動物は活発に動く 台風直後の8日 台風翌日の9日 台風3日後よりの爪跡

2014年9月8日 台風第18号より10年!

中島公園に大きな爪跡を残した台風第18号の来襲より10年たった。未来の災害に備える為に過去を知る。現在の視点で捉える台風第18号。
画像中心の簡単説明はこちら → 台風18号の大被害から10年

2004年9月8日に北海道を通過した台風第18号は中島公園にも最大級の被害をもたらした。このことを忘れることは出来ない。台風に強い公園をどう造るかのヒントが破壊された事実の中にある。倒壊から学ぶことは多い。

2004年9月8日の台風で倒壊した行啓通ポプラ並木

台風第18号は中島公園の景観を滅茶苦茶にして去って行った。2004年からの爪跡は消えてしまったように見える。しかし、行啓通のポプラ並木だけは倒壊したままよみがえる気配もない。百年かけて造られた景観が僅か数時間で通過する台風で失われた

幌平橋駅前行啓通のポプラ並木はほぼ全滅した。折れたポプラは根元から伐採されたが、10年たったら切り株も消え痕跡も残っていない。


画像は2001年11月3日撮影のポプラ並木。天を突くような堂々とした並木だった。もし半分の高さに剪定されていたら、それでも倒れただろうか? 若いときに観た映画「第三の男」のラストシーンがが印象的だった。あの並木道を後でビデオを借りて観てみると適当な高さに剪定されていた。


台風の翌日に撮った倒壊したポプラ並木。幌平橋駅交差点付近の惨憺たる様相。道路の左手に地下鉄駅一番口が見える。無惨に折れたポプラ並木は最終的に根元から伐採された。1本残った地下鉄1番口横のポプラも危険木として伐採されることになっている。

折れてはいるが適当な高さがあり根はしっかり張っている。高さを揃えて剪定して残す道はなかったのだろうか?


上の画像を中島公園側から見たところ。ここは地下鉄幌平橋駅駐輪場。その向こうが両側にポプラ並木があった行啓通。彼方に見えるのは藻岩山。


これが9月20日のポプラ並木。台風12日後には切り株だけが残っていた。


台風1週間後の地下鉄幌平橋駅前。台風一過か青い空が印象的。9月15日


緑豊かな幌平橋駅前広場は様変わり。台風18日後の風景。下の画像は台風前の春景色。2004年5月12日撮影。夏は鬱蒼とした緑に包まれていた。

菖蒲池と周辺風景


台風翌日の9月9日の写真を整理していたら、こんな写真があった。沢山の倒木の中で貸しボートは営業していたようだ。


確かにボートが浮かんでいる。手前は倒木に乗った鴨。遠くにカモメが2羽。


人々の日常が始まっている台風のあくる日。散歩する人も見られる。


倒木の中でのんびり憩う人たちも居るではないか。仕事中の一休み?


人形劇場こくま座、倒れた大木の枝の陰に彫刻「のびゆく子等」の像。


毎朝ラジオ体操している場所の木々が台風で倒れた。台風から1週間たち他に広い場所もあるのだが、長年使い続けた同じ場所にこだわる人々。


2004年の台風18号より約8ヶ月経過した。倒木は綺麗に片付けられたが、木々の緑が少なくて寂しい。倒木の他に枝折れも相当あったようだ。札幌コンサートホール・キタラをめぐる風景は、この1年間で大きく変わった。


台風で倒壊後、1年たったらポプラ並木はこんな風になってしまった。


台風被害から10年たったら何もなくなった。右上のポプラの木には幹に白いものが見える。これを拡大して下に掲載。 ↓伐採される日も近い。これで幌平橋駅近くのポプラ並木はキレイサッパリ無くなってしまう。

上の2枚の画像は2014年9月7日の撮影。あの台風18号の10年後である。

動物は活発に動く

台風で倒壊した木々、動きが活発になった動物

木々などの植物は倒れて死んでしまったが、動物の動きが活発になった。特に猫は野生を取り戻したように見える。池岸を歩いていると、なぜか鴨の群れが狂ったようにガーガー鳴きながら泳いでいた。対岸を見ると猫が鴨を捉えようとしているところだった。


猫は鴨を制圧すると口にくわえ日本庭園方面に走り去った。台風で荒れた中島公園でくりひろがれた猫対鴨のバトル。動物の世界を垣間見たような気がした。猫は台風から何かを感じ取り野生に戻ったのだろうか?


