歴史を振り返る前に現状を見てみよう
2012年と2014年の比較→*詩情を誘うに十分なヤナギ並木が…
2017年に調べた倒木後の空き地→鴨々川沿いヤナギ並木の現状
2017年に数えたヤナギの本数→鴨々川沿い遊歩道のヤナギの本数
1975(昭和50)年ころの鴨々川沿いのヤナギ並木
失われた景観シリーズも3回目を迎え、テーマは何にしようかと迷っていた。ところが、偶然の機会に恵まれた。おあつらえ向きの写真を桜本商店様から提供してもらえたのだ。これで決まった、テーマは「鴨々川ヤナギ並木」と。
1975(昭和50)年頃の鴨々川沿い散歩道。写真は丸市桜本商店所蔵。
札幌で一、二といわれたシダレヤナギの街路樹が……
上の画像にあるようなヤナギ並木は、この画像にあるように危険木として伐採され、台風で倒れたりして大半を失っている。これも歴史、悲しいヒストリー。
ヒストリーを聞いて「鴨々川ヤナギ並木物語」を書く
ヒストリーを聞いて、ストーリーを撮る「まちあるき授業」に参加した。引率者を含め4名グループで明治時代創業の桜本商店を訪問。古いアルバムに貼られた写真を見ながら貴重な話を聞く機会に恵まれた。提供された1枚の写真に私が撮った写真を加え、聞いた話に私の体験を添えて「鴨々川ヤナギ並木物語」を書きたい思う。体験と言ってもたった11年、決して充分とは言えない。
しかし、この間に台風や危険木伐採で多数の柳を失い、もはや柳並木とは言えない状態になってしまった。札幌で一、二といわれたシダレヤナギの街路樹が徐々に消え去ろうとしている。しかも現在進行形である。これでいいのだろうか? 失った景観は元に戻すことは出来ないが、記録として残せば何らかの参考になるだろう。
先ず現状を見てみよう! 現地調査
現状を見てから、過去を振り返る。 と言っても過去の資料は1975年の写真が1枚だけ。手持ちの写真は全て2001年10月以降のものばかりである。
これだけじゃあ駄目だ。引き続き情報収集に努めるつもりだ。
それでも11年間撮り続けた中島公園の写真は、いつか日の目を見ることもあるだろう。
左の画像は、2012年10月19日に撮った鴨々川沿いの柳並木である。この内の何本かは、将来倒れるかも知れない。しかし、この写真は残る。前置きはこのくらいにして現状を報告する。
2012年11月9日調査 中島橋~中州第1号橋 柳並木その後
日本庭園近くの中島橋からキタラ近くの中州第1号橋までの500mを、北から南へと歩いた。そして、街路樹としてのヤナギ植栽状況を調べた。
現在のカラフルな散歩道になった時点で柳は64本あったと推定する。現状は柳の古木14本、倒木の後に植えられた柳の若木7本、計21本。
これに対して、倒木した柳の後に植えられた銀杏(イチョウ)は30本。そして倒木の後、何も植えられないで放置された空地が13ヵ所もある。
札幌で一、二といわれたシダレヤナギの街路樹
鴨々川には中島橋がある。中島橋はかって中島公園への正面入口であった。(中略)そこから川ぶちにシダレヤナギが続く。札幌で一、二といわれるヤナギの街路樹は詩情を誘うに十分なものがある。その数64本、一部は補植されている。(『中島公園百年』 山崎長吉著より)
2001年10月7日初の撮影 中州1号橋すぐ下流の鴨々川
11年前にデジカメを買った。中島公園撮影は、この日から始まった。下の画像左端は若木から育った銀杏。柳の倒木跡に植えられたと思う。
上は2001年10月7日、下は11年1ヶ月後の2012年11月5日の撮影。
2012年現在の画像。上の画像と比べると柳は減り銀杏が増えている。
2002年8月18日撮影 鴨々川沿い散歩道の柳並木
日本庭園近くの中島橋からキタラ南西側の中州1号橋までの500mは、散歩道になっている。小奇麗な柵とカラー舗装された道だが、川沿いの柳にとっては生きにくい道と思う。相次ぐ倒木でそう思うようになった。
