中島公園と共に歩んで来た中島中学では地域を知り交流する総合的な学習を行っている。中島公園の役割を学び、野外彫刻を学び清掃することもある。

2014年7月11日中島中学生徒が公園の彫刻清掃とゴミ拾い


天候が心配されたが青い空に白い雲、絶好の清掃日和になった。中島中学の生徒さんが大勢でゴミ拾いや野外彫刻清掃に来てくれた。総勢で140人くらいいたかも知れない。とにかく大きなパワーを感じた。

ここは札幌コンサートホール・キタラ前広場。目の前に安田侃氏の作品『相響』がある。進行は生徒さんの司会で行われている。1年生がゴミ拾いで、3年生が野外彫刻清掃をしてくれるそうだ。とてもありがたい。

この学習には公園管理事務所と札幌彫刻美術館友の会が協力している。皆が協力して地元の公園を綺麗にする。とても楽しい予感がする。


生徒さんが台座に上がって木下成太郎のブロンズ像を歯ブラシを使って清掃している。彫刻の清掃では像に疵を付けないのが鉄則。この点歯ブラシは安心だ。歯茎という人体の一番軟い部分を磨くのだから疵をつける心配が全くない。

ところで、この生徒さん成太郎氏の歯を磨いているではないか。この厳しいお方はいつも口をへのじに曲げている。口を開けさせるのは難しいと思うよ。見守っている皆さんも清掃を楽しんでいるようだ。時には笑い声も聞こえる。


円陣を組んで一体なんの相談をしているのだろうか? 


実は山内壮夫の『母と子の像』の清掃。仲良く楽しそうにやっているのが、とても印象的だった。思い出として心の中に留まってくれればいいと思う。と言うのは私が中学時代に何をしたか何一つ思い出せない。正確に言えば良いことをした記憶がない。覚えていることは話したり書いたり出来ないことばかりだ。60年後の今になって良いことをして良い思いでを作るべきだったと悔やんでいる。


皆様、お疲れ様でした。そして有り難うございました。解散

2014年6月25日 中島公園に関する講演会(総合学習)


体育館には140名くらいいただろうか。ここで札幌彫刻美術館友の会による野外彫刻、中島公園管理事務所によるカラスに関する講演があった。内容については後述することとして、それにまつわる思い出などを紹介する。

2007年6月彫刻清掃のキッカケとなった「母と子の像」悪戯

2007年「札幌まつり」最終日6月16日の夜、山内壮夫の彫刻「母と子の像」が押し倒された。このコンクリート像の高さは115cmだが相当重い。元の台座に納めるのにクレーンを使用したほどである。

その後、更に悪戯が繰り返された。今度は目の窪みに花火を差し込まれ火を付けられた。度が過ぎた悪戯に管理事務所もたまりかねて警察に被害届を提出した。上の画像:転がされてもシッカリと抱いている姿が痛ましい。

彫刻が鳥の糞等で汚され、放置されていたことが、悪戯を誘発したのかもしれない。この事件がキッカケとなり札幌彫刻美術館友の会の指導でボランティアによる彫刻清掃が始まった。以後継続されている。

2008年6月 記念すべき第1回野外彫刻清掃「相響」その他

記念すべき第1回野外彫刻清掃は2008年6月29日に行われた。この日は、フリーマーケットが開催され、大規模な「野点」も豊平館前の広場で開かれていた。更に、「ユニセフ・札幌ラブウォーク」もあり、「ガールスカウト北海道17団」など多くの団体が中島公園に結集していた。


このような状況の中で彫刻清掃が行われたことは大変有意義なことと思う。なぜなら、札幌彫刻美術館友の会の彫刻清掃は「街なかの美を守ろう」という運動の一環として行われているからである。市民に彫刻をキレイにする作業を見てもらうことは運動への理解に繋がると思う。上の画像を見ると、ほとんどの人が清掃作業を見ながら歩いている。広い意味で、同じ様なボランティア活動をしている仲間なので関心があるのだと思う。

2009年秋 「木下成太郎像」を札幌市が補修

木下成太郎像が、当時の日本を代表する彫刻家朝倉文夫(1883年~1964年)の作品と聞いたときはビックリした。基壇は傷み、石と石のすき間から雑草がボウボウ生えたまま放置されていたからである。

日本美術界の重鎮であった朝倉のブロンズ像400点余も、戦時中の金属供出のためにつぶされた。そして大砲などにされ、そのほとんどが失われた。この様な状況の中で、朝倉の作品が台座と基壇と共に、残されたことは、奇跡と言ってもよいと思う。彫刻本体も下の画像のように汚れていた。

