水と緑の中島公園は、歴史と芸術の公園でもある。 そこで中島公園内の彫刻を古い順に並べてみた。そうすると中島公園と札幌の歴史が見えてくるような気がする。 野外彫刻を大切にしよう!

2014年07月12日 レナード・バーンスタイン像

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第25回国際教育音楽祭パシフィック・ミュージック・フェスティバル(PMF)の開催にあたり、PMF創設者レナード・バーンスタインの立像が札幌コンサートホール・キタラ近くに設置された。

バーンスタイン像は川の向こうの小さな円形広場に、ベンチを背にしてキタラ方向を向いて立っている。

この像はPMFの創設者で20世紀を代表する音楽家レナード・バーンスタインの功績を讃えて制作された。

PMF2013開催中から広く企業、個人の方から寄付を募り資金とした。なお、立像制作は宮田亮平東京藝術大学学長に依頼した。

バーンスタイン像はPMF組織委員会がPMF25回記念事業として制作したものである。

2000年 風景の夢(小田襄) キタラへのランドマーク

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中島公園を彫刻中心に見れば、山内壮夫ワールドだったとも言える。

1958年に開かれた北海道大博覧会跡地に翌年、百花園が誕生した。 そこには既に紹介した5基の山内作品が設置されていた。
(百花園は1997年廃園)

その後、新しい芽生えがあった。 まったく異質なステンレス製の彫刻が設置されたのだ。小田襄 作の「風景の夢」である。

地下鉄幌平橋駅を降りて、札幌コンサートホール・キタラへ向う園路の右側に見える。 「風景の夢」が見えれば正しくキタラに向っている。 ランドマークとしての役目も果たしている彫刻である。 

3.8mと、やや高めの鏡のように見える複雑な彫刻が、単純な園路ではアクセントの役目を果たしている。 この彫刻を右手に見て道なりに進めばキタラ、と言うような目印にもなっている。

1997年 相響(安田侃) 3基の彫刻がセットになって相響

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この画像では小さく見えるが、実際には高さが2.5mもあり、横幅はかなりある卵型の大きな彫刻だ。 

相響は、札幌コンサートホール・キタラ内の大ホール入口とホワイエにある作品がセットになっている。

3基の彫刻の内、野外にあるこの像が一番大きい。 「音の視覚化。地に響く音が聞こえてくれたら」という安田侃の願いが託されているそうだ。

イタリア製の白大理石で出来ていて美しいのだが、水には弱いので冬季間はシートで覆われ保護されている。 

1976年 ヨットと方向(林正美)彫刻家と児童が作った小道

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中島児童会館は、日本初の公立児童会館として開館した。

1949年7月3日米軍のカマボコ兵舎をもらい受けて中島公園内に開設したのが、児童会館の始まりだ。 現代の建物は三代目にあたる。

地下鉄中島公園駅を降りて少し西に歩き橋の手前を左に曲がると、「童話の小道」がある。

小学生の描いた絵の中をしばらく歩くと右側に「ヨットと方向」が見える。  、

ステンレスとガラスで作られたユニークな作品である。 そして、その隣に児童会館がある。

2009年9月、中島児童会館設立60周年記念事業として、子供たちが描いた絵をタイルにして、児童会館の外壁を飾った。

これで南9条通から童話の小道、ヨットと方向、児童会館のタイル絵、人形劇場こぐま座と繋がることになった。 そして彫刻「のびゆく子等」の像へと繋がった。親子連れで歩いてみたら楽しいと思う。

1976年 のびゆく子等(小野健寿) 清掃活動に作者も応援!