う~ん、ピンボケだ。撮った私は鴨をくわえた猫に見えるが皆様は?


至る所に木々など植物の残骸が転がっているが動物の死骸は見えなかった。災害に対して動物は強いと思った。動けるものの強みだと思う。

台風直後の8日

2004年9月8日 台風通過直後の中島公園

台風が通過した14時ごろから16時ごろまで中島公園を撮り歩いた。木々はバタバタと倒れたり、折れたたりしたが動物は元気だ。動けるものは強いとつくづく思った。以下、撮影日時順に表示。


台風一過、信号は青だが走る車もなく静かな行啓通。折れた木々が交通を妨げている。この先では地下鉄幌平橋駅付近のポプラ並木が倒壊していた。


写真を撮っているときは気が付かなかったが、イチョウが折れギンナンの実が散らばっている。ここは札幌コンサートホール・キタラに向かう小道。


行啓通に架かる南14条橋下流の鴨々川。ここは近所の人たちが毎朝ラジオ体操をしている広場。シラカンバが根こそぎ倒れている。まだ5分しか歩いていないのに次々とこのような惨状に遭遇する。


大木が根こそぎ倒れている。岸辺の土は柔いのだろうか。


鴨々川沿いに下流に向かって歩く。白鶴橋を過ぎて中州橋の手前。


鴨々川岸辺の木が折れている。ニセアカシアかな。根がしっかりと張っていても、こんな風に折れてしまう。今までにない強風である。


札幌コンサートホール・キタラ南側でも大木倒壊。エゾマツかな? まだ15分しか撮り歩いていないのに沢山の倒木に遭遇。中島公園中の木々が倒れているような予感がする。後になって予感が的中したことを知る。


折れた木が多いが、この程度の折れ具合なら今は回復し爪跡を残さない。


残っている木々が多いことは確かだが、どこに行っても倒壊した木々がある。台風直後は景観が一変したように見えたが、今になってみると、台風の爪跡を感じさせる場所は少ない。爪跡は緑で覆われ新しい景観をつくる。


豊平館前の池には折れた枝がいっぱい浮いていた。先ず危険防止、次に通行の確保、池の中の処理は後になってしまう。


キタラ裏の鴨々川は折れた柳に覆われて見えなくなっていた。この辺りは柳並木が続く風情ある散歩道だが、肝心の柳は昔に比べ3分の1くらいに減っている。根が浮いているということで危険木として伐採された柳も多い。今回は根が大丈夫でもこのように折れてしまった。

現在のカラフルな散歩道になった時点で柳は64本あったと推定する。現状は柳の古木14本、倒木の後に植えられた柳の若木7本、計21本。

これに対して、倒木した柳の後に植えられたイチョウは30本。そして倒木の後、何も植えられないで放置された空地が13ヵ所もある。(2012.11.15)


中島公園から渡辺淳一文学館に行くにはホタル橋を渡る。ホタルが棲息する川にしたかったのだろう。残ったのがホタル橋とフェンスに描かれたホタルの絵。ホンモノのホタルを観るための努力は水泡に帰したのか?


台風一過、カモたちの日常が始まる。餌を食べ満腹になれば休むかも。


川でも池でも岸辺にある大木が根こそぎ倒壊している。


只今15時16分だが日本庭園は臨時閉園。こんな状態では開園できなくて当然だが臨時閉園はこの12年で初めてと思う。


猛威を振るった台風だが去ってしまえば日常が始まる。いつも散歩している人は散歩する。惨状の中でのんびりと歩く姿に違和感を覚える。そう思いながら撮り歩いている私も、他人様にはどのように映るのだろう。


根こそぎ倒れている。やはりここも岸辺。池に囲まれた藤棚の周囲。


なんとなく中身が頼りない。倒れて見れば、それが当然に思える。


一方、こんな写真も。枝が下がっている以外、台風を感じさせない。


ここは藤棚のある園路。不思議なことに皆が普通に歩いている。実際には頭の中でいろいろ考えながら歩いていると思う。いつもと違う景色なのだから。


「臨時休業」の看板が出ていなくても休みと分かる売店。出入りできそうもないので営業は無理。しかし犬の散歩に休みはなさそうだ。


マンションからの見通しは好くなったが、プライバシーは保ち難い。台風一過で暮らしも多少変わるだろう。


人形劇場こぐま座前もこのとおり。片付くまでオープンできないだろう。


北(すすきの)側から公園に入り少し歩くと「のびゆく子等」の像がある。近くでこんな大きな木が倒れたことをご存知だろうか。木々は成長するので目に見える痕跡を残さない。そして新しい景観ができる。


