こちらは趣味の雑文が中心の個人サイトでです。公演情報、チケット購入、キタラクラブ等については公式サイトをご覧ください。
キタラ公式サイトはこちら → 札幌コンサートホール・Kitara
2020年11月2日~2021年6月30日 工事でキタラ休館
改修工事に伴い長期休館の予定 → 改修工事でキタラ休館
詳細はキタラ公式ページ → 札幌コンサートホール・Kitara
2020年春 新型コロナウイルス感染症の感染拡大
2月頃から公演中止が多数、5月3日~5日開催「Kitaraあ・ら・かると」全イベント中止、パシフィック・ミュージック・フェスティバル札幌(PMF)2020の開催中止等の中止等、大きな影響があり。現在進行中。
2015年6月17日キタラ・リニューアルオープン
設備更新工事終了。詳細はこちら → キタラ・リニューアルオープン
2015年2月~6月 コンサートホール設備更新の為休館
2月16日~6月16日 キタラ休館、詳細はこちら→キタラのお知らせ
キタラ開館より17年が経過し、舞台等の設備更新が必要となる。その為の工事で4ヵ月間休館する。ただし、Kitaraチケットセンター・ショップ及びホール貸館申請の受付は通常通り営業している。
2015年5月5日 改修工事見学ツアーに参加して
キタラの近くに転居して14年になるが、見学ツアーに参加するのは初めてのような気がする。小学生から高齢者まで約50名が参加した。今回の工事は開館当初に設置し、劣化してきた設備や機器の更新を中心とした改修工事とのことだった。
見た目は大きく変わらないということだが、改修中の現場を見るのは初めてなので、とても良い体験をさせてもらったと思っている。説明を受けながら、下の画像のようなひと味違う大ホールを見ることができた。
コンサートにはよく行ったので馴染みのある大ホールだが、工事中はいつもと違う。音響反射板や照明器具を吊り下げている吊物機構がだいぶ下がっているように見えた。シートや照明に汚れや傷付防止のカバーがかけられ、いつもと違う感じだ。ここには非日常性があり、これも一つの旅かなと思った。
この室に入ったのは初めてだ。どれが照明操作卓で、どれが音響調整卓だか分からないまま見ていた。どのような操作で照明がどう変わるか、どのような調整でどんな効果があるのかについても興味津々。短い時間だが普段見ることができないコンサートの裏側を垣間見ることができた。多様な照明演出に対応するため、最新の照明操作卓を導入したそうだ。どんなステージが観れるかとても楽しみだ。
パイプオルガンはそばに行くと凄く大きい。これを一人で弾きこなすとは驚きだ。このパイプの数の多さ、長さ方向が違う複雑さに目を見張る。説明によると「大変繊細な楽器で、温度・湿度の変化により、音程や響きも変化してしまう」そうだ。
大きくて複雑で繊細な楽器の音色を、改めて聴いてみたいと思った。オルガンコンサートには何回か行ったことがあるが、これからは今までの感動を上回るものがあるような気がする。
近所の住民としては次のオルガンコンサートには是非行きたいと思っている。このオルガンで「赤と黒のブルース」を弾いたらどんな感じになるか、つい空想してしまった。
なぜか昔観た映画「愚かなり我が心My Foolish Heart 」を思い出してしまう。ヴィクター・ヤングの音楽も好かったし歌もいい。
こちらのブログに大きめの画像を5枚→キタラ改修工事見学ツアー
大好きなキタラを外側から応援
キタラはギリシャ神話の音楽の神アポロンが奏でた竪琴「キターラ」に由来している。キタラは大ホール、小ホール、チケットセンター、託児室、中庭、レストラン等の設備が充実した一流のコンサートホールである。