2007年の彫刻悪戯事件の後、「札幌彫刻美術館友の会」の呼びかけで中島公園の野外彫刻清掃が始まり、老若男女が参加する幅広い市民運動へと発展して行った。2009年の秋、札幌市がこのブロンズ像の基壇等を補修、整備した。基壇のすき間はなくなり、見えにくい文字も鮮明になった。市民の地道な活動が市当局を動かしたのだろうか。

2010年10月札幌パークホテルでシンポジウム北の彫刻開催

基調講演は、武蔵野美術大学造形学部彫刻学科教授の黒川弘毅教授。 屋外に設置されたブロンズ彫刻の保存についての講演であった。 

2010年10月17日に「シンポジュウム2010北の彫刻」が、札幌パークホテル地下パークプラザで開催された。皆で一生懸命清掃していた木下成太郎像が、お宝だったとは新鮮な驚きだった。

長い間、林の中で寂しそうにしていたのに、にわかに光を当てられたように感じて嬉しかった。「木下成太郎像」は、1941年に華やかに建立されて、終戦を堺にその存在を忘れられていたかのようだった。これは偶然とは思えない。

なぜならば、像建立の発起人には近衛文麿首相等、当時の有力者の名が連ねられている。終戦後、札幌にも米軍が進駐して来た。見つかれば破壊される恐れもあったと思う。像を守る為、皆で知らんぷりしたのではないだろうか。

それが、シンポジウムをきっかけに表舞台に再登場しようとしている。厳しそうな像だがそう思うと親しみが沸いてくる。

2011年9月18日「猫とハーモニカ」前でパンフルート演奏

「パンの笛」を演奏していたのは、愛媛県在住で、芸名が竹笛太郎さんという方。札幌には会社の出張でよく来られるそうだ。 竹笛太郎さんは、アマチュアのパンフルート演奏家で、その道の知識は深く、いろいろなことを教えてくれた。


「パンの笛」は、世界最古の管楽器で一般的にはパンフルートと言われている。広島で盛んで、日本にもプロの演奏者が10人ほどいる。そして、例の彫刻はハーモニカではなく「牧神パンの笛」であると説明してくれた。

私たちは、竹笛太郎さんの好意で「猫とハーモニカ」の前で、パンフルートの演奏を聴く機会に恵まれた。曲はスペイン・カタロニア民謡「鳥の歌」。ギリシャ神話の世界に思いを馳せ、独特の美しさのあるパンフルートの音色を聴いていると、そこには猫もハーモニカも見えない。いうまでもなく、牧神パーンの姿が浮かんでくるだけである。

2012年6月30日「笛を吹く少女」とあそぼう!

「 クイズとコンサートで楽しもう。 こどももおとなも みんな おいで!」のキャッチコピーで始まった第2回彫刻クイズラリーはお天気にも恵まれ盛況だった。主催は札幌彫刻美術館友の会(友の会)。主役は「笛を吹く少女」。薔薇に囲まれ風船の首飾り姿。この日の為に三日間身体を洗い、コーティングで念入りなお化粧もした。これは彫刻劣化防止作業の一環として「友の会」で実施した。 

「香の広場」にはコンクリート製の彫刻が4体あるが、設置されて50年以上たち老朽化している。その寿命を出来るだけ延ばそうとする作業だ。人に例えて言えばアンチエイジングの様なものである。


彫刻クイズラリーの次はアトラクションのリコーダーコンサート。
藻岩山の見える「香の広場」で笛を吹く少女の前で行われた。演奏はCasa♪Reco(カサリコ)さん。家庭裁判所のボランティアグループと伺いナルホドと思った。とてもいいネーミングと思う。

2013年8・9月雨降る中で 「鶴の舞」の保全作業

「札幌彫刻美術館友の会」では老朽化しつつあるコンクリート彫刻の保全作業をしてきたが、今年はその最終回。「鶴の舞」を行うことにしたが、雨にたたられ2ヶ月に及ぶ作業になってしまった。


長い間やっていると思わぬ出会いもある。偶然この日には、近くの小学生の「中島公園彫刻探検」が行われていた。図らずも臨時の「彫刻説明会」となる。生徒さんにも喜んでもらえたと思う。

熱心にメモを取りながら聞いている姿が頼もしい。何といったって、今の小学生が21世紀を支えることになるのだから。雨は降ったり止んだりだった。引率する先生やお母さんもご苦労が多かったと思うが元気な小学生の姿に癒されたことと思う。画像は小学生に「鶴の舞」の格好をして説明をしているところ。