中島児童会館前の遊具も使用不能状態。子ども達の興味を引く風景だが、怪我をしないためには折れた木には近づかない方がいい。これほどの被害があっても怪我人のニュースには接しなかったが……。


九条広場には中島公園のシンボル的彫刻「森の歌(山内壮夫)」がある。真ん中辺りで木の陰になっているが見えるだろうか。余計なことだが右側に猫がいる。台風被害の中で動物だけが元気だ。


もう1枚「森の歌」がハッキリ見える画像を掲載。


立派な大木と思っていたが、こうして見ると倒れるべきして倒れた感じ。


水天宮参道橋から撮った倒木風景。やはりここも鴨々川岸辺。


鳩たちも元気だが台風の時はどの様にしていたのかな。風で飛ばされた鳩は居なかったのだろう。死骸を一つも見ていない。


菖蒲池東側の人気休憩スポット。春はツツジ夏はキショウブに紫陽花、順々に花が咲く。しばらくすると秋の紅葉だが、台風で木が減っても、残った木々は例年と同じ様に紅葉していた。


美しい花と惨い倒木。思わず「美女と野獣」を連想してしまった。


倒れても立派な木。威厳を保って寝ている。


エサやるぞ台風一過の菖蒲池放って置けないカモ好きな人

台風翌日の9日

2004年9月9日 台風当日行けなかった所を撮る


札幌護国神社の北西側に「彰徳苑」があり、戦没者慰霊碑や記念碑が立っている。そこでも多くの木々が倒れたが碑に被害はない。木は思ったよりも弱い。自然界のものだから死んだり生きたりするのが前提だからかな。


札幌では少ない伝統技術で作られた日本的建造物と思っている。残念ながら、その方面の知識がないので正確なことは分からない。公園のホームページを開設していると勉強しなければならないことが山ほどある。一応「中島公園パーフェクトガイド」と名乗っているが「完璧」の2文字が負担になってきた。


根が浮いていれば根こそぎ倒れるが根がしっかり張っていれば折れてしまう。北海道では想定外の風速だったのかも知れない。


札幌護国神社方面から地下鉄幌平橋駅に向かう園路。


テニスコートのフェンスは倒れ、木の根が浮いている。ここも被害甚大。


風による破壊がここまでとは今までの札幌では考えられなかったこと。もし想定されるなら風に強い木を選ばなければならない。現状のままなら剪定方法も考え直さなければならない。切りすぎれば美しくないが、切らなければ倒壊する。その限界を見極めるのは難しい。


山の中ならともかく、街中の木は倒れ易ければ危険だ。やはり風に強い木を選ぶ必要がある。背の低い木ばかりでも緑豊かな公園の方がいい。


こんな風景をあらゆる場所で見せ付けられると、都市公園では自然のままは難しいと思ってしまう。倒壊してしまったポプラ並木が、もし半分の高さだったら倒れただろうか? 高いポプラ並木は格好いいが倒壊して消失するリスクがあるのなら低い方がいいと思う。


幌平橋駅については緑に囲まれた出入口が気に入っていた。この駅は水と緑と野鳥の他は何もない駅。と誇りに思っていたが、今考えてみると何時倒れるか分からない危険木に囲まれた駅。一番口近くに残った一本のポプラも危険木として2013年中に伐採されることになっている。台風に耐えた1本も消える。


上の画像と反対側の1番口。このあたりの被害が一番大きい。


界隈で一番美しかったポプラ並木は強風で折れてしまった。


折れた木は根元から切られて片付けられた。幌平橋駅前の作業風景。


地下鉄幌平橋駅近くの豊水通。毎年8月下旬に開催される北海道マラソンが通過する道路。


この木はエゾマツかな? 山は藻岩山、建物は中島体育センター。昔この辺りにはプロレスの殿堂としても知られる中島スポーツセンターがあった。


台風通過次の日になると倒木もだいぶ片付けられている。


大きな木は格好いいが倒れたら始末が大変だなと思った。こんなことは実際に沢山の木々が倒れるまで考えたこともない。2002年の台風でも、かなりの柳が倒れたが、今回に比べれば僅かなもの。そこまでは考えなかった。