キタラのシンボルはフランス製パイプオルガンと安田侃の彫刻「相響」。簡単だがキタラに関する説明は、これで終わる。詳細については公式サイトをご覧下さい。こちらをクリック! → 札幌コンサートホール・Kitara
「これでおしまいか。ずいぶん簡単だな」
「公演情報、利用案内など必要な情報は公式サイトから得られます」
「それなら、このページは要らんだろう」
「要ります! キタラが発信する内なる情報に、私が発信する外なる情報が加わわることにより、訪問者にとり完璧な情報になるのです」
「内だの外だの、よく分からんが、まあいいだろう」
「独りよがりですが、説明しましょう」
2004年の台風で多くの緑を失った。画像は木々がいっぱいあった頃のキタラ。 水と緑の向こうにコンサートホールがあった。2002.11.4撮影
キタラは近所の住民の誇り! なんとか応援したい
私は単なる近所の住民だが、キタラを想う気持ちは、音楽ファンに勝るとも劣らない。なんとか応援したいと思い、こんなことを考えた。
水と緑の公園、そして歴史と芸術の公園と言えば、札幌市中島公園。都心に近く交通便利な公園は、デートスポットとしても人気がある。
ところでデートで雨に降られたらどうだろう? そんなときは迷わずキタラに逃げ込もう。そこにはお洒落なキタラレストランがある。公園散策から食事とお茶に切り替えるのだ。これが臨機応変の処置というものだ。
それでも雨が降り止まなければ、タクシーで帰ろう。乗場はキタラ直結。雨に濡れることなく乗車できる。なんともスマートな対応ではないか。突然のアクシデントにもキタラをうまく使えば、危機をチャンスに変えることが出来るのだ。頼れる人と思われて、彼女のハートをギュウっと掴めること請け合いである。
「ほ~? アンタがね~。 デートの指南か」
「なんですか?」
「何でもないよ。現役をリタイアしてもコーチはできるよね」
「私は中島公園を多角的に捉えて、一つの可能性を掘り下げ…」
「分かった分かった。もういいよ」
「公園散歩の敵は雨です。頼れるキタラをPRしたつもりですが、キタラの応援になったでしょうか?」
「ぜんぜんなってない! 音楽と関係ないだろ」
「私、最近カラオケ始めたんですよ」
「分かってないな~。クラシックの殿堂だぞ」
「近所の住民として、なんとか応援したいのです」
「毎日、コンサートに通えばいいんだよ。近所のよしみでお客になれよ」
「このサイトの管理人として応援したいのです」
「なになにフムフム、取材して記事にしたい? 10年早いぞ!」
「10年たったらヨボヨボですよ」
「だから絶対無理」
無理は承知だが、最終的にはキタラを取材して記事にすることを目指している。しかし、当面の目標は皆さんに訪問してもらえるサイトになること。これなくして応援など不可能だ。先ずは足元を固めたい。
いきなりアクセスアップと言っても無理なので、とりあえずキタラ周辺の写真を撮ってお茶を濁すことにした。ところがこれが嬉しい誤算、素晴らしい景観がいっぱいだ。オシドリまでが彩りを添えてくれた。
水と緑、花と野鳥、それに安田侃の彫刻もある。池や天文台を挟んで、少し離れてはいるが、国指定重要文化財「豊平館」にも近い。豊平館と向かい合っている北側のテラスはややレトロな感じ。キタラは豊平館を意識しながら建てられたのだろうか?
それから、散策と言えば園路。自分なりに、いろいろと調べてみた。調査の結果、次のことが判明した。中島公園のヘソはキタラである。その証拠に主要園路の全てがキタラに向っている。
2015年春、雪融けでキタラ北側に北海道が出現?
