2001年秋より11年間、中島公園の写真を撮り続けた。初期の写真には今では存在しない景観が記録されている。このまま埋もれさせておくのは、もったいない。情報化社会では泡一粒のような記録も集積され解析されれば価値を生むかも知れない。

今はない この木何の木 ムクドリの木?


2003年11月16日撮影。2009年11月中央の木は危険木として伐採。
伐採前後の画像はこちらをクリック → 大木が伐採される 

2004年9月8日、台風第18号が中島公園を襲い多くの木々を倒壊させた。しかし菖蒲池のシンボル的存在の大木は台風に負けずに残った。あれから5年、まさかこの木が伐採されるとは夢にも思わなかった。写真を撮っておいてホントによかった。虹を撮ったら木が写っていたのだ。

2009年10月15日 大きな枝が折れて落ちる


威容を誇った大木は内部から蝕まれていたようだ。支えきれずに折れた枝。折れた跡にポッカリと大きな穴。どうなるか心配したが…。

2009年10月28日 しばらくそのままの状態


大きな空洞があり倒壊の恐れがあるので伐採について検討中の様だ。池の中島だがボートは寄ってくる。何時倒れるか分からない危険木である。

2009年11月28日 ついに切り倒される


伐採は寂しいけれど仕方がない。素人目にも倒れそうに見える。補強して支える方法はあったのだろうか? 結局、伐採されることになった。 

長い間 菖蒲池のシンボル的な木だった


2004年5月5日撮影。これより5年後、右側の大きな枝が折れて伐採となる。大きくて枝ぶりのよい木。中島公園の景観として欠かせない木だった。しかし、突然倒れたら危険だ。それは分かるけれど惜しい。


2001年10月20日撮影。デジカメ買って初めて撮ったお気に入りの木。「お気に入りの木」と言うのは後講釈。池周りの紅葉を撮ったら写っていた。中島公園に詳しい人から大切な木と聞いて、お気に入りになった。

ムクドリ親子の巣があった想い出の木

2005年6月3日、「こまどり日記」というブログを運営しているコマドリさんからメールでお知らせがあった。この木からムクドリが巣立つのを見たそうだ。

「今朝(3日)中島公園を9時ごろ散歩をしてましたら ムクドリの巣立ちを見ました。 ムクドリの両親がパンのえさを運んでいきます。まもなくすると なかから 数羽の 子供が 巣立って出てきました。まだ中にいるようです。翌日もいるかどうかはわかりませんが もしよかったら見てください。 コマドリ」

ムクドリの巣を見つけるなり、スラスラスラと持参のノートパソコンに描いてしまうのだから凄い。まるで神業のようだ。

翌日巣を見に行くと、洞の中にヒナが2羽いるのが確認できた。

こんな場所でヒナを見るのは初めての経験。この様な想い出をもつ木を失ってしまって残念。 惜しいことをしたものだ。


2002年10月23日撮影。倒れそうには見えないが外見では分からない。こうして見ると、中島のギリギリの所に立っていたハルニレなのである。ムクドリの木の樹木名はハルニレと思うが、どうだろう?

2012年11月12日更新

中島公園21世紀 ~失われた景観~

行啓通のポプラ並木
鴨々川ヤナギ並木(キタラ裏)
ランドマークの木(キタラ前)
ムクドリの木(菖蒲池北の中島)

2009年10月28日 折れた大きな枝


2004年9月8日の台風18号でも生き残った木だが、5年後に下の方の枝が折れた。

折れた跡には大きな洞が


これでは、この上の部分を支えきれない。

この木に想い出をもつ人は多い。2004年の台風第18号の後、「あの木は大丈夫ですか?」とメールで問合せがあった。

在りし日のムクドリの木 春夏秋冬


春 2002年7月27日撮影


夏 2004年8月22日撮影


秋 2003年10月14日撮影


冬 2002年3月25日撮影。春先の氷面に融けかけの特徴がある。 来そうで来ない春。

公園の資産と活用を考えるリンク

中島公園の資産と活用シンポ報告書
資産活用「簡単解説」3.岡田花園
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ムクドリ親子の巣があった想い出の木

「残す道はなかったのでしょうか」
「高田松原の『奇跡の一本松』の様にか。無理、絶対にムリ」
「根もはっていた様だし補強などして生かせなかったでしょうか」

「ところで、あの木は何の木だ」
「ムクドリの木です」
「名前も知らなくちゃあダメだ」
「しかし、ムクドリの故郷なのです」
「そんなの絶対にダメ!」

「生まれた家を失ったムクドリの子はどうなるのでしょう」
「心配ない」
「死んでしまうかも知れませんよ」
「生きるも死ぬも自然の摂理」

ところで、「ムクドリ親子の巣があった想い出の木」冒頭に書いたように巣立ったのは、7年3か月前の2005年6月3日。そしてムクドリの平均寿命は8年。生きているか微妙なところだ。しかも、自然は厳しい。

泡の一粒ずつが無数の記録を残す

「歴史は勝者が作る」といわれている。
これは必ずしも、戦争の勝者という意味だけではない。人生の勝者も歴史を作る。ほとんどの記録は成功者によって残されているからだ。

「…私たちは一瞬に消えていく泡のような存在ではあるが、その記憶や記録を残すことによって、泡それ自体の息吹を歴史に伝えることができるのです」
北海道新聞2012年9月15日『体験を書きとどめる』ノンフィクション作家 保阪正康氏。私は泡の一粒として、記録を残そうとしている。その際、気を付けているいることが、一つある。

素のままの自分が泡の一粒として記録を残すこと。美化したり飾ったりすると記録を残す意味が薄くなり、もったいない。録を残すのも楽じゃない。折角の努力を無にしたくない。「泡それ自体の息吹を歴史に伝え」られればそれなりに役に立つ。

同時に自分の想いは書く。いろいろな人が、いろいろな想いを書いて残すことが大切と考えている。人類社会で初めて出現したネット社会には、今までと違った記録の残し方があっていいと思う。

 
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