自由広場西側の園路。台風あくる日には日常が始まっているようだ。


上の一枚と同様だが、ここは南14条橋の下流にあたる鴨々川。


菖蒲池に行って見ると、ここでも沢山の大木が倒れた。


2002年の台風では、この辺りの柳が何本か倒れたが、そのとき生き残った柳が、今回の台風で倒れてしまった。柳はまだ残っている。


菖蒲池にも倒れた木々が浮いている。


おやおやこちらでも倒れている。現在この辺りに「菖蒲池」と書いた看板が立てられた。初夏にこの辺一帯でキショウブが咲く。

二日間台風現場を撮り歩いた感想

台風直後の8日と次の日、この二日間を撮り歩いて、動物と植物の違いを改めて考えさせられた。植物である木々は動けないのでその場で頑張っている。そして頑張りきれなければ倒れてしまう。

人を含めた動物は嵐が過ぎるまで安全な所に避難している。他の動物については見ていないのだが多分そうだろう。台風が去った後、のこのこ出てくる人間は、他の動物と行動がそっくりだ。

動物は、植物に対する優位性を楽しんでいるように見えた。嵐が去れば人は人の暮らしをし、鴨は鴨の暮らしをしている。そして植物だけが死んで横たわっている。ひたすら片付けられるのを待っている。もしここが山中ならその場で肥やしになるのだろう。

台風3日後よりの爪跡

中島公園に残した台風の爪跡

2004年9月8日の台風18号通過の3日後、9月11日から現在までの爪跡をたどる。3日後より本格的な片付け作業が始まり爪跡は徐々に消えていったが未だに痕跡を残している。ただ一見して爪跡と分かる場所はない。

2004年9月11日 三日前に台風とは信じられない風景


台風三日後、被害のあった場所を避け遠景を撮る。台風はどこ吹く風?


後片付けは進んだが大木の整理は残っている。菖蒲池東岸遊歩道。

2004年9月15日 すっかり見通しが好くなった幌平橋駅前


台風通過後の9月15日、地下鉄幌平橋駅1番口。ポプラ並木が倒壊して藻岩山が見えるようになった。台風後1週間たったが後片付けは道半ば。

2004年9月20日 折れた木は切り株だけになった


緑豊かな地下鉄幌平橋駅前もすっかり明るくなった。倒木最多エリア。

2004年9月23日 倒木の陰でピクニック


近くに寄るのも失礼なので遠くから撮ったが家族でピクニックの様だった。

2004年9月26日 児童会館・水天宮近くでも倒木多数


左側は鴨々川、川向こうは水天宮。右手に中島児童会館がある。

2004年10月8日 台風1ヶ月後


それなりに整理されたが、ポプラ並木が切り株だけとは寂しい。

2004年10月12日 菖蒲池南岸、枝を折られた木も多い


根こそぎ倒れた木は穴が土で埋められ、折れた木は切り株が残る。

2004年10月23日 札幌コンサートホール・キタラ


菖蒲池東岸より池越しに見える木々に隠れたキタラは美しかった。

2005年4月19日 台風の爪跡は年を越す


片付けられないまま年を越した台風被害木。護国神社彰徳苑。

2005年4月27日 台風18号から7ヶ月余りたった


台風による倒木で木々は減ったが、クロッカスの花は例年通り咲く。

2005年5月12日 倒木で藻岩山がよく観えるようになった


倒れた庭球場フェンスは補強され、木々が減って藻岩山が見え易くなる。

2014年9月7日 10年前の台風18号まではポプラ並木だった


ポプラ並木は無くなったが10年たてば、これが当たり前の風景となる。



人は人鴨は鴨にてよきそうろう台風一過の中島公園

2018年9月12日更新
中島公園パーフェクトガイド

中島公園を襲った主な台風

2018台風第21号
2004台風第18号(このページ)
2002台風第21号

台風・危険木伐採で失われた景観

行啓通のポプラ並木
鴨々川ヤナギ並木(キタラ裏)
ランドマークの木(キタラ前)
ムクドリの木(池北の中島)