『どうしんウェブ』に「北海道の形をした切り株 札幌・キタラ敷地内で見つかる」という記事があった。
「雪が融けたら地面から北海道が出てきました」
「丸くないのが不思議だが切り株じゃあないか」
「北海道に印がついているでしょう。そこがキタラです」
「切り株によくある模様だよ」
「印はキタラが北海道の中心であることを示しているのです」
「根拠のない思い込みは迷惑だから止めなさい」
「キタラは中島公園の中心どころか、北海道の中心なのです」
「ひいきの引き倒しだよ。取り消しなさい」
つい興奮して空想に走り過ぎました。お詫びして取り消します。
2014年7月21日「バーンスタイン プレイス」誕生
国際教育音楽祭「パシフィック・ミュージック・フェスティバル(PMF)2014」の組織委員会は21日、この場所を「 レナード・バーンスタイン プレイス」と命名した。
2014年07月12日 レナード・バーンスタイン像除幕式開催
25回目のPMF開催を記念してバーンスタイン像の序幕式が行われた。
像はベンチを背にしてキタラを向いて立っている。挨拶をする札幌市長。
第25回国際教育音楽祭パシフィック・ミュージック・フェスティバル(PMF)の開催にあたり、PMF創設者バーンスタイン像の序幕式がキタラに近い広場( レナード・バーンスタイン プレイス)で開かれた。
バーンスタイン氏がキタラに向かって指揮棒を振っている。上からキタラを見下ろしている様にも見える。銅像とは不思議なものだ見るアングルによって変わって見える。何処から見ても格好いい。
ところで、10メートルくらい後ろにあった「みどり子ちゃんファミリー」は、この像が設置される前に撤去された。父、母、子のファミリーだったが、父像はサイズも大きかったので支え切れなかったのかも知れない。長い間母子ファミリーとして立っていた。
もし残っていればバーン叔父さんが逞しい父親役になれたかも知れない。
もちろん緑子ファミリーが好きだった私の想像である。
「みどり子」は残りの像にも亀裂が入っていた。父像は特大だったので壊れたのではないだろうか。私の記憶では12年以上前から無かった。バーンスタイン像設置に伴い、計画的に廃止したものと思われる。母の亀裂は下の画像でもハッキリと見える。
キタラ周辺の風景
キタラとキタラ周辺の風景 戻る
2011年1月 凍結した菖蒲池越しに見るキタラ。
2010年7月 上と同じ場所から撮った写真。建物はキタラ。
2010年5月 キタラ裏(西側)を流れる鴨々川沿いの散歩道。
2009年10月 キタラと手前の菖蒲池。 水辺に東屋も小さく見える。
キタラ及び、キタラに関連する出来事 戻る
2010年10月ノボテルなど近隣ホテルも参加「Kitaraあらかると」。
2011年10月には私が所属する札幌彫刻美術館友の会も参加。
そのときの様子はこちらのブログ → Kitaraあ・ら・かると
2010年8月 宇部市長、中島公園の野外彫刻視察。
「相響」前で記念撮影。 右から二人目の女性が市長。
中島公園内の彫刻を視察風景→ 宇部市長中島公園へ
毎年7月 PMFの主会場はキタラ。 中島公園入口の看板。
2010年6月 「中島公園モニュメント研究会」主催の野外彫刻清掃。参加者は彫刻ファン、近隣の住民、園内施設、周辺ホテルなどのボランティア。
中島公園内彫刻清掃の風景 → 中島公園第5回野外彫刻清掃
中島公園は札幌市イベントの出発地点の役目も果たした。
2012年6月30日 中島公園彫刻クイズラリー
彫刻を愛するボランテイア団体「札幌彫刻美術館友の会」が主催。
札幌市が後援、キタラさんに協力して頂いた。
内容は彫刻クイズラリーとミニコンサート。 こどもも大人も歓迎!