中島公園のカラスについて、中島公園管理事務所長


カラスについていろいろ教わった。先ずカラスの一日。朝起きてエサ探し、昼までは休憩、遊び、おやつなども食べるそうだ。そして夕方、ねぐらへ帰り寝る。つまりカラスは中島公園へ通勤しているのだ。

これは多分遊んでいるのだろう。カラスの分際で川遊びとは贅沢なことよ。私の遊びは散歩程度だ。

カラスの好物を調べてみたら、生の豚肉、めざし、魚肉ソーセージ、油揚げ、食パンとか脂分が多い。野菜でもマヨネーズがかけてあれば食べるマヨラーだそうだ。どちらかと言えば若者と共通した部分が多いような気がする。目がいいのでポリ袋の中身も見逃さない。

冬のカラスは餌不足。ポリ袋が狙われるのを見たことがある。この人も左手にポリ袋を持っているのではないだろうか?

カラスはいきなり襲ってはこない。先ず後から頭をかすめるように飛んでくる。シュッと音がするので怖い。バタバタと聞こえる場合もある。多分スピードの違いと思う。それでも駄目なら足で蹴ってくるが、いきなり蹴ってくる場合も多い。被害で多いのは驚いて転ぶこと。不意を突かれるからだろう。カラスの声に注意していれば被害を防げることも多い。もっとも鳴き声そのものも被害だが…。

カラスに襲われないためには、先ず巣をジロジロ見ないこと。そして巣の辺りで立ち止らないで可能なら迂回すること。

カラスの声をよく聞き、威嚇しているようなら時々後ろを振り返って、用心しながら出来るだけ早くその場を離れる。どうしても巣のそばを通らなければならない場合は腕を真っ直ぐ上に上げる。頭に載せてもよい。上げた手は振ってはならない。

カラスと果敢に戦う母カモ

カラスが子を守るために戦うのと同様にマガモの母も戦う。体が小さくても全力で吼えて威嚇して戦う。私の見た限りではカラスは逃げて行く。


2014年5月31日、豊平館前の池と菖蒲池に間に架かる橋の下にマガモの親子が休んでいた。そこに1羽のカラスがやってきてマガモの雛を狙っていた。


母カモはガーガー吼えてカラスを威嚇。しばらくにらみ合いが続いたが、カラスは諦めて去って行った。母は雛たちを後ろにしてしっかりと守った。


2007年7月3日、こちらは少し古い話だが場所は白鶴橋下流の鴨々川。川岸でカラスがマガモ親子の様子を見ていると、母カモは猛然とカラスに向かって突進。一方雛たちは何事もないかのように水中のエサ探しを続けている。


カラスは飛び上がって威嚇を始めたが、母カモはひるむ様子がまったくない。ガーガー吼えて反撃に出た。結局カラスは逃げて行った。母は強し。ところでオスは何をしているかというと何もしない。普段どおり食べて寝るだけ。

2014年6月25日 意義深い中島公園に関する総合学習

14時より15時35分、内容は生徒たちが生活している地域を知り、地域との交流を活かした活動に繋がる講演。具体的には管理事務所による「中島公園の役割と管理事務所の仕事・中島公園のカラスについて」、及び札幌彫刻美術館友の会による「中島公園の彫刻」等、二つのテーマ。

体育館に集まった約140名の生徒さん達が地域の話を熱心に聴いているのを見ていると昔のことを思い出した。もう60年以上も前のことだが学校で地域についての学習があった。

内容は東京都渋谷区にあって地域の子供達に八幡様と呼ばれ親しまれていた金王八幡宮についての話だった。渋谷金王丸という名がとても印象的だったので今でも忘れ難い。なぜなら、その時住んでいた家が渋谷区金王町に建っていたからである。5分前のことでも忘れるのに60年以上たつのに覚えている。

ところがその金王町という地名は今は渋谷2丁目とかいわれて味もそっけもない。こちらでも山鼻も薄野という地名もなくなってしまったが、中島公園が残っているのが救いだ。しかし藻岩山はビルが建ち見え難くなって来た。

この150年で札幌は、多くの水と緑を失った。なんとか昔の姿をとどめているのが中島公園と鴨々川ではないだろうか。このような状況の中で中島中学校で行われた中島公園に関わる総合学習は大変意義深いことと思っている。

2012年8月2日 中島中学で彫刻清掃

2012年8月、彫刻「協力の像」清掃に協力する機会を得た。大切なのは次世代への継承。若者との接点を持てたことは、その第一歩になると期待。


中島中学で行われた「協力の像」清掃に「札幌彫刻美術館友の会」が協力。

生徒は身近な中島公園を通して、環境問題や公園の役割等についても学んでいる。野外彫刻清掃など地域に貢献する活動も行っていると伺い頼もしく感じた。なぜなら「中島パフェ」開設の目的は次世代への継承。中島公園をより良い状態に維持して次の世代に引き継ぎたいと願っているからである。