倒壊した幌平橋駅前のポプラ並木

倒壊前のポプラ並木。手前が幌平橋。

ポプラ並木が倒壊し景観は激変。

2004年9月15日、台風通過後1週間

これだけの木々が倒れている風景は見たことがない。1週間たっても多くの爪跡を残している。不思議なことに動物の死骸は見えないし、建物の被害も覚えていない。

木々だけがあらゆる場所で倒壊していた。ただ日本庭園内の倒木は記憶にない。台風直後は臨時閉鎖していたので写真を撮れなかったからかも知れない。


地下鉄幌平橋駅駐輪場。


幌平橋駅から行啓通両側のポプラ並木は、ほとんどが折れてしまい崩壊。


手前は行啓通沿いの鴨々川、その向こうにテニスコートのフェンスが小さく見える。彼方に見えるのは藻岩山。


倒木が浮かぶ南14条橋下流の鴨々川。


折れたポプラはそのままになっている。


早朝の風景。ラジオ体操をする人たちとジョギングをする人。公園の姿は変わっても人々の日常は変わらない。

2004年9月20日 進む後片付け

台風に襲われてから12日たち、後片付けも進んでいるが公園の姿は変わった。


折れた木は根元近くで伐採され、鬱蒼とした緑に包まれた地下鉄駅入り口付近が明るくなった。真夏でも木陰が涼しい中島公園に戻るのはいつの日だろうか。


これが幌平橋駅のポプラ並木跡。向こうに見える1本も危険木としてい2013年中には伐採されることになっている。


台風後12日たったが片付けられない木々も多い。安全と通行の確保が優先。


中島公園ほぼ中央の「香の広場」。


札幌コンサートホール・キタラ近くの橋。


倒壊した大木の整理も進む。建物は札幌コンサートホール・キタラ。


根が張る前か軒並み倒れた若い木々。


菖蒲池に浮いている木に鴨が止まる。


倒木の向こうに、菖蒲池に架かる橋と豊平館が見える。


今はここに菖蒲池と書いた看板がある。


まだ台風の爪跡は殆ど残っているが、通行は確保され危険もほぼなくなっている。

2004年9月23日 明るくなった公園

更に三日たち台風通過後15日目となる。


折れた木々は次々に伐採された。


ポプラ並木の陰に隠れていた藻岩山が見えてきた。地下鉄幌平橋駅前。


車に乗せ易い長さに切られ運搬を待つ。


公衆トイレと幌平橋駅2番口。


倒木もこうして見ると立派な資源だ。処分するには勿体ない感じだが、何かに利用されたのだろうか?