詳細はこちらをクリック! → 第2回彫刻クイズラリー in
中島公園
申込先はチラシ下段に明記。 → 彫刻クイズラリーのチラシ
音楽関連歴史
音楽にまつわる中島公園ミニ歴史 戻る
中島公園の野外音楽堂は1918年に北海道開道50年を記念して建造された。北海道博覧会の施設の一つとして造られたが現存していない。
場所は今でいうと菖蒲池東側中ほどのベンチ近くにあった。写真で見ると演奏者10人も入ればいっぱいになりそうな、こじんまりとした音楽堂だ。博覧会開催中は毎日コンサートがあり大層な人気だったそうだ。
その後、博覧会の遺跡の一つとして残され大正から昭和にかけて使用された。しかし音楽堂をかこんでいた木造の座席は、いつの間にか取り除かれて音楽堂だけがぽつんと風に耐えて建っていたそうだ。その後いくたびかの公園改造の中で消えてしまった。
中島スポーツセンターは1954年に国民体育大会の会場とするために造られた。「プロレスの殿堂」として知られていたが、北海道立総合体育センター「きたえーる」の開館に伴い2000年に閉鎖された。下の画像で今あるのは菖蒲池だけ。
上からスポーツセンター,球場,百花園,菖蒲池。札幌市公文書館所蔵
スポーツセンターはコンサート会場としても使われていた。1958年には国立チェコフィルハーモニー交響楽団公演、1967年にはウイーン少年合唱団公演等が開催された。その他、多種多様のイベントがここで開かれた。
(参考:さっぽろ文庫84中島公園)
1997年、札幌コンサートホール・Kitaraオープン
1997年7月4日キタラがオープン、12月には中島公園内舗装等の工事が完了。キタラに向かう全ての主要園路がロードヒーティングになった。
世界中どこから来ても千歳空港に着陸して地下鉄中島公園あるいは幌平橋駅で降りれば夏靴でもキタラまで歩けるようになった。しかし、ロードヒーティング設備を使えたのもたった7年。2004年からは使用されていない。
費用がかかりすぎるのだろう。こんなことになるのなら、キタラは地下鉄駅直結の方が好かったと思う。ロードヒーティングに費用がかかることは誰でも知っている。維持費を考えなかったのだろうか?
確かに水と緑に囲まれたコンサートホールは素敵で格好いい。便利な設備でも使えなければ宝の持ち腐。今ごろは地中で錆びて腐っているかも?
2006年8月21日 キタラ前の巨大ポプラ伐採
2004年の台風18号でも倒壊をまぬかれたポプラだが、2年後に危険木として伐採された。中島公園内で一番存在感のある巨木だった。
伐採11日前の2006年8月10日、見納めかと思い記念撮影。
存在と伐採の詳細はこちら → 失われた景観 ~ランドマークの木~
キタラ裏、鴨々川沿いの柳並木は2度の台風で半減
2002年10月2日の台風第21号は中島公園にもかなりの被害を与えた。「北海道に30年住んでいるが、こんな経験は最初で最期だろう」と思った。台風直後に木を切らなければならないとは思ってもみなかった。
ところが更に予想外のことが起こった。2年後の2004年に襲った台風第18号で、多くの柳が倒壊、64本あった柳は21本になってしまった。
詳細はこちらをクリック! → 失われた景観 ~鴨々川ヤナギ並木~
私のエッセイ
管理人nakapaが駄文を綴りました 戻る
音楽は好きだが何も出来ない。キタラの近所に住んでいるだけで詳しくもない。困ったことに駄文を綴るのが大好き。近所の住民の書いたキタラ雑感。
全ての道はキタラへ! 幻のロードヒーティング
1997年7月4日、札幌コンサートホール・キタラ誕生。名実ともにキタラは中島公園の中心に位置している。これが地下鉄駅近くなら便利だが、駅から最も遠い位置にキタラは建てられた。つまり中島公園の真ん中である。
コンサートの行き帰りに、中島公園の風情を楽しんでもらいたかったのかも知れない。しかし、雪国の冬道は足元が不安で風情どころではない。それで、あらゆる方面からキタラに向う園路はロードヒーティングにしたのだろう。