中島公園の一隅で誕生した中島中学校の歩み

札幌市立中島中学校は1947(昭和22)年、現在の札幌パークホテルのある場所に札幌市立第五中学校として開校。1948(昭和23)年、札幌市立中島中学校と改称。1964(昭和39)、現在地に新校舎完成移転した。更に現在、新校舎建設中。中島公園の一隅で誕生した中島中学は三代目に入る準備中である。


2014年7月11日更新
中島公園の野外彫刻トップページ

2012年8月2日 中島中学で彫刻清掃

中島公園隣接地に誕生した中島中学校には、公園に因んだ作品を含め多くの美術作品がある。その中で唯一、誰もが自由に見れるのが今回清掃することになった「協力の像」である。

この像は1964年、中島中学が移転新築された年に建立された。移転前の同校は、現在の札幌パークホテルの位置にあり、文字通り中島公園の中島中学だった。


夏にしては肌寒い午前中。中島中学の生徒達は「協力の像」の清掃を行った。協力したのは、彫刻清掃について豊富な経験のある「札幌彫刻美術館友の会(友の会)」。先ず、会員が高速洗浄機を使って見せる。


次に友の会員の指導で生徒がやってみる。実はこの像、半世紀前の中島中学生徒会の総意で2,200人の生徒が廃品回収で資金を集め制作されたものである。生徒の思いを形にしたのは当時の美術教師、坂坦道氏。札幌のシンボルとして有名な羊が丘にある「クラーク像」の作者と言った方が分かり易いかもしれない。


次に生徒がやってみる。覚えるのが早い。

彫刻清掃で大切なことが二つある。ひとつは怪我をしないこと。もうひとつは彫刻を疵つけないことである。その為には「ゴシゴシよりナゼナゼ」の気持ちで磨くことが大切だ。 

その点、歯ブラシは彫刻清掃具として最適である。歯茎などの柔らかいものを磨く歯ブラシだから、彫刻を疵付ける心配がない。

高圧洗浄機を使うと面白いように汚れが落ちるが、細かい所にシツッコイ汚れが残りなかなか落ちない。彫刻の材質に合った洗剤をつけた歯ブラシが有効。狭い範囲を小刻みに動かして汚れを落とすのがコツと言われている。

中島中学の生徒と友の会が協力して「協力の像」を綺麗にしている。世代の違う人たちの協力は特に大切と思う。人の一生は限られている。すべでは次世代に引き継がれて行くべきものと考える。

中島中学の先輩達が48年前に作った像を、後輩が清掃する。資金集めの廃品回収したのは校舎移転前、まだ中島公園に隣接していた1962年頃。

時がたつのは早いものだ。今は60代になってしまった元中島中学生徒が、見違えるように綺麗になった「協力の像」を見て喜んでくれるかも知れない。大変、有意義な半日だったと思う。参加の皆様お疲れ様。

 野外彫刻関連情報

中島公園野外彫刻一覧
中島公園彫刻クイズラリー
シンポジウム2010「北の彫刻」
野外彫刻が泣いている

中島公園野外彫刻清掃

鴨々川・野外彫刻清掃2(11年10月中止
鴨々川・野外彫刻清掃1(11年6月纏め)
第6回中島公園彫刻清掃(2010年9月)
第5回中島公園彫刻清掃(2010年6月)
第4回中島公園彫刻清掃(2009年9月)
第3回中島公園彫刻清掃(2009年6月)
第2回中島公園彫刻清掃(2008年9月)
第1回中島公園彫刻清掃(2008年6月)

野外彫刻関連情報(歴史)

幻のオリンピックⅠ 謎の五輪ポスター
猫とハーモニカの謎
思い出の山内壮夫ワールド

北海道新聞コラム「朝の食卓」

中島公園百年
銅像は戦災を免れた
歴史散歩
彫刻清掃

「中島パフェ」関連リンク

公園緑化協会中島公園
札幌彫刻美術館友の会

中島公園カラス日記

中島公園の近所に転居して4年くらいはカラスに悩まされた。

2003年5月16日
カラスにエサをやる人の言い分

公園には幸せそうなカップルから行き場のないホームレスまで、いろいろな人たちが訪れる。ふれあいを求めて鴨や鳩にエサをやる人もいるが、中にはカラスにエサをやる人もいる。

