2010年のめでたいことは「みどり子ファミリー」が数年ぶりにカバーをとって花が植えられたこと。髪の毛の代わりに花いっぱいの頭が可愛い。

彫刻清掃報告の前にお気に入りの1枚「笛を吹く少女」

中島公園は静かで風情があっていい。この広場には郷土の彫刻家、山内壮夫の作品が4点ある。これは、その一つで「笛を吹く少女」。 

優しい感じの曲線が美しい。 一生懸命清掃して彫刻が奇麗になれば、中島公園も奇麗になると思えば作業も楽しい。

中島公園第5回野外彫刻清掃報告 2010年6月20日


←「相響」に水をかけて清掃。
札幌コンサートホール・キタラ広場前にある安田侃氏の「相響」。


6月20日は、暑い中31名が参加して、中島公園内の彫刻清掃に汗を流した。

今回初めて、中島公園管理事務所の協力を得られ、清掃作業もスムースに行われた。

近隣ホテル、大学生、公園内諸施設の職員等、幅広い方々が、ボランティアとして参加してくれた。 

「札幌彫刻美術館友の会」が中心になって始めた彫刻清掃だが、回を重ねるにつれて、幅広い方々が参加するようになった。

彫刻清掃画像はJTBコミュニケーションズ北海道、橋本さんの提供。
詳細はこちら→ 第5回中島公園彫刻清掃blog

彫刻に傷をつけないことがが、作業の大前提。


←「笛を吹く少女」の清掃。
中島公園ほぼ中央の芝生の広場にある山内壮夫の作品。

清掃に先立ち、札幌彫刻美術館友の会長より挨拶。

「野外彫刻を大切にするためには、親しんでもらうことが第一です。 

みんなの力で野外彫刻を奇麗にしましょう。 そうすれば中島公園が奇麗になり、札幌が奇麗になります」。

水をかけ、柔らかい布で鳩のフンなどの汚れを取るのが彫刻清掃の基本。 

彫刻が、文化財であり美術品であることを忘れてはならない。 
清掃法はゴシゴシでなくナゼナゼの方がいい。 

彫刻に傷をつけないこと。 清掃作業中怪我をしないこと。 
この二つが、清掃作業の大前提である。

彫刻清掃で再認識 「木下成太郎像」の補修へ繋がる

大変貴重な歴史的文化遺産といわれているが、なぜか長い間、これといった手入れもされず放置されていた。 謎のブロンズ像?

長い間、森の中に放置されていた。

汚れていた「木下成太郎像」→

画像は最近注目され始めたた中島公園にある「木下成太郎像」。 長い間、知られることもなく中島公園の片隅に放置されていたような状態だった。

カラスのフンで汚されたブロンズ像が、悲しそうに見えるのは気のせいだろうか。 ここは中島公園東側の森。 ボート乗場から近いが寂しい場所だ。

2007年12月、「中島公園モニュメント研究会」が立ち上げられた。

これでいいのかとの思いで、美術愛好家と中島公園近所の住民が手を結び、野外彫刻の清掃を始めた。

3年前の「札幌まつり」の夜、同じ中島公園にある山内壮夫作「母と子の像」が、何者かの悪戯で押し倒されて転がされた。

その後も、花火で目を焼かれたりした。 この事件が、彫刻清掃のきっかけとなった。 そのとき、立ち上げられたのが「中島公園モニュメント研究会」である。

札幌市が「木下成太郎像」を補修。

奇麗になったブロンズ像→

2008年6月より、中島公園内の野外彫刻とモニュメントの清掃を始めた。 今年、6月20日、5回目の彫刻清掃を行う運びとなった。 

このような活動が認められたのか、去年の秋、札幌市は、傷んでいた「木下成太郎像」の補修を実施した。

ブロンズ像はかなり奇麗になった。 上の画像と比べれば、その違いが分かると思う。 しかし、奇麗になったのは表面上のことでブロンズ像本体は、かなり痛んだ部分がある。

長い間放置され基壇はかなり傷んでいた。(補修前)

豪華な基壇も傷んでいた→

このブロンズ像は東洋のロダンと称された朝倉文夫の作品である。 彼の作品の殆どはは第二次世界大戦中の金属回収令により、潰されて大砲などの兵器にされてしまった。

中島公園に唯一の作品として残されたのが木下成太郎像である。 しかも台座も基壇も当時のままで残っている。 今では国家的文化財として、注目を浴び始めている。

修復して新品同様になった基壇

一流の彫刻家の作品だから、基壇も豪華だ。 岡山産の満成石、桜色花崗岩で作られている。 半世紀以上も放置され、大きな亀裂が入っていても修復すれば、新品同様になるのだ。

奇麗になった補修後の基壇→

「木下成太郎像」のようなブロンズ像は、二度と作ることの出来ない歴史的文化遺産である。 

中島公園にこんな素晴らしい歴史的文化遺産があることを、皆さんはご存知だろうか? 私は初めて知り、本当にビックリした。

木下成太郎の父、木下弥八郎顕彰碑も健在

木下弥八郎顕彰碑→

中島公園北東角の交差点の三角緑地に大型の碑がある。 場所は、パークホテルの北東側、アートホテルズの道路を挟んで南側、道路の真ん中にある。

そこに木下成太郎の父親の大型石碑が建立されている。 碑文は当時の内閣総大臣のものだそうだ。 

これも、私にとっては新しい発見。 中島公園周辺は至る所に名所旧跡がありながら埋もれている。 まるで宝探しのようで興味が尽きない。


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