10年前に中島公園近くに転居して初めての冬、一番感動したのはロードヒーティング園路である。雪の積った真冬でも夏靴を履いて、コッコッと音をたてて歩けるのだ。上の4枚の画像のように園路に雪が無い。初めてここを歩いたときはウキウキして夢心地だった。「これが公園の中か!」と思ったものだ。
地下鉄中島公園駅からも、幌平橋駅からも、そして電車通方面の公園橋出入口(西側、マップでは下)からも、キタラに向う全ての園路がロードヒーティングになっていた。まさに中島公園の中心はキタラである。今だってそうだが、ロードヒーティングは稼動していない。
幻の中島公園三種競技大会
ある日、若い女性が美味しいケーキを持って訪ねてきた。
「中島公園活性化のためにイベントを考えています。何かアイディアを聞かせて下さい」。名刺を見て女性が宣伝関係の人であることが分かった。
元々イベントのアイディアなど、何の持ち合わせもないが、ふとロードヒーティングの利用を思いついた。
「中島公園三種競技大会はいかがでしょうか」
おずおずと言ってみたが、耳を傾けてくれた。
「中島公園には1.5kmにも及ぶ、ロードヒーティング園路があります。つまり、足元だけで言えば、雪国と南国が共存しているのです。これを有効に使うと日本中で、ここだけでしか出来ないイベントを開けます」
「面白そうですね。どんなことをするのですか」
「スキー、雪原歩き、1.5km競走の組み合わせ。変化に富んでいます」
「それで、中島三種なのですね」
「そうなんです。先ず中島体育センター前から『歩くスキーコース』を一周します。それからスキーを脱いで、雪原と菖蒲池東側の森を雪に足を取られながらヨタヨタと走り抜けるのです。最後にランニングシューズに履き替えてロードヒーティング園路を全力疾走する競技はいかがでしょうか」
「スキーの技、雪原走りの体力、そして最後はスピード勝負ですね」
「そうなんです。技、体力、スピードの三つが微妙に絡み合うのです」
「なるほど、日本でこのイベントが出来るのは中島公園だけ…」
話は盛り上がったが、その後ロードヒーティングは使用されなくなった。経費がかかり過ぎるそうだ。中島公園三種競技大会も「幻のオリンピック」同様に幻で終わった。
幻のオリンピックとは、1940年(昭和15年)開催予定のオリンピック冬季大会のことである。中島公園はスケート会場に予定され準備も進んでいたが、戦争の為オリンピックそのものを返上する運びとなった。惜しいことをしたものだ。同年開催予定の東京オリンピックも返上された。開催には平和が絶対条件。
コンサートでコックリ
コンサートに行って来た。 イリーナ・メジューエワさんのピアノコンサート。クラシックは馴染みが薄いのだが誘われると何となく行きたくなる。一人で行くほどの音楽ファンでもなく何時もグループで行く。開演30分前が開場。早く入って隣に座ったAさんと話をする。これもコンサートの楽しみの一つ。コンサートの雰囲気が好きなのだ。
「私、後期高齢者になったのよ」
「そうなんですか。ビックリですね。とてもそうは見えません」
実際、Aさんは顔の艶がいいし、声も話も若々しいので、コーキ(後期高齢者)には見えない。毎朝5時半に起きて1時間もウォーキングをするそうだ。そのせいかもしれません。
いよいよピアノリサイタルの開演。しばらくすると私がコックリ、コックリを始めた。ショパンの「ポロネーズ」「ノクターン」辺りまでは好かったが、「バラード第3番 変イ長調 作品47」くらいになるともうダメ。心地よいメロディーが眠りを誘うのだ。
一眠りしたので後半の「展覧会の絵」あたりではバッチリ目が覚めた。Aさんはどうかなと思ってチラリと見るとコックリやっている。若く見えてもやはりコーキだ。それとも朝のウォーキングの疲れかな?