倒木で覆われた中州橋付近の鴨々川。


風の力で根が浮いてしまった大木。ここは鴨々川水遊び場付近。


見え難いが、ピクニックを楽しむグループが居る。失礼かと思い遠くから撮った。木は倒れても芝生が残っていれば自然の中で食事を楽しめる。倒木も一つの風景か。

2004年9月26日 見えてきたもの

更に3日たち台風通過後18日目の中島公園。後片付けは急ピッチで進む。


倒木が気に入ってしまったニャンコ。


仲間も続々と集まってくる。ここは中島児童会館近くの「童話の小道」。ちょっと離れ過ぎだが「三匹の話し合い」。まるで童話の世界のようだ。


片付けられた大木倒壊の跡には、石碑だけが残った。字が薄くて所々が見えない。「札幌市XXX市 十五周年記念 北海道XX会」と書いてある。Xは不明な文字。


豊平館前も倒木は伐採され運搬するばかりとなっている。整理も最終段階。


こんな風景が見れるのも今の内。


殆ど片付いた南14条橋下流の鴨々川。


18日前にはここに大木が立っていた。


こんな写真があった。「のびゆく子等」の像が補修されている様に見える。台風から9年たったので何があったか忘れてしまった。


倒木を片付けたら風景がスッキリしてしまった。これもいいかも知れない。


シンジュの木だが、最初に切ったときはこの高さだった。これも好いかなと思っていたら、地下鉄中島公園駅3番口工事が終わったらなくなっていた。


公園が次第に綺麗になって行くのを見るのは楽しい。しかし伐採した木の利用が気になった。捨てるなどということもあるのだろうか? 私には立派な資源に見える。

2004年10月8日 台風通過1ヶ月


台風前は鬱蒼とした緑の中を流れる鴨々川だった。明るくなったが貧しい感じ。

2004年10月12日 美しい紅葉の季節


紅葉の秋を待たずに切られた木。

2004年10月23日 台風後1ヶ月半


菖蒲池の中島に残る切り株。

2005年4月19日 約7ヶ月後


護国神社の残した台風の爪跡。


豊平館前よりキタラを望む。

2005年5月1日 傷跡を埋める植樹。


台風後に植えられた樹木。

2005年5月2日 池東岸からの景観


水と緑の背後に垣間見えるようなキタラだったが、台風後はハッキリと見えるようになった。明るくなったが風情がなくなった。

2005年5月12日 庭球場も復旧


倒れた庭球場のフェンスは、補強工事中か。藻岩山の見えるアンツーカーコート。

台風直後に書いたこと

台風直後に書いた記事

2004年9月8日、台風18号が通過。風が弱まったのころを見計らって写真を撮りに行った。いたるところ倒木だらけ。被害の大きさに驚愕した。なぜか、鴨、猫などの動物だけが元気。

ところで、台風通過直後に撮った写真がSTV記者の目にとまり、「どさんこワイド年末特番、台風第18号の猛威」で放映された。


台風直後の中島公園の惨状を伝えた。


倒壊現場の写真が何枚か放映された。

台風直後の中島公園

園内はあちらこちらで大木が倒れ、道が通れない状態だった。菖蒲池東側散歩道の通行を妨げる倒木。

南14条橋下流の鴨々川。

鴨、猫などの動物の動きが活発なのが目を引いた。早速、鴨にエサをやりに来た人、風で落ちた銀杏をひろいに来た人もいた。台風通過から銀杏拾いとは、よく思いつくものだと感心した。

傷跡は残っても憩いの場所

台風の翌日からは公園を訪れる人々にとっては、いつもどおりの暮らしが始まる。いつもベンチで寝る人は倒木の横でも、気にせず眠る。とりあえず自分の場所を確保。

毎朝ラジオ体操する人は、他に広い場所があっても、立入禁止もお構いなく、お気に入りのいつもの場所で体操をする。

遊園地の横倒しの大木は、さっそく子供達の遊具になったが、直ぐに撤去された。楽しそうに遊んでいたのに……。

景観崩壊、台風前台風後比較

地下鉄幌平橋駅近くのポプラ並木。


ポプラは倒れ悲惨な感じになった。

地下鉄幌平橋駅1番出入口


藻岩山が見える様になったが嬉しくない。

幌平橋駅近く行啓通沿いの鴨々川。


水と緑-緑=景観の崩壊

水と緑の札幌コンサートホール・キタラ


倒木で丸見えになったキタラ。

台風で知った動物と植物の違い

9月8日台風第18号が北海道を襲い、中島公園も開園以来の大被害を受けた。木々は倒れ通行もままならない状態だった。しかし、翌日には危険防止の処置がとられ、通行も確保された。

この時点では大部分の倒木はそのまま放置され。例えて言えば、植物の死骸があちらこちらに、ごろごろ転がっている状態だった。 それに比べ、動物の死骸はどこにも見かけないから不思議だ。


鴨はあちこちの池を動き回り、まるで倒木と戯れているようにも見えた。つくづく動物は逞しいと思った。 

人間も同様、おばさん達はポリ袋を持って、銀杏ひろいに精を出していた。

台風の力で、銀杏がいっぱい落ちてきたのだ。直ぐに気がつくところが凄い。生活の知恵だろうか。

猫は野性を発揮し、鴨を獲っている場面にも遭遇。鴨は一斉に鳴きながら同一方向に、逃げるように集団移動した。


ついに一羽の鴨が猫に捕まり、くわえられてしまった。猫は鴨をくわえたまま、日本庭園に向かって走り去りさった。

又、水天宮近くでは横倒しになった倒木の上に猫がたむろして、のんびり日向ぼっこ。まるで、公園の変化を喜んでいるようだった。

植物が寝たきりなのに動物は強い。人も同様だ。公園中、荒れていても、一日たてば日常生活に戻り散歩する人は散歩し、ラジオ体操する人は、「危険立入禁止」の表示も、お構いなしに、いつもの場所で体操をする。