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2009年9月26日、「中島公園モニュメント研究会」主催による第4回中島公園彫刻清掃に参加した。

「のびゆく子等」の作者、小野健寿先生が、私たちの清掃活動を知り、説明に来てくださった。

先生から彫刻についての説明もあり、清掃を超えた、街中の美を守る啓蒙運動の側面も感じられた。

小野健寿先生が製作者としての取り組みなどを説明してくれた。

「友愛の心で命の喜びを表現」したことを伺い、作者の心の片鱗にふれボランティアとしての喜びを感じた。

清掃作業は彫刻に瑕をつけないことが大前提だ。 水をかけ柔らかいモップに水をつけ、注意深く拭ことから始めた。

1959年 森の歌(山内壮夫) ブロンズで再鋳造

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「森の歌」には、沢山の人や動物が掘り込まれている。 幾つくらいあるか数えてみたが、分からない。

女性、子どもなどの沢山の人々、それに牛、馬、羊、鮭、鰊などが掘り込まれた北海道らしい像である。 

円柱なので一回りして、同じものを重複して数えてしまう。80くらいあるかなと思った。 高さ6mあり、中島公園内では一番高い像だ。

1959年10月、中島公園で開催された北海道博覧会を記念して建立された。

当時、誕生した百花園の噴水の真ん中に白セメント製の「森の歌」が立っていた。

1997年9月、札幌コンサートホールの建設に伴う移設を機に、中島公園の表玄関である九条広場に移された。

その際、長期保存に適したブロンズで再鋳造された。 付近には中島児童会館や人形劇場こぐま座がある。 以前は、この像を中心にバラ園を造る構想もあったが、どうなったのだろう。

後で分った話だが、この像の一番上の子供が吹いているのは、ギリシャ神話の「牧神パンの笛」。 世界最古の管楽器と言われている。

1959年 母と子の像(山内壮夫) 清掃運動のきっかけになった

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中島公園には山内壮夫の作品が5点あるが、その内の4点は、中島公園ほぼ中央の芝生の広場にある。

その中で一番人気のあるのが、「母と子の像」と思う。

2007年6月、この像は転がされたり、目を花火で焼かれたりする悪質な悪戯に遭った。

この事件をきっかけに、「中島公園モニュメント研究会」が立ち上げられた。 

メンバーは彫刻ファンと中島公園近所の住民。 彫刻がこのような悪戯に遭うのは、彫刻自体が鳥の糞などで汚れたまま放置されていることも、遠因でないかと考えた。

ボランティアの手で彫刻をきれいにする運動を展開した。 年2回の彫刻清掃の他、調査、維持保全運動など多彩な活動をしている。 

1959年 笛を吹く少女(山内壮夫) セメント製の像は劣化?

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バラの花に囲まれた「笛を吹く少女」は美しい。 私の大好きな像だが、設置されて半世紀もたってしまった。

中島公園のほぼ中央に位置する芝生の広場を囲むように4基のセメント像が配置されている。

「母と子の像」「笛を吹く少女」「猫とハーモニカ」「鶴の舞」である。

いずれも設置されて半世紀たち、材質もセメントということで、このまま維持できるか問題となっている。

「森の歌」のようにブロンズで再鋳造できれば言いのだが、予算が必要だ。
コーティングで、どのくら寿命を延ばせるか。 とかいろいろ考えなければならない時期に来ている。

ところで、「笛を吹く少女」の笛がない。 最初からないらしい。

1961年 猫とハーモニカ(山内壮夫) 初めてのコーティング

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猫にしては人間っぽいのは、損傷した耳のせいだと思っていたら、ギリシャ神話の牧神という説もあるそうだ。

この作品も設置半世紀の山内作品だ。 なんとか寿命を延ばそうということで、コーティングをしてみた。(2010年8月実施)

「中島公園モニュメント研究会」が、その道の識者などの指導を受けながらやってみた。 画像はコーティング作業中の「猫とハーモニカ」。だいぶきれいになったような気がする。

ボランティアが当局の許可を受けてやってみた初めての保護作業である。
 大変意義深いものと思う。 2011年7月には「母と子の像」のコーティングを行った。 今後も結果を確認しながら続ける予定だ。

1961年 鶴の舞 (山内壮夫) 山内作品4点のネーミング

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1959年、「森の歌」など4基の山内作品が設置された約2年後に「鶴の舞」が設置された。