Aさんはコックリのときは背中を丸めてウサギのように丸くなる。 そして、ピアノ(弱)がフォルテ(強)に変わりジャーンとなるとピンと反り返る。ピアノで丸くなりフォルテでピンを繰り返していた。
「展覧会の絵」は強弱の激しい曲だなと思った。プロムナードはおなじみだが、10枚の絵の部分が激しい。それでAさんが丸くなったりピンとなったりする。 その様子が面白くて、今度はいつピンとなるかなとか楽しんでいた。
メジューエワさんは終始、無言でピアノを弾いていたが、アンコールのときに4語だけ発した。たった4語、話したというよりも発した感じだ。
「ラフマニノフ」「夫の絵」「ラフマニノフ」「ライラック」これだけだが、とてもきれいな声だった。ただ初めて耳にする「夫の絵」が気になった。帰りがけに掲示板をみると「本日のアンコール、ラフマニノフ 音の絵、リラの花」と書いてあった。
コンサートで「お邪魔虫」と思われて…
コンサートのことだが、私は自由席が嫌いだ。必ず席取り合戦が起こるからだ。この戦いに私の勝ち目はない。だが、友だちが取っていてくれれば有難く座ってしまう。我ながらいい加減な人だ。
席取りを頼んだ覚えはないが、人の親切を無にすることは出来ない。
私は、ある行為を非難しながら、その果実だけはシッカリ頂いてしまう悪い人。 こういう人には、決して席を取って上げてはいけない。
ベートーベンの第九交響曲は自由席だった。喘息もちなので、入口近くの端席に座った。 こうすれば発作が起きても直ぐに席を立てるので安心だ。楽しみにしていたコンサートだが、ハプニングがいろいろあった。先ず、扉近くにいるレセプショニスト(コンサートホールの案内係)の指示に戸惑いを感じた。
このホールは前後の椅子間が狭いので、人が来たら座席シートを上げて立つことにしている。その方が通る人はもちろん、通す私も気持ちがいい。
その日は端に座っていたので人が来るたびに立たなければならないが、承知の上だから、それはそれでよい。気になるのは、扉の近くに立っている案内係の指示だ。突然やってきて予期せぬことを言うので困ってしまう。
例えば、こんなことがあった。私の横に立っている女性がいたが、ただ立っているだけで通って座る気配がない。案内係は遠くから見て、私が彼女の通行を妨害していると誤解したらしい。
ツカツカと足早に寄ってきて、「通してあげて下さい」と言う。私は傍にいるので彼女が友人を探すなど、席の様子を探っていることがハッキリと分かる。通る意思のないことも分かっていたが、私の判断よりも案内係の指示を優先させ、「どうぞ」と言って通り易くするために席を立った。しかし、予想通り女性は動かない。「席を取ってあるので探しているの」とかつぶやいてキョロキョロしている。多分、席取りの友人が見つからないのだろう。
おやおや、案内係は私を置き去りにして行ってしまった。「通してあげて下さい」と言ったけど女性が通らないのに黙って去ってしまったのだ。 何故だろう? 私と女性の行動を見て納得して離れたのだろうと、その時は考えた。しかし、後で分かったことだが、これは大間違いだった。
今度は男性が来た。 小さな声で「すみません」といいながら近寄ってきた。先ほどの女性と違って通ることがハッキリしている。
「通路に出ますね。その方が通り易いですから」と私。
「そうですか。有難うございます。出やすいように少しさがりますね」
とか話をしていると、先ほどの会場係が足早にやって来て、前触れなしで突然「通して上げて下さい」と言った。前回と違ってかなり強い口調だ。迫力に押されて何も言えなかった。一体どうしたことだろう。
なんとも不可解な出来事だった。ところで私は、不思議なことが起こると書くことにしている。書いているうちに物事が整理されて分かることがあるのだ。
まさにそのとおりだった。書いているうちに分かってきたので、会場係の気持ちになって書いてみた。彼女はレセプショニストとして一生懸命働いていたのだと、私なりに理解した。以下は私の推測。
私はコンサートホールのレセプショニスト、今日の仕事は大ホールのご案内。自由席だから気配りが大変です。手のかかるお客が来なければいいのですが、広いホールが満席なので心配です。
お爺さんが一人で来ている。真ん中の方が空いているのに、わざわざ一番端に座っている。あすこに座ったら気を利かせて上げないと通行の邪魔になるので心配になって来ました。
あれっ! 小母さんが通れなくて困っている。助けて上げなければいけない。「通してあげて下さい」とお爺さんにお願いした。お爺さんは立ったけれど小母さんは通れない。困った人です。私も気が弱いからこれ以上言えません。あれれ、小母さん諦めて他所に行ってしまった。
なんと意地悪な人でしょう。通すまで見届ければよかった。「小母さんお役に立てずごめんなさい」と心の中で謝りました。
おや? あのお爺さんまた通せんぼしている。男性がお爺さんに撃退されて、後ろに退いている。今度こそはハッキリ言ってやりましょう。同じ失敗を繰り返すわけには行きません。皆さんに気持ちよく楽しんでもらうためには、毅然とした態度で会場の秩序を守らなければならないのです。マナー違反は許しません!