倒木を囲いのように利用して家族で食事を楽しんだり、荒れ果てた公園の片隅にあるベンチで昼寝もする。植物と動物の違いを認識させられた台風一過の中島公園だった。

普段見られない風景


根が浮いてしまった木。護国神社近く。


根が浮いた木は処分された。幌平橋付近。


行啓通の折れたポプラ並木は伐採処分。


台風1週間後の地下鉄幌平橋駅。

2004年台風当時に書いた記録

2004年9月8
午後になって風が弱くなると、直ぐにカメラを持って中島公園に行き、台風通過直後の状態を撮影しました。

台風通過直後の中島公園は園路は倒木で塞がれ歩くのもままならない状態でした。

しかし、翌日(9日)には危険防止処置がとられ、歩行区域も確保され、キタラなどの重要施設や北側広場などのまわりは、ほぼ整えられました。

地下鉄「中島公園駅」からキタラに向かう途中にある藤棚の園路も倒木でゴチャゴチャになり写真を見ただけでは何処だか分からない状態です。

翌日には綺麗に片付かれて、普段どおり通行出来るようになりました。あっちも倒木、こっちも倒木という状態でうんざりしました。

公園南側のラジオ体操広場も倒木だらけですが、早朝には普段どおりラジを体操しています。

風が弱まると一番先に公園にやって来たのは、風で落ちた銀杏や栗を拾う人たちでした。

まだ、早いとは思いますが、ほおっておけば、生ゴミになるだけです。以上、台風通過直後の中島公園でした。

9月9日6時
台風当日の8日はフィルムがなくなり、護国神社、幌平橋方面の写真は撮れませんでした。

その後、幌平橋駅付近の被害が一番大きいと聞き、翌日(9日)朝一番に撮りに行きました。一番好きなポプラ並木の惨状を見てショックを受けました。

中島公園の隣の札幌護国神社も被害甚大です。 朝は6時ころ、いつものようにラジオ体操前の散歩に出ました。

今日はカメラを持って行きました。同じ考えの人は多く、いつもと違ってカメラを持って歩いている人が目立ちました。

ふだん知らん振りして歩いている人も、今日は少し違います。「大変なことになりましたね。元通りになるのでしょうか?」

とか、口々に言います。私も「エライことになりました。」と口では相槌うつのですが、頭のなかでは別のことを考えていました。

これも一つの風景かなと思ったのです。わざわざ人手と費用をかけて元通りにするよりも、危険防止処置と通路の確保だけをして、そのままにしておいたほうが良いとおもいました。

台風が去ると園内が片付かない内に、ひとときの憩いを求めて、人々が集まります。ベンチでお茶を飲む人、写真を撮る人、散歩する人、ボートに乗る人、落ちた木の実を拾う人などいろいろです。

カモやスズメもふだんどおり、もちろんハトもカラスもです。倒れたまま動かないのは植物だけです。

動物は環境適応力が優れていると、実感しました。 一時は倒木で塞がった行啓通ですが、直ぐに復旧しました。

交通の確保と危険防止が最優先です。倒れてしまった園内の木々まではなかなか手がまわらないと思います。

9月11日
パークホテルから藻岩山を望む遠景では何事もなかったように見えます。しかし、何百という木々が倒おれる開園以来の大災害となりました。

無残な中島公園の姿をさらすことは本意ではないのですが今後の中島公園の維持・発展の為には必要なことと考えます。

又、災害現場は早急に片付けられるので、資料として保存しておくことも、災害予防のためには重要なことと考えます。

ボート乗り場のチケット売り場も倒れてしまいました。ボートの貸出はやっています。12日(日)は沢山のボートで賑わっていました。

中州橋付近はカモの母子のお気に入りの場所でしたが、倒木が気に入らないのか、母子カモも寄りつかなくなりました。

菖蒲池、キタラに近い南側の大木が倒れ、池が小さくなったように感じました。

鴨の母子 「すすきの生まれ中島育ち」のカモの子達も台風にもめげず、大きくなりました。

ひたすらエサを漁るのが食べ盛りの子供、首を長くして周囲を見張るのが母です。

倒木で囲まれてしまった「のびゆく子等の像」、「どうやって、のびるのだ!」と空に向かって叫んでいるように見えました。

菖蒲池、北側の中の島に立つ名木は枝が少々折れましたが、無事でした。

まさに台風一過です。鏡のような水面を元気に泳ぐ水鳥の航跡だけが目立っています。

ここは菖蒲池の東側園路です。ほぼ真ん中に白く見えるのが天文台です。倒木が「とうせんぼ」しているように見えますが、人々は何事もなかったように、潜りぬけ散歩しています。