鴨々川をはさんで日本庭園、豊平館、札幌コンサートホール・キタラ等がある。しかし、この散歩道の目玉は川沿いに植えられた柳の木々だろう。残念ながら台風で倒れたり、危険木として伐採されたりして、かっての面影はない。最近は柳に代わって銀杏が植えられたりしている。
2002年10月2日の台風第21号後に危険木伐採
2002年10月2日の台風第21号は中島公園にもかなりの被害を与えた。「北海道に30年住んでいるが、こんな経験は最初で最期だろう」と思った。台風で木が倒れることは予想していたが、木の根が浮かされて危険木になるとは想像できなかった。しっかりと根を張っていなかったのか。
2002年10月15日危険木伐採作業。残念だが危険防止の為なら仕方ない。
4日後に切られた柳。こうして古い柳は次第に減って行く。
上と同じ場所10年後の風景。当時植えた若木が育つ。2012年10月撮影
当時は何とか柳並木を保とうとしたが、最近は倒壊した柳の代わりに銀杏の若木を植えている。そのまま放置されている所もあるが、一部は花壇として利用されている。もはや柳並木の再現は望めないのだろうか。
2003年7月と2012年10月 鴨々川沿いの柳比較
上は2003年7月、下は2012年10月の撮影。1本減っているのが分かる。
本当はもっと沢山倒れた場所を載せたかったが手持ちの写真がない。その時に問題意識を持っていないと、後で役に立つ写真は撮れない思った。
上の写真と比べて見ると手前の一番太い柳が倒れたことが分かる。たとえ1本でも景観は変わる。隠れていた白いビルがはっきりと見える。
2004年5月22日と現在(2012年10月19日)との比較
2004年9月の台風18号が襲う前と、現在の景観との違いを比べてみた。
上が2004年、下が2012年。柳が2本減って銀杏の若木が成長した。
2004年9月8日、台風第18号が中島公園を襲う
2004年9月8日、台風第18号が中島公園を襲い多くの木々を倒壊させた。2枚上の画像と比べて見ると、その柳が倒壊したことが分かる。
場所と木の形から見てその柳と分かる。2004年9月8日台風当日撮影
約1ヵ月後、切られた跡を反対方向から撮影。2004年10月17日
ホタル橋(渡辺淳一文学館近く)横の柳も倒壊。2004年9月8日撮影
2012年11月5日 鴨々川沿い柳並木の現状
中島橋から中州第1号橋の間、約500mの鴨々川沿いは自然豊かな楽しい散歩道になっている。川を挟んで日本庭園、豊平館、札幌コンサートホール・キタラがある。この道の目玉は川沿いの柳並木だったが、すっかり変わってしまった。多数の柳が台風などで倒壊し、もはや並木とは言えない。
橋は中島橋、川向こうは日本庭園。ここには多分柳があったと思う。
中島橋近くには柳並木の一部が残っている。7本程度。
21世紀初期までは、柳が倒れた後は柳の若木が植えられたのだろう。
その後、倒れたまま放置されることもあったようだ。中には一旦若木を植えたものの、その若木自体が倒木した跡も見受けられる。
豊平館近くに3本分の倒木跡がある。なぜ植えないのだろうか。ここに3本の柳を植える予定かも知れない。そうすれば柳並木らしくなる。
かってはここも柳並木だったかもしれない。今は一本だけ。
2004年の台風18号で倒木した跡がある。渡辺淳一文学館前。
札幌コンサートホール・キタラ裏は並木にはなっているが銀杏が多い。
建物は札幌コンサートホール・キタラ。銀杏、柳、銀杏と並んでいる。
64本あったと言われている柳は、補植した若木を含めても21本になった。 しゃれたインターロッキングブロック舗装は柳に向かないのだろうか。ものを作るのは一つの仕事。それを維持保全するのも仕事だが、計画段階で維持保全する側との意見交換はあるのだろうか?
画像の左キタラ、中鴨々川、右散歩道と銀杏並木。2012年6月24日