「どうしてカラスにエサをあげるのですか?」と聞くと「カラスは賢くて可愛い、私のことを覚えてくれるし、空中でエサを受ける芸もある」とニコニコして語る。

それも一つの事実とはとは思うが問題もある。カラスは大きくて、鋭い嘴をもち、繁殖力も強い。このような野鳥と共存していく為には一定の距離が必要である。

もともとカラスは人から一定の距離をとっていたのに人の方が近づけてしまうのだから、どうしようもない。いい加減な生ゴミ出し、公園などでの給餌行為などでだ。

カラスは天敵が居なければエサの量に応じて増えるものだ。増え過ぎるのも絶滅するのも人間の責任と思う。

2003年9月26日
カラスとどう付き合うか

朝のラジオ体操を終えて家に帰ろうとしたら中州橋の両側にカラスが2列になって、お出迎え。何時もと違って橋に近づいても止まったままで飛んでくれない。

カラスに肩も触れそうな狭い橋。みんな内側を向いているので大きなクチバシが怖い。情けないけど遠回りして別の道に行った。

中島公園近所に転居して2年過ぎたがカラスに慣れるどころかますます怖くなってきた。後ろからの接触飛行が数回、1回はドスンと体当たりされ、これが一番痛かった。バタバタとか、シュウッとか進入スピードによって、音が違うのだが、後ろから来て前に飛び去って行く。

戦争映画で見る急降下爆撃の感じ。爆撃といえばフンを2回かけられた。高い所からボタッと言う感じだ。カラスのはやわくて大きいので始末が大変だ。至近弾は数回、ピシャッと地面に叩きつけられる。

カラスとはいえご近所同士だから仲良くしようと努力はしたが、なかなか上手く行かない。人とはぜんぜん違う価値観をもって、生活スタイルもまるで違うカラスとどう付き合えばよいか悩んでいる。

2005年8月9日
カラスに注意!交通整理?
 

中島公園の散策を始めて5年になるが、こんな丁重な扱いを受けたのは初めてだ。中州橋を渡って中島公園に入ろうとすると「こちらを通ってください。カラスに襲われます」と声がかかった。

制服をきた警備員が「あすこにカラスの赤ちゃんがいます。近づくと親ガラスが襲ってきます」と説明、「カラスに注意!」の立て看板もあった。

経験した人は分かると思うがけっこう怖い。 「カアカア」と大声で鳴きながら頭をめがけて執拗に追いかけて来るのだ。

今までのカラス対策は全て自己責任。保護を受けたのは、これが初めてだ。保護が必要になったということだろうか? 問題の深刻化でなければいいが。

2006年6月30日
人もカラスもお互いに怖がっている

自分が経験した範囲ではカラスの威嚇といっても頭を足で蹴られる程度で、そんなに痛くはない。しかし、音とか鳴き声に迫力があって怖い。

一番怖いのはバタバタと羽音をたててカアカア鳴きながら追いかけられたこと。枝から枝に飛んでしつっこく追いかけて来るのだ。

普通に歩いていればカラスに驚かされることは少ないと思う。私の場合は「中島パフェ」に載せるため何か変わったことはないかと、常にキョロキョロしながら歩いているので、カラスから不審者と思われたのだと思う。

この2年くらいはカラスが不審を抱くようの行動を自粛したので、あまり苛められなくなった。お互いに怖がっているのだから一定の距離をとるのが肝心と思う。

2006年7月28日
カラスの赤ちゃんなぜ怖い

中島公園はカラスの多いところだ。これからカラスの子育てのシーズンになるので、気をつけなければならない。

一般的に気をつけなければいけないことを一つ挙げるとすれば「赤ちゃんカラスには近づくな」ということである。カラスは心配するし、人は被害を受ける。カラスに人の善意など通じない。本能的に子を守るだけだ。

去年のことだが、中島公園駅から入る銀杏並木の園路にカラスの赤ちゃんが地面に落ちたのか、ヨタヨタ歩いていた。

少し避けて通ろうかなと思っていたとき、前を歩いていた若者がしゃがんで触ろうとしたら、早速、親カラスが飛んできた。

私が何度も経験している急降下威嚇飛行。ビックリした若者が慌てて逃げて行ったが、カラスはしつっこく追いかけた。子が絡んでいると追いかけ方も半端じゃない。赤ちゃんを守る為の行為といっても怖すぎる。

カラスは脅かして近づく人を追い払うだけで、滅多なことでは危害は加えない。このことは分っていても怖い。もう何十回と脅かされているが、全部中島公園のそばに住むようになった、この4年間のことである。

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