三日もたつと、あるものは、そのまま受け入れて日常生活に戻るものですね。

2004年10月15日
台風で植物と動物の違いを再認識
9月8日台風18号北海道を襲い、中島公園も開園以来の大被害となりました。

木々は倒れ通行もままならない状態でした。それが、1日たつと、危険防止の処置がとられ、通行も確保されました。

しかし、この時点では大部分の倒木はそのまま放置されていました。例えて言えば、植物の死骸はあちらこちらに、ごろごろ転がっていました。

それに引き換え動物の死骸はどこにも見られないのです。それどころか、倒木で障害の多い鴨々川を避け、あちこちの池を動き回り、倒木と戯れているように見えました。

猫は野性を発揮し、鴨を獲っている場面にも遭いました。こうゆう場合鴨は一斉に鳴きながら同一方向に集団移動します。

一羽が猫に銜えられ、猫は鴨を銜えたまま、日本庭園に向かって走って行きました。

猫は倒木を好み、その上にたむろして、のんびり日向ぼっこしているように見えました。猫は公園の変化を喜んでいるように見えました。

植物が寝たきりなのに動物は強いなと思いました。人も同じです。公園中、荒れていても、一日たてば日常生活に戻り、散歩する人は散歩し、ラジオ体操する人は、「危険立入禁止」の表示も、お構いなしに、いつもの場所で体操をします。

ピクニックもするし、ベンチで昼寝もします。
植物と動物の違いを認識させられた1ヶ月でした。

2004年11月15日
景観比較、台風前後
9月8日の台風18号で中島公園は大きな被害を受けましたが、今年もいつものように紅葉の秋がやってきたような気がしました。

比べるものがないと分からないのです。だんだん見慣れてくるから不思議です。

菖蒲池北側の「のびゆく子等」の像ですが、柳の大木も倒れ寂しくなりました。今思うと「のびゆく子等」の像に大きな柳の細い枝がかかるような感じが絵になっていたのですね。台風後の丸裸に近い像は寂しいです。

藻岩山と菖蒲池ですが、木々が倒れて木々に隠れていたマンションが見えるようになってしまいました。

台風の影響は倒木だけでなく、枝や葉も相当傷めたようです。この近くは日本庭園ですが、被害はわずかでした。手入れが行き届いていたからだと思います。

池越の木々の合間にチラリと見えるキタラ(札幌コンサートホール)が好きでしたが、ここも相当大きな木が倒れたので今は丸見えです。

この公園を設計した人は泣いていると思います。水と緑と芸術のはずでしたが、緑がだいぶ失われました。

芸術は健在です。先日「ベルリン・フィル12人のチェリストたち」に行ってきました。アンコールに応えて「荒城の月」を演奏してくれました。良かったですよ。今のキタラにピッタリです。

地下鉄幌平橋駅前は壊滅状態です。地下鉄を降りて階段を上ると、ポプラ並木の道に出ます。右に曲がると近くには札幌市体育センター、更に進み左に行けばキタラ、右に行くと北海道立文学館です。ポプラ並木を通って家に帰るとき、いつも小さな幸せを感じていました。

幌平橋駅2番口近くに鴨々川水遊び場と中島公園庭球場(テニスコート)があります。その北西側が札幌護国神社です。このあたりの被害が一番酷いです。

これだけの被害を受ければ、今がどん底。これからの中島公園は良くなるばかりです。少しずつ緑が増していく姿を楽しみにしようと思います。

2004年12月15日
台風18号より3ヶ月たち、被害を受けた施設も徐々に復旧しましたが、何十年もかけて育った木々だけはどうにもなりません。

公園の主役は帰らぬモノとなりましたが、脇役は徐々に復旧しています。倒木で破壊されたベンチや大きな傷を受けた案内板などです。

何故か、ボート置き場に柵が新設されました。これは台風被害とは関係ないと思います。

鴨々川沿いの木々もだいぶ倒れました。少し、荒々しい感じになったような気がします。

自由広場には疲弊した中島公園を励ますように新しい時計台が設置されました。どちらかからの寄贈のようです。有り難うございました。

伊夜日子神社の裏では「風景の夢」まわりの工事が始っています。完成が楽しみです。大きく崩れ少しずつ復興、まるで終戦後のようです。

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