「猫とハーモニカ」の隣にある彫刻だが、比べてみると色が白っぽい。 

高さ190cmの白コンクリート製。 鶴と言われれば、その様な気もする。

芝生の広場を囲むように4基の山内作品があるが、一番分かり難いネーミングが、この「鶴の舞」だと思う。

なかなか鶴に見えてこないのだ。 これが鶴に見えない私は、アートのセンスがないのだろう。

「母と子の像」は直ぐ分かる。 「笛を吹く少女」も分かり易いが、笛がどこにあるのだろうと思ってしまう。 

「猫とハーモニカ」は人の様にも見えるし、ハーモニカが木琴を上から見たような感じだ。 以上は、アートには、ほとんど縁の無い中島公園近所の住民の感想である。 

1941年 木下成太郎像(朝倉文夫) 歴史的文化遺産

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中島公園で一番古い彫刻は、1941年に設置された「木下成太郎像」。当時、東洋のロダンと称せら れていた朝倉文夫の作品である。 

朝倉作品は第二次世界大戦中の金属回収令で、400点にのぼるブロンズ像の殆どが潰されて、大砲などの兵器にされてしまった。

台座とともにオリジナル像として残ったのは、この作品だけではないだろうか。

中島公園の「お宝」を超えた日本の歴史そのものを背負った文化遺産のような気がする。

2007年、菖蒲池東側に鎮座する「木下成太郎像」が、貴重な作品であることが、地元の彫刻ファンにより再評価された。

その後、全国的な広がりをみせ、2010年10月には、札幌パークホテルで
「2010北の彫刻シンポジューム」が開催された。

武蔵野美術大学、黒川教授は「屋外に設置されたブロンズ彫刻の保存について」の講演に先立ち、この像を診断し、調査をした。 

中島公園には「八窓庵」「豊平館」という二つの国指定重要文化財がある。 この「木下成太郎像」も歴史的文化遺産として見直されようとしている。

1999年 思い出のみどり子ちゃんファミリー (解体)

2014年6月19日ミドリ子ファミリーは解体された。

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不思議なことに、この像は長い間ブルーシートを被せてあった。 

一体、シートの中は何だろうと多くに人たちが疑問に思っていた。

説明プレートには、次のように書かれている。 「わたしたち『みどり子ファミリー』は札幌のみどりのシンボルです」

2010年にブルーシートが剥がされ、その姿を現した。 親子のような可愛い「みどり子ちゃん」だった。 頭が花で覆われている。頭の部分が植木鉢になっているのだ。 

今年はどんなヘアスタイルになるのだろうか。 頭の部分が花で満たされる。 毎年春がくると楽しみにしていたのだが2014年6月解体。

みどり子ファミリは親子三人だったが、父は直ぐに壊れたのか行方不明。三人家族揃っているのは写真でしか見たことない。家庭崩壊の芽は最初からあったのかも知れない? 花でヘアースタイルが変わる可愛い彫刻だった。

2014年7月13日更新
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「中島パフェ」関連リンク

公園緑化協会中島公園
札幌彫刻美術館友の会
エッセー,楽しい食卓朝の食卓
彫刻友の会/地図コンテンツ/中島公園

本文の補足説明画像

各彫刻の説明文に関係ある画像。

「木下成太郎像」とシンポジウム


基壇,台座を含めた木下成太郎像は貴重

パークホテルで関連シンポジウム開催

彫刻を調査する武蔵野美術大学黒川教授

建立当初の「森の歌」(旧百花園)


札幌市公文書館所蔵

「母と子の像」と彫刻悪戯事件


2007年札幌まつり最終日に倒される。

復元後も花火で焼かれたり悪戯は続く。
「中島公園モニュメント研究会」開設。

昔の「笛を吹く少女」(旧百花園)


皆でごみ拾い(札幌市公文書館所蔵)

「猫とハーモニカ」で初の劣化防止作業


コーティングによる劣化防止作業。

2011年は「母と子の像」で実施。

「鶴の舞」と山内壮夫ワールド1987年


左に「鶴の舞」噴水の中に「森の歌」背景に藻岩山(札幌市公文書館所蔵)

ランドマークとしての「風景の夢」


幌平橋駅よりキタラに行く途中にある。

中島児童会館の横に「ヨットと方向」


中島児童会館横に「ヨットと方向」
児童会館への道は「童話の小道」

開館60周年記念事業「ゆめのタイル」

清掃運動に「のびゆく子等」の作者参加


「のびゆく子等」の解説は小野健寿氏

冬季間防水シートで保護する「相響」


冬はシートで保護される「相響」。

地中でも台でシッカリ保持している。

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