中島公園の野外彫刻を奇麗にしようという趣旨で、2007年12月、付近の住民と彫刻ファンによるボランティア団体「中島公園モニュメント研究会」が発足。野外彫刻の調査、清掃活動を行っている。2010年4月からは、中島公園管理事務所の協力を得て幅広い活動へと進化した。
野外彫刻が泣いている「中島公園モニュメント研究会」発足
←押し倒された「母と子の像」
2007年「札幌まつり」最終日6月16日の夜、山内壮夫の彫刻「母と子の像」が押し倒された。
この彫刻の高さは115cmもあり、相当重い。元の台座に納めるのにクレーンを使用した。
←目を黒くされた彫刻
その後、更に悪戯が繰り返された。今度は目の窪みに花火を差し込まれ火を付けられた。
度が過ぎた悪戯に管理事務所もたまりかねて警察に被害届を提出した。
彫刻が鳥の糞等で汚され、放置されていたことが、悪戯を誘発したのかもしれない。
およそ10日後、「近くの女性が見た時は、目のくぼみに数本の花火が突き刺さっていた。女性は見かねて取り外したという(北海道新聞2007年6月30日)」。
私が担当しているラジオ番組、6月14日放送(コミュニティFM「山鼻、あしたもいい天気!」)でゲストの札幌彫刻美術館友の会会長に質問をした。「中島公園には山内壮夫の作品が5点ありますが、どれが一番すきですか」と。
会長は「母と子の像」と答え、その理由を含めて話してくれた。偶然と思うが、その彫刻が被害に遭ったのである。悪戯はこれで終わらず、同じ広場にある山内の作品「笛を吹く少女」までに及んだ。
こんなことがキッカケで、「中島公園モニュメント研究会」が立ち上げられた。主体となったのは「札幌彫刻美術館友の会」会員だが、地元の参加者の多くは、ラジオ「山鼻、あしたもいい天気!」のパーソナリティとその仲間たちだった。
2008年6月29日 第1回中島公園彫刻とモニュメント清掃
中島公園が一番にぎわう「札幌まつり」が終わると、次は札幌のイベントで一番にぎわう豊平川花火大会だ。このような中で、「中島公園モニュメント研究会」が発足した。
同会立ち上げのきっかけは去年の夏起こった「野外彫刻悪戯事件」である。当面の活動は札幌市民共通の財産である中島公園の野外彫刻をきれいにすることとした。
第1回目の「中島公園の彫刻とモニュメントの清掃」は2008年6月29日9時から12時までの予定で行われた。札幌彫刻美術館友の会等の美術愛好者と中島公園近所の住民が共同して行う意義深いイベントになり、参加した私も大変勉強になった。
目的は文化財保護 ~野外彫刻を大切に~
目的は文化財である野外彫刻に親しんで頂き、大切にしてもらうこと。この為ボランティア解説者による彫刻説明もある。同時に彫刻データ収集なども行なわれた。市民に関心をもってもらうことが第一歩と思う。
去年の夏に起こった「野外彫刻悪戯事件」も、原因の一つとして、野外彫刻に対する、無関心があると思う。このことを反省する意味もあるイベントとして、今後も続けられることを願っている。
中島公園に残された貴重な銅像「木下成太郎像」
←「木下成太郎像」
ところで、中島公園で一番の野外彫刻と言えば、は朝倉文夫の「木下成太郎像」だろう。 全国的にも貴重な質の高い一級品である。
朝倉文夫という、当時の日本彫刻界をリードする大人物が、十勝出身の大政治家、木下成太郎の為に作った作品と言われている。
戦時中、朝倉文夫のブロンズ像が400点も潰されて大砲等の兵器にされた。その中で、この作品だけが生き残り、非常に貴重なものとなった。しかも朝倉文夫が一番力のこもっている頃のの作品で質も非常に高い。
会報誌「キタラクラブ」に掲載された山内壮夫の作品5点
「中島パフェ」管理人が撮った5枚の写真が2008年6月20日発行の札幌コンサートホール・キタラ会報誌「キタラクラブVol.38」の裏表紙に掲載された。
広報誌に掲載されたのは、山内壮夫の「鶴の舞」で、キタラの方面から歩くと文学館に向う途中にある。この写真には写っていないが、手前に「猫とハーモニカ」がある。
中島公園にある5点の山内壮夫作品はこちら →野外彫刻の写真掲載