以上、案内係の気持ちになって書いたつもりだ。私としては、とんでもない誤解をされたものだ。端の席に座るのは喘息の発作が出ても迷惑をかけない為。立って通り易くしても通らないのは女性の都合。男性とは挨拶を交わしながら譲り合っていただけ。
「それなのに『通せんぼ』の罪を着せられて。とんだ誤解です!」
「誤解で殺人犯にされた人も居るぞ。その程度で好かったじゃない」
「なんで好かったんですか?」
「じゃあ聞くけど、どんな罰を受けたんだ」
「別に何にも…」
「そうだろう。好かったじゃあないか」
「そうですね。好かったです」
「幸せか?」
「別にそれほどでも…」
体調を整えてくるのもマナーかも?
偶然演奏会で隣り合った人が体調を崩していたとすれば、お気の毒だ。コンサートを楽しみたいから病気を押して来ているのだ。ご本人もさぞかし苦しいことだろう。その苦しみを癒してくれる為のコンサートかもしれない。
だけど、たまたま隣になった私は、そうは思わなかった。冷たいようだが「何で家で休養しないのだ」と思ってしまった。ともかく演奏中に絶え間なく音を出す。もちろん本人がなるべく小さくと努力しているのは傍目でも分かる。
しかし、もうこれで終わりかなと思ってもまだなのだ。最初は携帯をコソコソ、次にガサガサとティッシュを取り出す音、続いてチン。それが終わったら手が痒いのかゴソゴソかいている。挙句の果てにゴホン・ホンホンと咳がでた。「出物腫れ物所嫌わず」とは言うけれどあんまりだ。
どれもこれも病人にとっては出てしまう音。わざとやっている嫌がらせでないことは分かる。しかし、一曲全部終わるまで続いている。二曲目も三曲目も続いた。それでも休憩時間までは堪えて堪えて我慢した。
休憩時間がきたので待ってましたとばかりに逃げ出した。幸い空席があったので一番遠いところに座った。客席全部が見渡せるような席なので、当の隣席の人も見えた。その人は私の席を空席にしたまま同じ席に座っている。
終演まで1時間以上空席のままだった。ご本人は迷惑行為をしていたことに気付いていない様だ。気付いていれば私が座っていた席に移ると思う。そうすればその人の隣に座る人は居ない状態になっていたのだから。
それでも席を移らない。隣の人もピッタリと寄り添って座っている。あの騒音は小さいけれ演奏中は気になって仕方なかった。隣に座った人は気にならないのだろうか。それとも私が神経質すぎるのか。普段は寛容な方だと思っているが、コンサートの時は別な自分になっている。
音楽関連?エッセイ・リンク集
香の広場にある彫刻は「猫とハーモニカ」と呼ばれているが、間違っているそうだ。詳しくはこちらをクリック! →猫とハーモニカの謎
カラオケは違うだろうといわれそうだが…
よろしかったらクリック! → SSNのカラオケは楽しい
ちょっとだけパンフルートのことが出てくるので入れさせてもらった。
ほとんど猫の話 → 中島公園動物小説「報われなかったニャンコへの愛」