。


同じ場所の春景色。同年4月7日撮影。

2002年10月2日の台風第21号の被害


菖蒲池南側の東屋近くでも柳が倒木。「根が浮く」という状態分かったような気がした。10月3日


調査の結果、根が浮いていることが判明。倒木の恐れがあるので伐採。動物で言えば安楽死かな。2002年10月19日


心優しい人により伐採された柳に別れの花が添えられた。2002年10月19日

2004年の台風第18号以前の柳


2002年の台風は2年後に襲った台風18号に比べれば軽微な被害だった。中州第1号橋上より撮影。2004年5月22日

2004年9月8日台風18号で被害甚大

上の画像にある柳2本も倒れた。2年前の台風では生き残った柳も、次に遭遇した台風第18号には耐え切れなかった。根はしっかり張っていたようだが折れてしまった。想定外の木折れかも知れない。


軒並み折れた柳。2004年9月8日

現状を見て未来を考える 2012年11月

以下の画像は2012年11月5日に撮影。先ずは、現状を見て未来を考えたいと思う。中島橋から公園橋の間、言い換えれば日本庭園近くから豊平館近くの間は、下の画像の様に木を植えてない場所が多い。同時に柳の古木も比較的多く生き残っている。

それに比べて公園橋から中州橋の間、言い換えればキタラ裏はほとんど銀杏に代わって来ている。この状況を踏まえ、もし柳並木を残すなら、中島橋から公園橋の間と考えるのが、費用対効果の面から考えて妥当と思う。


柳並木を再現するにはどうしたらよいか、樹木の知識はないが自分なりに考えてみた。単なる思い付きとしか言いようはないが、ここには柳の若木を植えたらよいと思う。


中島橋に2番目に近い。柳がいい。


既に柳が補植されているので柳が続く。


ここにも柳を補植したらいいと思う。


その次がここだから、柳がいいだろう。


この辺は空地が続いている。


上と重複するが、三つの空き地にも柳植栽。そうすれば、中島橋、公園橋間、言い換えれば、日本庭園裏から豊平館裏までに、昔のような詩情を誘う柳並木が復活する。


公園橋を過ぎるとキタラ裏となる。この辺りはほとんど銀杏と入れ替わっている。柳も少ないので、このままでいいと思う。


渡辺淳一文学館前のホタル橋にわずかに残る柳は、そのままでいいだろう。


一旦、若木を植えても折れてしまう場合もある。黒いのは切り株。キタラ裏。


所々に何も植えてない空き地がある。


ここにも空き地あり。建物はキタラ。


キタラ裏の銀杏の若木も育っている。


すっかり銀杏並木に変身した中州橋付近。現状から見て、公園橋の北側に柳並木を復活させたらどうか考えてみた。しかし、せっかく植えても風水害に耐えられるか分からない。以上は私の思いつきに過ぎない。

鴨々川ヤナギ並木物語とは?

「『鴨々川ヤナギ並木物語』とか言ってたな。どこが物語りなんだ」
「鴨々川の柳並木の一部始終について書いたつもりです」
「『推定』とか『そう思う』『思いつき』とかが多すぎるぞ」
「それが辛いところです。断定できることが少ないのです」

正確な事実は把握していないが、台風後の倒木は見てきた。しかし、倒木や危険木の原因は他にもあるだろう。

正確な記録とはいえないので「物語」とした。自分なりに一所懸命調べて書いたが、残念ながら推測が多い。思い込みもあるかも知れない。

これを機会に更なる情報収集に努めたい。札幌の代表的な柳並木が訳の分からないうちに消えるのは良くないと思う。一定の議論をすれば次に繋がるだろう。

公園の資産と活用を考えるリンク

中島公園の資産と活用シンポ報告書
資産活用「簡単解説」3.岡田花園
資産活用「簡単開設」2.中島競馬場
資産活用「簡単解説」1.藻岩山眺望

中島公園・昔と今サプページ

幻のオリンピックⅡ札幌決定欣喜雀躍
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野外彫刻関連情報

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中島公園野外彫刻一覧

シンポジウム2010「北の彫刻

編集後記

調べたことを発表するつもりだったが、結論として私自身の調べが進んでいないことが分かった。一方、とことん調べたら穏やかな気持ちで生きて行けないような気もした。争わずノンビリと人の為になることをしたいものだが、それは案外むずかしい。


所々にある柳。2012年11月12日撮影


 
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